こぼれ話
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老人医療NEWS第99号 |
世界的なクラウニング活動をおこなっているパッチ・アダムス一行が、日本ツアーの一環で各地の病院や施設の訪問活動をおこなった。
九月十三日、信愛病院にもパッチはやってきた。車を降りた時点からすでにクラウニングは始まっている。おなじみのど派手な服に赤鼻をつけて、だいぶすり切れた例の魚をぶら下げて病院に入ってくる。挨拶などは一切なしで、とりあえずすれ違う人に「フィッシュ」といいながら近づいたりハグしたりする。はじめはビックリするが、すぐに笑顔に変わる。それでもパッチはあいかわらずの仏頂面をしているので、そこでまたおかしさがこみ上げてくる。
病棟では音楽を演奏しながら行進したり、バルーニングをしたり、ダンスをしたりハグしたりとなんとも賑やかだ。会話らしい会話はほとんどない。さまざまな国のメンバーが参加して各国で活動しているせいもあって、非言語的コミュニケーションをメインにしているからだ。
患者さんたちも最初はビックリ顔だが、じきに笑顔になる。パッチたちは患者さんの状態によって、わざと大声で驚かせたり、いっしょに笑ったり、辛そうな人や意識がはっきりしない方には、だまって手を握ったり体をさすったりと対応を変える。みな初対面であるのに、そのすばやい判断はさすがに手慣れたものだ。
興味深いことに、患者さんたちは外国人クラウンが相手だとすぐに笑うが、日本人クラウンが近づくと一瞬、相手をうかがうようなそぶりをする。それから、はにかむように笑う。この一瞬のタイムラグは、日本人の国民性に関係があるように感じる。
さて、「笑い」と一口にいってもさまざまだ。ひとたび「笑い」に「お」が付くと、落語や漫才の世界になる。そして、どちらかというと「お笑い」は関西の響きがする。関東以北でしか暮らしたことのない私にとって、オーバーな身振りや大声で笑うことは稀であったせいかもしれない。関東の「あはは」は関西では「ぎゃはは」で、関東の「うふふ」は関西の「いひひ」だし、笑顔の表情も関東では「ニヤーッ」関西は「ニカーッ」のような気がする。
最近のテレビや若者同士の笑いは、完全に関西式の笑いが主流になったといってよい。「ぎゃはは」と笑い、後に残らない。関東の落語のようにすこし間があいてから、ああそうか、うふふと笑うことが少なくなった。
ある研究会で日本笑い学会会長井上教授の講演を聴いた。笑いが心と身体に及ぼす影響について話され、笑いは免疫力を高めるという理論の紹介と、共に笑うことが互いの距離を縮めることや、笑いという人生の妙薬があれば、病や事故や災害などの失敗や不幸を背負っても生きられることなどについての内容であった。しかし、そのあとに、どうしても晴れない違和感が残った。関西と関東では笑いの質が違うのではないかということである。
それは、井上教授のいう笑いは関西式で、なんでもいいから取りあえず笑い飛ばすということであるが、関東の笑いは理屈があってから笑いがくるように思う。つまり、なぜおかしいかを判断してから笑うので、取りあえず笑おうやと言われても、なんで…ということになってタイムラグが生じてしまうからだ。
パッチの時に感じた違いは、外国人と日本人が持っているDNAの差かもしれないし、日本人同士であっても、関西と関東では南方系と北方系のDNAの違いによるものかもしれないなどと、勝手に納得した。
まあ、どちらのDNAを持っているにせよ、このご時世、笑いを忘れないようにしようではありませんか。 (20/11)