こぼれ話

老人医療NEWS第98号

在宅ケアを担う家族の決断
近森リハビリテーション病院 院長 今井稔也

数年ぶりに高知に戻り、当時往診していた患者さんの事を思い出した。その方は八〇歳の女性で、平成元年頃に脳梗塞で倒れた。小脳梗塞で、手足の麻痺はなく、動かすと振戦が生ずるぐらいであったのだが、梗塞の部位が悪かったのだろう。

めまいがあり、「気持ち悪い、吐き気がする」といって食事を摂ろうとしない。こうして、急性期病院から長期療養を引き受けた病院では食事にトライする事なく、めまいのため起こす、という事もなく、五年間ベッドでずっと臥床し、中心静脈栄養をされていたのである。

当時は付き添い撤廃の時勢の流れがあり、病院でも付き添いを撤廃する傍ら、手のかかる重症の患者さんには転院もしくは退院を勧告していた。この方も退院を勧告されたが、娘さん夫婦は離婚し高知にはいない。さりとて引き取り手がないから退院はしなくてもよいというわけにもいかず、三十五歳になる孫娘が、責任感から、自分の四人家族の元に引き取る事にした。

そして五年ぶりに病院から外に出た。しかしである。自宅に帰ったものの寝たきりの上、医療的な対応が必要であり、これは困ったと当院に往診の依頼をされた。そこから医師、看護師、セラピストの訪問が定期的に始まった。

そもそも中心静脈栄養の必要はない為、経管栄養に切り替えたのはよいが、この五年間ベッドから起きた事がなく、車椅子にも座っていなかった。全身性の廃用症候群であり、関節の拘縮も著しい。起こせば目が回るといって本人は拒否するが、臥床のままでは更なる廃用を引き起こすため、総力戦で体を動かし車椅子に座らせたところ、食事も座って自力で取り、髪も鏡を見てとかすようになった。座位時間が徐々に長くなるにつれ、めまい感も減り、車椅子に乗って庭にも出た。

病院にいた五年間は何だったのだろう。ケアをするとはどういう事か、を考えさせられた。

このケースにはまだ続きがある。高知にいる孫家族が奮起して自宅に引き取ったのだが、病院にいても何もよくならなかった事もあり、家族は再入院させるような事は全く考えておらず、在宅でできるだけのケアを行っていった。しかし、四年ほど後、ある日急変した。

緊急の検査と治療が必要なため当院へ入院したところ、巨大な脳梗塞を発症していた。意識の悪さからみても回復は困難であり、このまま亡くなる可能性が高い事をお孫さんに説明したところ、最後まで自宅で看たいのでつれて帰りたい、と申し出られた。夜七時半、病院の救急車に乗せ、自宅までご本人を連れて帰り、いつものベッドに寝かせた。ひ孫がまだ起きていて迎え入れてくれた。そして深夜を回り、午前三時過ぎ頃、息が止まった、と連絡があった。急いで自宅を訪ね死亡を確認した。

人はいつか亡くなる。様々な理由で長期入院を余儀なくされている方々がいて、またそれを支えている病院や施設も沢山あり、すべてが必要な仕事である。このケースもあるきっかけから退院する事になり、見たところは元気にはなったものの、身の回りの介護はほぼ全介助である事に変わりはなかった。ある意味、病院にいる時と全介助の状況に変化はないが、少なくとも自宅に帰った事によって、「元気な人」になった印象がある。

お孫さんも重度の障害があるまま自宅でお世話していたので、今度何か起き入院してもこれ以上よくなる事はないと了解していたのであろう。状況が厳しいことを告げると、「連れて帰り自宅で最後を看ます」と言い切ったのである。

決して強い決断と覚悟がもてる方ばかりではない。自分はそうした家族の決断の、一翼を担えるような医療人でありたい。 (20/9)
前号へ ×閉じる
老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE