老人医療NEWS第90号 |
医療制度を巡る改革案が毎日のように紙面を賑わし、毎年の報酬改変も常態化しつつある。日本リハビリテーション病院・施設協会では、臨床の立場から制度や報酬改定への提案を続けてきたところであるが、その提案が場当たり的で長期の展望に沿ったものになっていなかったのではないかとの反省があった。平成十八年度の改定で、その感を強く持ったため、日本リハビリテーション病院・施設協会は基本的なリハビリテーション(以下、リハ)の展望づくりを行っている。最終案には至っていないがその骨子を紹介したい。
厚労省が平成十七年末に突然、介護療養病床の廃止、医療療養病床削減を発表してからはや一年半になろうとしている。療養病床から介護老人保健施設などへの転換が進まない実態を受けて、第三期介護保険事業支援計画での定員枠を超えても転換が認められるよう、特例措置を設けることで転換を推進しようとしている。
厚労省は医療区分一の患者を多く入院させている療養病床は、収入が激減し存続できなくなることを知っている。即ち「医療区分一の患者を家庭か介護施設に退院させなさい、さもなければ療養病床を維持できないよ、だから介護施設などに転換しなさい」と言っている。しかし何故転換が進まないのか。我々は、医療・介護の質を落とすことに耐えられないから転換できないのである。老人医療ニュース第八十八号で、林光輝先生(三条東病院)が「納得できない医療区分」で主張されているように、高齢者医療体制が大きく後退する危険性を厚労省は理解できていない。彼らは療養病床の医療を評価していないばかりか、無駄な医療費を使う病床と考えているのか。
私は医療の質を上げることに誇りをもって、地域医療を実践している。老健・ケアハウス・グループホームを開設し高齢者医療にも努力している。訪問診療は月間一七〇件以上あり在宅医療の重要性も認識している。病院と施設を機能的に使い、いわゆる医療難民や介護難民を作らないとの信念で患者に接している。
最近、併設している老健で、重症な患者が増加している。すなわち密度の濃い医療・介護が必要で、在宅復帰が困難な医療区分一の患者が増加している。法に定められた以上に看護師などのスタッフを増員し対応しているが、それも限界に近づきつつある。現在の介護報酬では、さらなる増員はもはや不可能である。過剰な労働に耐えているスタッフに申し訳ない。
財務省は国民の医療・介護の質には関心はなく、あるのは国の財政負担額である。厚労省の「死亡数の将来推計」によると現在の年間死亡者数は一〇〇万人強であるが、二〇四〇年には一六六万人になる見通しである。現在の政策は「病院で死ぬと医療費が高くなる。医療費が安い介護施設か家庭で看取れ」ということだ。延命治療に対する未完成な指針も発表され、高齢者医療が歪められようとしている。
私は、今後療養病床で医療区分一が増えても、療養病床の介護施設への転換は全く考えていない。その場合は、医療の質を保ち、かつ経営を維持するために、医療療養病床の一部を一般病床に転換し、障害者施設等入院基本料を算定するしか方法がないと考えている。しかし看護師のさらなる増員が必要であり、この病床の診療報酬額が将来保障されているわけではない。医療現場は行政に振り回され続けることを覚悟しなければならないのか。
医療区分の改正が待たれるが、最近行われた慢性期入院医療包括評価調査の中間報告では、「現在の医療区分は概ね間違いではなかった」「医療区分三、ADL区分一の患者と医療区分一、ADL区分三の患者の医療・介護の手間は同等であった」、また「療養病床入院中の医療区分一の患者が二五%にまで減少している」などの記事があった。この様な状況では、抜本的医療区分改正は到底見込めない。
折りたたむ...昨年八月末に全国老人デイ・ケア連絡協議会の海外研修旅行の行き先をオーストラリアからオランダ・ベルギーに変更した。我が国の高齢者ケアが直面する財政と社会保障の大きな課題を解決する糸口が見つかるとは思わなかったが、オランダの奇跡(ダッチモデル)といわれるEUのお荷物から優等生へのドラスティックな改革、特に医療・介護に取り組む姿勢や制度改革の全貌に触れることを期待した。
当法人にとっても、多くの宝物をもらったオーストラリアに加えて、法人の今後の取り組みに新たなスタイルを取り入れるチャンスと捉え、六名のスタッフと関連企業から三名が参加した。研修地にオランダ、そしてベルギーを選んだ理由がもう一つある。それは、「文化」である。オーストラリアでは味わえない歴史の深さを期待しての旅立ちとなった。
視察の中心となったオランダは、二〇〇六年一月から公的な医療保険はなくなり、すべて民間保険で医療が提供されている。具体的には、急性期病院、在宅医療、薬剤が医療保険で、日本の回復期リハや療養病床のサービスはLongTermCareInsurance(AWBZ:日本の介護保険サービスと類似)のナーシングホームから提供されている。介護認定に関しては、NeedAssessmentOrganization(CIZ)という組織が行っているが、ここではランク付けはせず、サービスの内容・量を決定する。AWBZでは、CIZの決定をチェックし、サービスプロバイダーと契約して、お金を分配するという方式である。
要介護度で悩む私たちにとって、その人に必要なサービスや内容をアセスメントしてサービスが提供される形態は非常に羨ましく感じられた。オーストラリアのACATとも通じる利用者のニーズを中心に展開される方式は、認定にかかわる財源や期間のことを考えると、日本でももう一度議論するべきことではないだろうか。
視察した施設の中で特に印象に残ったのは、ナイメーヘン市のナーシングホームを中心に「連携」に力を入れているDr. NorbertHendriksのChainCareProgramである。脳卒中とリハビリテーションに関して大学病院とナーシングホームの連携、ナーシングホームと家庭医の連携をパス等の手法だけではなく、「教育」に目を向けた実践的なプログラムである。紙面の関係で詳細を報告することはできないが、そこでは、家庭医のために脳卒中やリハビリテーションの専門的な知識を習得してもらうための援助をナーシングホーム(日本では回復期リハや療養病床)が提供していた。その内容は、オランダの脳卒中やリハビリテーションの現状から始まり、リハビリ専門職の役割、家庭医に求められる役割などの座学を含め、片麻痺の患者さんの装具有無の歩行を実際に見ながら、装具をつける意味を説明したり、一〇種類以上の車椅子とその適応の解説、さらに、片麻痺と高次脳機能障害の疑似体験として、鏡で見ながら利き手ではない手でパンにバターを塗る、パンをナイフで切るなどの動作を体験するなど、家庭医にとって貴重な学習の場をナーシングホームが提供していた。
家庭医のために「病院」が果たすべき役割を、
老人の専門医療を考える会は、設立二十五周年、このアンテナも九〇号となりました。なによりも会員および読者の皆様に感謝します。
われわれが何を成し遂げたのかということは、正直いってよくわかりませんが、老人の専門医療の確立が必要だというメッセージは確実に伝えることができたと思います。
そんなことは、当たり前ではないかと叱られてしまうかもしれませんが、実は、この「当たり前」とわれわれは戦ってきたのです。四半世紀前のわが国の老人医療の現場は混乱していましたし、われわれも未熟でした。全員が四十歳前後の医師であり、民間医療機関の院長か副院長で、老人医療に夢をかけていました。
老人保健法が制定され、老人病院制度が施行されました。老人病院は算術病院で悪い病院なので経済的に制裁すればいいという雰囲気が、当時の厚生省を支配していました。医療費適正化が強調され、注射も検査も薬剤も大幅に引き下げられました。
もともと、われわれは過剰診療に疑問を持っていましたし、ケアを重視することが必要と考えていましたし、医師と看護師だけでなく、リハビリテーション職員やメディカル・ソーシャル・ワーカーを重視したチームこそが大切だと思っていました。
このことを厚生省の若手職員に話してみましたが、医師である技官も事務官も、チンプンカンプンで「それでも医療費は適正化しなくてはならない」の一点張りでした。何か老人病院を取り締るのが当たり前と考えているようでした。
お互いに若かったということでしょうか、議論というより完全にケンカになった時もあれば、相互に理解できることもありました。何しろ現場をみて下さいということで、われわれの病院を訪問してもらったりもしました。
「百聞は一見に如かず」
われわれは、学びました。一度も老人医療の現場をみたこともない人々が政策を立案しているのだということをです。このことは、当会の歴史的成果として、書き残しておきたいと思います。官僚は、もっともっと現場に足をはこべということです。
老人の専門医療の理念を熱く語り合い、多くのことが現実のものとなりました。
「ベッド・イズ・バッド」「老人の人権」「MSW配置」「リハビリテーション充実」「寝食排泄の分離がケアの基本」等々。
「若い医者が、何をわけのわからんことをいっているのか」という批判も受けました。老人入院患者は、寝たきりが当たり前という時代でした。
老人保健施設制度の創設、老人病院への報酬包括化、在宅ケアの促進をはじめ、ケアプランにも療養環境改善にも努力することができましたし、介護保険制度創設にも協力できました。
四半世紀の時が過ぎ、今「後期高齢者医療の在り方」が問われています。「新たな診療報酬体系については、必要かつ適切な医療の確保を前提として、その上でその心身の特性等にふさわしい診療報酬とするため……」という参議院の附帯決議がなされました。
何となくわかるような、まったく意味不明の文章です。だれが「必要かつ適切な医療」の内容を決めるのでしょうか。何が「心身の特性等にふさわしい」のでしょうか。まさか、すべてを診療報酬で「確保」できると考えているとすれば、それは完全にマチガイです。
歴史は繰り返されることはないでしょうが、四半世紀前の悪夢に限りなく近づいているように思います。
経済が医療を豊かにしてくれることは事実ですが、経済的理由のみで医療をねじまげてはならないということが、当たり前ではないでしょうか。
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