こぼれ話

老人医療NEWS第97号

和氏の壁(かしのへき)
釧路北病院 理事長 豊増省三

かれこれ三十年ほど前、私は毎週郊外の特養老人ホームで入居者の健診をしていた。ある日、何時ものように一人ずつ聴診器を当てながら居室を廻っていたが、両股関節と膝関節が拘縮してベッド上で背中を寝具にもたれ、仏像のように胡座している新顔の老人の所にきた。「如何ですか」と言うと、「わしは百だ。文句あるか」と言われた。

改めてお顔を拝見すると、百年を生き抜いた姿に、風雪に耐えた老松にも似た威厳を感じ、私は慌てて、「いや、何も文句はありません。貴方はもう神様のようなものですから何を言っても構いません。私たちは何でも聞きます」と言った。

本気にそう思って、老人ホームの職員に、あの人の言うことは何でも聞いてあげるようにお願いした。

その後も同じような会話があったが、別に何を訴えるでもなく、私が部屋を出るまでじっと目で追うだけだった。私はこの老翁に毎週会うのが何となく楽しみだった。

この特養ホームには完全に寝たきりの人、大声を出したり、徘徊して夜中に外に出ていく人、長期に拒食している人など様々だったが、入居者と職員の表情は大変明るかった。

私は特養が病院とどう違うか知ってもらおうと、毎週看護婦を二〜三人同道して見学させた。私自身はここに約七年間通う中に老人医療に興味を持つようになった。

現在私の病院には百歳以上の人が常時数人いるが、その人たちがどんな心身状態であっても、私は神々しさを感じる。

超高齢者が増えることを禍とする人も居る。樹齢数百年の古木を神と崇めることはあっても、故老に畏敬の念を抱くことなど荒唐無稽な戯言なのか。

国はお金がないので、「老人だけを御神輿に乗せておくわけにはいかない」そうだ。「ちょっと待ってくれ、若い頃は戦争に駆り出され、仲間は大勢死んだ。生き残って国土復興に懸命に働いたが、いつ御神輿に乗せてもらった?」と言う後期高齢者の声を聞いた。

今の私たちを在らしめてくれた先輩たちに深く感謝して、苦労された彼らが生涯を全うするまでは平穏、安楽に過ごしていただくこと、これが恩人に報いる人の道であろう。

私たちは新しい老人医療を模索して、老人に相応しい医療を追及してきた。そして、無駄な医療を控えることが如何に老人に好ましく、医療費が節減され、本人や家族の満足度が高いかが分かったし、平穏な終末への道も見えていた。

しかし、国はこのような医療を評価せず、医療費が人件費に費やされるのは怪しからんとの言が報じられた。これこそメーカーに連なる為政者の苛立ちの声だろう。療養病床数を削減する真意が垣間見える。

私は韓非子の有名な和氏の璧の物語を思い浮かべる。

昔の中国、楚の国の和という人が山で宝玉の原石を見つけ、時の歴王に献上したが、鑑定人に「石なり」と言われ、たぶらかした罰として左足を斬り落とされた。次代の武王に再度その原石を献じたが、また鑑定人に「石なり」とされ、今度は右足を切断された。次の文王のとき、この石を抱いて三日三晩泣き続け、涙は血になった。これを聞いた文王が原石を磨かせてみると、それは完璧の語源となった見事な宝玉に生れ変わり、「和氏の璧」と称された。

私たちは老人医療に玉を感じて、璧に近づけようとした。しかし、国は老人医療を「石なり」と断じて、磨けるものなら磨いてみろとばかり診療報酬を削減した。療養病床は両足を斬られたも同然である。この後は手を斬られ、最後に首を斬られるのだろうか。

医療環境や職員を大切にし、老人医療が玉へ向かうことを信じて、私は祈りつつ石を磨き続けたい。 (20/7)
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老人の専門医療を考える会 JAPAN ASSOCIATION FOR IMPROVING GERIATRIC MEDICINE