老人医療NEWS第96号 |
平成六年のことだった。青森慈恵会病院院長となり二、三年目の私は、その頃、仕事や家庭のことで様々な問題を抱え悩んでいた。そんな時、何気なく血圧を測ってみると左が異常に低く、右との差ははっきりとしていた。脈を取ると右は触れるが、左は触れない。仲間の医師と相談し、即刻、県立中央病院にて血管造影を行うことになった。心臓血管外科、内科、外科、放射線科の医師のもと造影は行われた。左鎖骨下動脈に九九%の狭窄を認め、「大動脈炎症候群」と診断が下された。直ちに、入院。抗血小板剤の点滴を受け、翌日からは、プレドニン三〇mg、プレタール六T、などの内服が始まった。
予後については、薬を飲んでいても余り良いとは言えないが、薬は続けましょう。タバコ、酒は禁止。仕事は安静が必要なので控えめにと言うことであった。妻は医師たちから説明を受け、私の寿命はもうそんなにないと感じたと言う。
そのような状態ではあったが、今、仕事をしなければ病院は大変なことになると感じていた私は、脈がない他には症状はなにもないこともあり、翌日から仕事をすることを選んだ。しかし、一ヶ月は休めと言う理事長命が下り、しぶしぶ自宅で待機することにした。
その一ヶ月の間に、自分の人生を変えるようなことが起こった。生きることと病気は無関係であり、今、生かされていること、今、生きていることが有り難いことだと知らされたのである。それまで不満、焦り、苛立ち、嫌悪感と言った気持ちで一杯だった私が、逆にそれらのことに対し感謝の気持ちを持てるようになったのである。
その結果、一ヵ月後仕事に出た時、仕事は楽しくなり、いろんな事が順調に進むようになった。また、その時以来、薬は一切服用せず、好きなタバコも酒も続けているし、仕事も一所懸命続けてきた。あれから一六年、私は未だに元気である。多分、死ぬまで元気であるし、ひょっとしたら死んでからも元気かも知れない。
世の中には死ぬことを恐れて、生きている人たちが沢山居られる。しかし、我々人間と言うものはいずれ必ず死ぬのである。死ぬことを恐れて生きるということは、死刑を宣告された死刑囚と同じである。言い換えれば、人間は生まれながらの死刑囚であるとも言える。
しかし、そうではない。先を心配せず、どんな状態にあっても元気は出せるんだと言うことを信念とし、お一人おひとりが、元気に死ぬ時を迎えられるように支えていきたい。いや、今、生きておられることを大切に支えていきたい。とは言っても、先に死ぬのは、私か貴方かあの人か皆目判らないし、何で死ぬのかも判らない。支えていると思っても、逆に支えられているのかも知れない。いずれにせよ、他を元気にしようと思ったら、自分が元気であることが大切であろうと思う今日この頃である。
折りたたむ...老人医療には急性期・亜急性期・慢性期が含まれています。日本でも約一〇年ほど前から、医療不信、医療訴訟がクローズアップされ、医療安全の重要性を再認識し、院内業務改善や、誤薬・注射器の誤使用に対して薬剤・医療材料の改善に取り組んでいます。さらに、米国では義務付けられている病院の臨床指標(手術件数や平均在院日数など)を急性期病院では徐々にホームページ等で公表し、患者・ご家族に選ばれるよう努力してきています。
六二八床を有する当院は、整形外科病棟や、回復期リハビリテーション病棟、療養病棟、精神科病棟と様々な老人医療の機能をもち、亜急性から慢性期医療を主体とした病院です。危機感を感じながら、選ばれる病院を目指し、二〇〇五年にTQM(TotalQualityManagement/総合的医療の質管理)センターを立ち上げました。
現在の日本には亜急性から慢性期医療の質を評価できる臨床指標(ClinicalIndicator/CI)がまだなく、当院ではその指標を独自に作るところから行ってきました。項目は、各部門から比較的容易にデータを集めることができ、業務改善につなげられ、患者・ご家族だけでなく職員にも利益になるものを選びました。例えば、口腔ケアの方法を統一し、歯科医師が評価した「口腔内清潔度」を各病棟に毎月、評価して戻すことにより誤嚥性肺炎が減少してきました。また、入院後の新規褥瘡発生率も栄養ケア回診や褥瘡予防マットの導入により、大幅に改善してきました。転倒・転落率も各病棟に結果を戻すことにより、どうして当病棟は高いのだろうと考え、改善するきっかけに繋がりました。
平成二〇年度診療報酬改定で、回復期リハビリテーションの成果主義指標が導入されました。重度の方もある程度の比率で入院させて、看護必要度・ADLが改善すれば加算が付くようになりました。今後、慢性期医療にも成果主義指標ができてくることが予想されています。平成二〇年三月一三日に開催された老人の専門医療を考える会幹事会でも、「老人医療の質の評価プロジェクト」を立ちあげることが次年度の事業計画の一つとして了承されました。
当老人の専門医療を考える会では一五年前から毎年、全国の約二〇〇病院を「老人病院機能評価マニュアル」により老人医療の質を七つの視点(A運営の基本理念、B医療・看護・介護、C患者・家族の満足、D病院の機能、E教育・研修、F構造・設備・器具、G社会地域への貢献度)で自己評価してきました。東邦大学医学部社会医学講座教授の長谷川友紀先生からは、この実績について、膨大で貴重な資料であり、すばらしい評価実績であると称賛をいただいております。
病院の機能面、環境面、人的面を評価する「老人病院機能評価マニュアル」調査を今後も継続しつつ、さらに、今回のプロジェクトで、多様化した会員病院の機能に合わせた評価内容も考え、病態の変化や患者に関わる老人医療の質の臨床指標を作成し、実施評価していきたいと思います。全国の会員病院から十数病院の参加を得、長谷川友紀先生にもご協力いただき進めてまいります。国に先んじて老人医療の臨床指標を作成し、データ集積・評価・活用することにより、日本の老人医療の質の改善に繋がることを願っています。
折りたたむ...こぼれ話しより、こぼす話しが多いこの頃であります。その背景には、色々な保険がうまく働かないことや年金の問題もあるのでしょう。
先日、ケアマネさん五〇〇人を対象に講義を致しました。認知症検査の説明の時に認知症スケールの長谷川和夫先生と、映画俳優の長谷川一夫さんとは違いますと言ってもピンと来ない方が多くなりました。昔は桜井長一郎という物マネをやる方の「オノオノガタ ウチイリナノダ」という長谷川一夫さんの物マネがありましたと言っても、ますます座が白ける一方でありました。ご老人にかかわることが多いケアマネさんという職種では、古い事も知っていた方がコミュニケーションにも役立つということで、時代劇の二大スター市川右太衛門さん、片岡知恵蔵さんの話しをしてみますと、こちらも年々知っている人が少なくなってまいりました。市川右太衛門さんの『旗本退屈男』の話しをしてもはっきりしませんので、ドテラ(これもまた古い)のような厚着の着物を着て、ナイキのマークみたいな額の傷を旗本退屈男が「この額の傷を」と言っていたことを話しても全然ダメであります。
さらに、最近はソフトバンクの白犬の声は誰がやっているか知っていますかと質問します。北大路欣也さんです。これまた反応なし。一寸前の「華麗なる一族」というドラマに出ていたオジサンです。この人が市川右太衛門さんの子供なんですと言ってもピンと来ず、白犬は二匹いて大人しい方の犬は雄犬でカイちゃんといいます、などが今の人にはうけるようです。
古い事というより昔の事、なじみの事が心の不安を取るのに良いと考え、私が働いている病院には『思い出ミュージアム』という場所を作りました。昔の赤くて丸い郵便ポストや昔の写真館のウィンドウ(現在、町ではデジタルカメラ屋さんですね)が展示してあり、ゴミ箱も置いています。ゴミ箱には昔の写真を置いて、こんな具合に町角にありましたと説明をしております。
この中の人気展示物はミシンです。昔は女性の方々の強力なサポーターであったこの機械(ミシンという言葉はマシンからきています)は、今日コンピュータ入りのミシンと変化しております。しかし、かなり大きな昔のミシンが一寸前までは家にあったよと言う方もおられ、若干ほっとしております。
思い出ミュージアムのそばにはネコボード、犬ボード、赤ちゃんボードがあります。ベニヤ一枚にネコ、犬、赤ちゃんのシルエットをつけ、皆様のネコ、犬、赤ちゃんの写真を飾らせていただいています。ネコ、犬もミケ、タマ、ポチ、シロというイメージより外国産の種類が多いのが特徴です。しかし赤ちゃんは今までハーフの方や外国の方はおらず、皆日本人です。(個人情報の関係からお名前は載せておりません。)
車いすでボードの前に来て、ネコ派、イヌ派、赤ちゃん派に分かれ見ておられます。お家にいたタマやポチを思い出されているようです。
さて最近は一寸前から『KY』という言葉が流行っていますが、なにか一般的にはそぐわない響きの感じがします。しかし昔からモボ・モガという言葉がありました。私が子供の頃『MMK』という言葉がありました。MMKの意味は(るまこててもてても)です。正解はカッコの中を逆に読んで下さい。
浮世の流れでしょうか、新しいことは古くなり、そして消えていったりします。世の中の制度は古き良きことは残して、新しくとも悪しき事は無くしてもらいたく思います。昔は年金で生活できたという話しが古い古い話になってしまったようです。今年も、梅雨の季節になるまでの新緑を楽しみましょう。
折りたたむ...民主、共産、社会、国民新党の野党四党は、五月二十三日後期高齢者医療制度を来年四月一日で廃止し、これまでの老人保健制度に戻す法案を参議院に提出した。今後、参議院を通過することは確かだが、与党の反対で成立することは困難であるものの、与党内でも見直し案が検討されており、七十五歳以上の医療制度が政争の具と化している。
小泉政権下で、わが国の社会保障費の伸び率抑制案は展開され、診療報酬、介護報酬の引き下げ、療養病床数の削減、自己負担比率の引き上げなどが実施され、本年四月実施の後期高齢者医療制度も創設された。
昭和五十八年に実施された老人保健法は、二十五年間高齢者の健康と医療費の保障を行ってきたが、高齢者医療に専門的確立もないまま財政的に大きな問題を抱えた。わが国の高齢者医療制度を変革する必要性は誰の目にも明らかである。後期高齢者医療制度の仕組みは、財政対策以外の何ものでもないことは自明であり、医療サービスの提供方法についても検討を加えざるをえないことは十分に理解できる。しかし、診療報酬改定で示された「後期高齢者にふさわしい医療」の姿は、国民に理解してもらうための説明責任をはたしていない。その上、少なくとも四月以降のドタバタは与野党とも政策を政局に利用するという醜い政治茶番と化している。
福田首相は「後期高齢者というのがまずければ、長寿医療制度というのもいい」などと法施行直前に発言。法治国家で国会で成立した法律の名称変更を軽々しく口にすることは、あまりのことである。この一言がすべての混乱のはじまりであった。
後期高齢者医療制度について、全面的に賛成している人は少ないが、なんとかしなくてはならないのでやむをえないと判断せざるをえないと考えた人々は多数いたかもしれない。つまり、全面的賛成とか、絶対反対というのではなく。財源もないので医療費の負担可能な高齢者には負担してもらいたいということ以外なにものではなかったハズだ。
しかし四月一日以降保険証が届かない。保険料の請求通知の誤配や誤記入もあった。その上「現在保険料を払っている人々の八割は保険料が安くなるはず」という厚労相の発言で、よく調べてみると実は高くなる人が多数いることが後でわかってきた。そうこうしている内に「年金天引きは知らなかった」「後期高齢者などと呼んでけしからん」「こんな制度やめてしまえ」と大合唱になってくると、なんと与党内もガタガタし「これでは選挙ができない」という事で与党内での見直しが制度実施直後に決定されるということにいたった。
その後も「後期高齢者終末期相談支援料」とはなんだ。老人は病院から追い出し、医療を受けずに自宅で死ねというのかという批判から、七十から七十四歳の医療費窓口負担を二割へ引き上げることを締結する措置を〇九年度も継続しろという意見や保険料九割減額したらどうかなどという案が与党サイドから連日のようにマスコミに流され続けた。
ただし、このような与党試案では最大で二千億円という金額が必要になるが、どのようにするかは不明であるばかりか、何のための財政再建であり、何を目的とした制度変更であったのかという根拠自体が不鮮明になったといわざるをえない。
廃止して老人保健制度へもどせと主張する野党、防戦一方で「つぎの一手」がなかなか打てない与党、という構図の中で、療養病床の削減もままならない方向へと向かっている。それでいいのかどうかはわからない。
しかし、この混乱のツケは高いものになるだろうし、高齢者専門医療の確立なしではどうにもならない。
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