老人医療NEWS第95号 |
皆さんはこの詩をご存じですか。
この詩(抜粋)は作者不明で、日本では「犬の十戒」として知られており、犬が人間に語りかけるという形式で訴える詩です。ある人にはいままでの犬に対する対応を反省させ、ある人は犬への愛情がますます深まり、そのメッセージを叶えるべく、考え・思い・行動するのだと思います。そんな風に考えると、作者や、詩を広めた人達は、犬をとても愛し、愛し方を間違えたり、愛していない人にはその尊さに気がついてほしかったのだと感じました。
そこで、「老人の十戒」を私なりに考えてみました。虐待や身体抑制がなくなるような、介護で疲れている人が微笑んでくれるような、官僚や政治家が高齢者の自己負担を少くするような、そして、「老人の専門医療を考える会」が四半世紀にわたって重ねてきた老人医療に対する思いをのせた詩になるのではないでしょうか。
八つしかできませんでしたが、このような思いが込められた「老人の十戒」が多くの人に広まればすばらしいのではないかと思いました。
折りたたむ...日本が世界一の高齢社会になった二十一世紀に公的介護保険制度が成立し、二〇〇八年から後期高齢者医療制度が開始されるなど、高齢社会対策が整えられつつあります。
現在の制度では、医療療養病床と介護療養病床を、高齢者の病状・介護・障害の生活状況によって使い分けることが出来るので、患者さんのために適正な入院施設を選べます。療養病床は、医療を必要とし、特別養護老人ホーム・老人保健施設で受け入れることができない高齢者に対応するために、介護・生活までを一体的に考え、二十四時間三六五日、医師・看護師が常駐しています。また、広範な医療行為、手厚い看護を行える体制を有しているのが療養病床の特徴です。とりわけ、高齢者のための最適な機能をもつ介護療養病床は、他国でもあまり類をみない施設だと思われます。この機能を病院から他の施設にするというのは、世界で最も良いであろう制度を中止することに他なりません。
介護療養病床を、特別養護老人ホームや老人保健施設等の介護保険施設に変えてしまうと、医療ができない、あるいは看護が手薄になるため、手のかかる病気、重症もしくは末期の患者さんや、急変した時には、急性期病院に受け入れてもらわざるを得なくなります。
一般の急性期病院は、急性期医療のみであるため、高齢者医療の一部である生活機能の回復や介護には重点がおかれていません。従って、病気が治ってもADLは低下する傾向にあり、寝たきり老人が増加することにもなりやすく、結果的に、医療費も多くかかることになります。
療養病床では、特殊な病気の治療は別にしても、入院中の多様な医療には対応可能で、夜間や祭日休日の医師・看護体制があり、万一のときも治療できるという安心感があります。また、ターミナルケアになった場合も、他病院に転院させることなく医療・看護・介護一体としてチームケアで対応するので、高齢者が高いレベルのQOLで一生を全うすることが出来ます。この様に、理想的な機能を止めるのはなぜでしょうか。
今までの医療、特に病院は、海外の先進国を見習い、同じ様な発想で形成されてきたと言えます。すなわち、一般病院は急性期で、小児・成人主体であり、老人に対しては部分的な臓器別での治療はするが、全身的医療と全人的問題や、老化に対する医療は入院の適応ではないとする考え方です。外国ではナーシングホーム等が整備され、老化による入所において、医療的治療はあまり考えず、看護・介護が主で、自立的生活が出来ない人は早く亡くなることが多いのです。
日本の場合は、虚弱である上に、いわゆる「寝たきり」の方など、自立できない高齢者が多く、在宅では、核家族化の影響もあり、家族による介護も多くは期待できず、医師・看護師・ヘルパーなどの訪問が必要となります。そのため、医療があり、看護・介護も可能な場所として療養病床が出来たのだと理解しています。
今後は、自立できる老人を増やす努力をすることが必要になります。しかし、世界的にみても日本は高齢者の数が多く、三〇万床以上の療養病床が必要だと考えます。団塊の世代が七〇歳以上になる一〇〜二○年後まで老人人口は増え続けます。このような背景からみても、今まで以上に、多くの療養病床が求められるのではないでしょうか。
折りたたむ...介護保険制度が始まって満八年になろうとしている。二〇〇五年の改正では、「尊厳の保持」が明示された。『何を今さら?』という印象を受けたが、現場では見直さなければいけない状況も多々あるように思う。
介護保険制度は当初から在宅重視・認知症ケアにも重点を置いているが、当院の介護療養型医療施設への入院申込みの状況を見て驚いた。一般病院からの入院希望で、『とにかくお風呂に入れてほしい』と家族が強く望んでいるケースがあった。数年前から認知症があり、毎日通所介護を利用していたが、夜間トイレに行こうとして転倒。大腿骨頚部骨折で入院し手術を受けた。環境の変化から認知症は進行し、リハビリもうまく進まず、終日ベッド上での生活になってしまった。このような状態になった時、『食事』『入浴』『排泄』の三大介護が最も重要であるが、入院してから一度も入浴させてもらっていないらしい。家族が看護師にその理由を尋ねたところ、「認知症がきついのでうちの設備では入浴介助できない」と言われたという。重度の認知症があると入浴もさせてもらえないのか。QOLも何もあったものではない。
とはいえども、転倒による骨折や慢性疾患の急性増悪により、一般病院で適切な治療を受けることは当然である。認知症ケアにおいては、診療科を問わず、医療関係者全員が正しい知識を身に付ける必要がある。
在宅においては、主治医とケアマネジャーの連携が重要として、居宅療養管理指導を行った場合、医師は指導内容をケアマネジャーにも送付するようになった。ケアマネジャーに情報提供を行った場合は介護報酬上も評価する仕組みだが、ここでもなかなかうまくいっていない。
通院困難になった場合の医学管理について、居宅のケアマネジャーから相談を受けた。「主治医と連携しようと思った場合、医療機関から探さなければならない場合がある」という。がん末期の患者で経口摂取が全く出来ず、退院直前まで中心静脈栄養を行っていた状態で自宅に退院させ、退院後の医療について本人・家族と充分に話合いがされないまま、退院四日目に状態が急変し亡くなった事例である。入院中、主治医に退院後の医療についてケアマネジャーがいくら相談しても、医師は「救急車を呼んで連れてくればいい」というだけだったという。家族は、何も食べられない患者の介護に不安を持ち、ケアマネジャーに在宅診療してくれる医師を紹介してほしいと頼み、板ばさみ状態で悩んでいる、ということであった。
居場所は変わっても医療が継続して受けられるようにすることは医師の責任である。ケアマネジャーや他職種からみても、医療体制が充実していることは何事にも変えがたい大きな安心である。急性期病院の平均在院日数の短縮問題がなければ、このような悲劇もある程度は防げたかも知れないが、それにしてもひどい話である。
しかし、安心であるはずの医療が本人・家族の大きなストレスになる場合もある。それは、医師が、在宅においても入院と同じ水準の医療や介護体制を求めたり、他の患者・家族と比較して更なる介護を強要する場合である。当院の短期入所利用の家族が「在宅の先生から、愛情がないと言われた」と、大変ショックを受けておられた。要介護度五の父親を昼夜問わず介護し、疲れ果てているところに、医師からの一言で夜も眠れなくなったと訴えられた。医師は自分の発言について、その影響力の強さを自覚すべきである。
よりよいチームケアを実践していくためには、いま一度、各職種における専門性とその役割を振り返り、他職種にも理解してもらえるよう積極的に関る必要があるのではないだろうか。
折りたたむ...二〇年度診療報酬改定で示された後期高齢者にふさわしい報酬体系は、財政対策上どうにもならないという状況で、知恵をしぼった結果であると思う。ここに示されていることは、外来医療においては医療機関へのフリーアクセスを管理する。入院医療は短期入院、早期退院促進、在宅ケアの推進という図式である。完全に後期高齢者医療制度はマネジドケアの世界に引き込まれたことを意味するのであろう。
老人の専門医療を考える会として言いたいことは山ほどあるが、基礎工事に手抜きがある建物は長期間の使用に耐えることができない。
医療の基盤は、医師の養成と研修、そして医学研究である。いくら国際水準の病院を建てても、医師が不在であったり、医師としての資質が低いということでは、医療は成り立たないのである。それゆえ、我々は老年専門医の必要性を長年主張してきたし、小さな会でありながらも会員同志の研鑽をはじめ、病院間のスタッフ交流、ワークショップとシンポジウムの開催などの活動を続けてきたのである。
七十五歳以上の高齢患者にとって必要なことは、専用の保険証や特別な診療報酬ではなく、高齢者の生活全体を適切にアセスメントし、治療計画を策定し、チーム医療を実践し、モニタリングと定期的再評価を繰り返すことのできる老年専門医の存在である。
今回の報酬改定で示された後期高齢者診療科(料)が原則として診療所にしか認められなかったのは残念である。しかし、後期高齢者診療料の算定には「研修」が義務付けられたことについては、小さな前進であると思いたい。
一般内科、老年精神科、リハビリテーション科の医学知識を基盤とする老年専門医は、多くの先進国で制度化されてきたのに、わが国では議論はされるが、制度としては未成立である。これだけ高齢者が急増しているのに、老年専門医がわずかしかおらず、その多くが慢性期入院医療を行う病院に集中している現状は、入院以外の医療を地域で展開する場合に大きな問題とならざるをえない。
一般内科を担当する診療所の多くは、高齢者の医療が中心となりつつある。そして、このような地域の診療所が高齢者医療をささえていることはまちがいない事実である。ただ、高齢者の総合アセスメントや老年精神科領域やリハビリテーション医学について知識が不十分な場合が少なくない。それゆえ、研修が継続して実践されることが大切だといえる。このことが徹底されなければ、地域における高齢者医療の基礎がゆらいでしまうのである。
後期高齢者医療では、病院以外での終末期が焦点になっていることは明らかである。少なくとも救命救急センターに、後期高齢者が大量に搬送されることも、終末期の医療費が高額になることをなんとか避けたいと考えていることは明らかである。在宅医療と訪問看護の組み合せで在宅の終末期医療を進めることも、老健施設や特養をはじめとする病院以外での終末期ケアを促進することは理論上可能であるし、決して実現しないわけではない。
しかしながら、地域で在宅終末期ケアを展開させるには、ケアのコーディネーションをはじめ、ケアに関わる人々の量と質が前提とならざるをえない。多くの療養病床が長年に渡たり高齢者のターミナルケアを担当してきたことは事実であり、そのノウハウも蓄積できているが、これを地域展開しろといわれると、はたして地域に基盤があるのか不安だ。
財政問題であるのはわかるが、老人医療をどうするのかを十分に検討せずに制度変更を強行すると老人医療自体が崩壊してしまう危機がある。
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