こぼれ話

老人医療NEWS第100号

独り言
大宮共立病院 理事長 漆原彰

日曜日の午前中、予定の無い時はテレビを観て過す事が多い。早朝の時事放談から始まって、六、八、一、十とリモコンを手にだらだらと時間を潰すのだが、時には貴重な日曜日の半分を無駄に過したと後で悔んだりもする。最近の番組を観てそんな気分になる事が多くなった。

政治や経済の混乱を伝えるのだが、どの局を見ても二〇〇八年度第二次補正予算・関連法案審議で定額給付金の賛否、消費税引き上げ、更には昨秋来の金融危機をきっかけとした派遣労働者などの大量解雇への対応等が論点になっている。政策論議というより、選挙を前にした政局がらみの自己宣伝的な主張や、政治家個人の自己保身など、意地の張り合いや感情的な話しに終始しているからである。

今発生している派遣社員・期間労働者の失職問題も、万般の経済構造や社会構造の変化する中、これまでの政府が改革として称して推進してきた政策の結果の筈である。その進め方は今回の様なリスクを想定しない規制の緩和・撤廃といった乱暴な手法であったが、経済状況が安定していた時期にはむしろ歓迎されていた節もある。これらは、会社にとっては労働力の確保策としてや、生産性に応じた労働力の調整弁としての役割を果たしてきたとも言えるし、労働する側にとっても就労形態の多様化や個人の自由度の高さといった面では歓迎されていた向きも否定できない。社会の枠に填る事無く自分の意思で職種も機関も選んで働き、一定期間働いたら自分のために好きな一時期を過ごしたり別の事をする。そんな若者も地方労働者も少なくないからである(勿論、止む無くこの形の就労を余儀なくされている多くの人が居ると思う)

最近、世界の国々で変革を求める声が大きい。時代の変化や社会の変化に、政治・経済・社会等全ての仕組みを対応させる必要を言うのであろう。我が国においても現実の社会が、人間個々の価値観に合わなくなっている事は実に多い。現代社会においては、人がそれぞれの価値観によって権利を取得したり義務を負担するのは、その個人の自由意志に基づいているのだが、良し悪しは兎も角、広範に亘る規制緩和や撤廃はこの個人の価値観を変化させ、自由意志を主張しやすくした。今、日本人の考え方や生き方のトレンドは、急速に個人主義・利己主義に傾いているのだと思う。

話は飛躍するが、この個人主義への変移を我が国の家族制度に当てはめて考えてみる。家族は人間社会の基となるもので、最も小さい社会単位である。これまでこの家族を構成する個人個人が分裂してゆく事を、「核家族化」更には「家族の崩壊・危機」として捉えて来た。しかし、家族の分裂を時代の変化による家族意識の変化として捉える向きもあり、今では危機や崩壊と言った考え方は無くなりつつある。家族や社会に属する事が個々の人生にとって必然ではなくなっているのである。この事は、延長線上にある人間社会の分裂・崩壊を意味している筈であるが、これも時代の変化に拠るものなのであろうか。

このような人の変化に呼応するように法律や制度も変化し、特に社会保障の分野では顕著である。年金・介護保険・後期高齢者医療制度・生活保護等、各種の制度における受給資格などは、個人を対象とするもの、家族(世帯)単位で取り扱われるもの等々まちまちである。なかには居住を共にしていても形式的にでも離婚をすれば、世帯を分離すれば、と確実に核分裂を誘発させているものもある。

国民の意識が個人主義に偏重してゆき、家族や地域社会の分裂を促す政策が推し進められる中、知ってか知らずか「在宅・・」「地域・・」重視はいかにも苦しい。
(21/1)
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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE