老人医療NEWS第91号 |
七十五歳以上の高齢者を対象として、新たに「後期高齢者医療制度」が来年四月より実施される予定である。七十五歳以上の老人は保険料の一割を納め、医療機関に掛かった場合、医療費の一割を自己負担することになる。
老人の専門医療を考える会では、後期高齢者医療制度の創設に対して、強い関心を持ち、昨年の九月には当会のホームページに「高齢者の終末期ケアのあり方について」と題する見解を掲載した。
そして、当会が毎年、行っている「どうする老人医療、これからの老人病院」と題する第二十九回の全国シンポジウムではサブテーマを「ご存知ですか? 後期高齢者医療制度」として今年の三月二十四日に開催した。この時点で、新しい高齢者医療制度の基本的な骨格が提示されると想定していたが、厚生労働省から「後期高齢者医療の在り方に関する基本的な考え方」が公表されたのは四月十一日のことであった。
シンポジウムでは、リハビリテーションの日数制限による弊害や、老人保健施設における医療サービス提供の限界などの問題点が提起されたが、施行一年前にして何一つ姿を見せようとしない新制度に対して、会場はある種の虚無感が漂っていたように思う。それでも、老いの生活に寄り添う医療の実現という点では共感できたのではないかと思っている。
いま、医療・介護現場には疲弊感が充満している。この十年間、制度が変わるたびに、あるいは診療報酬が改定されるたびに、老人医療に携わる私たちはいつも「回れ右」をさせられ、やっと態勢を整え終えたと思ったときに突然、「退場」の笛が吹かれたりしてきた。改革の名の下に、財政削減を目的とした、方向性の定まらない施策が繰り返されている。
そこに「高齢者の心身の特性を踏まえた診療報酬体系の構築」といわれても、ときめきを感じなくなりかけている。世界に誇れる日本型のナーシングホーム(老人病院)を構築できると思った時代もあった。
今でも、それを目指しているが「何でもあり」という環境が失われると、活力がなくなり、結果として効率性に欠ける事態を招くことになる。
在宅重視も結構であるが、介護する家族やスタッフが居なければ在宅医療も在宅死もありえないのである。在宅療養は多大なコストが掛かることを行政の人たちにわかって欲しいと思う。親の在宅介護を一度でも経験すればわかることである。今のこの時代、親が望むように住み慣れた環境で、数年に亘って療養生活を送らせるにはどれだけのコストが掛かるかシミュレーションをしてみて欲しい。
高齢者医療・介護現場の混乱を引き起こす最大の要因は医療保険と介護保険の担当部局が異なっていることにある。新しい高齢者医療制度の構築は、現行の制度のしがらみのない新設「老人医療課」で一括して担当していただくのが第一歩と思う。
折りたたむ...療養病床はまさに大変な時期に遭遇している。ご存知のように療養病床は従来の三十八万床(医療療養病床二十五万床、介護療養病床一五万床)を五年後には一五万床に削減することを国は提案している。病院もとても厳しいが病院に入院している患者様ご家族が一体どういう思いをしているのだろうか、その実情を調査し、それをもとにして二〇〇七年四月二十一日に札幌市で市民公開シンポジウムを行った。
当日は市民を含めて三〇〇名以上の方が集まり、まさに熱気あふれるシンポジウムとなった(会場は二八〇名で満杯)。京都からもご多忙の中、財団法人仁風会理事長 清水紘先生にもご参加いただいた。ご協力いただいた皆様に感謝したい。
その内容は、四月二十二日の北海道新聞が一面に大きく掲載してくれたし、最近発行された六月号のbestNurse(北海道の看護雑誌)にも、アンケート結果とシンポジウムの内容が詳細に掲載されている。また、結果は小冊子にし、国、北海道、札幌市の行政や医師会関係者にもできるだけ送付した。
札幌市療養病床協会は病院四十二施設、有床診療所八施設が加入している。アンケートは療養病床を多く持つ一五の病院の協力を得て二〇〇七年一月に行われた。アンケート配布数四一四〇入院患者ご家族(医療療養、介護療養を含む)であり、回収数は二七四三(回収率六十六.三%)と予想以上に高いものであった。また、ご意見欄には二七四三名中一〇五一名(三十八%)の方が記載してくれた。
アンケートの統計の部分の一部を紹介したい。「療養病床が削減されることについて」は、「反対する」が九十四.三%と大半であった。また、「療養病床が削減された場合、どの施設への入所を希望されますか(複数回答)」では、介護老人保健施設四十七.二%、介護老人福祉施設三十八.二%が多く「自宅に帰る」はわずか二.二%であった。このことは「現在の病状、状態でご自宅での介護は可能ですか」、という設問には「不可能である」が九十四.五%に達していた、ことでも示されていた。
私は一〇五一名からのご意見を数回読ませていただいた。まとめると
厚労省のお声がかりで「老人性痴呆症」「老人のボケ」は「認知症」という新しい呼び名に統一されようとしている。「認知症」という言葉がふさわしいか否かは別として、徐々に「認知症」は認知され始めているように感じる今日この頃である。
全国に一六〇〜一八〇万人以上になったといわれる「認知症」は今やポピュラーな話題となり、親類、知人が集えば、愚痴や苦労自慢のように話されるようになった。ここ数年、小生も全国の地方新聞社主催の講演会によく招かれるが、どこも「認知症関係」の題をつけてくるところが多い。中年から初老の人達には大きな関心事であり、身近にボケたお年寄りがいたり、世話や介護に困った人ほどその傾向は強いように思われる。「ボケてあんなふうになりたくない」という想いは殆ど強迫観念に近いものがある。
さらに最近はテレビ、雑誌等で人の記憶力を試すようなゲームが続々と発売され、一般大衆の不安をあおり、そのお陰でビッグビジネスにさえなっている。ゲームはもともと子ども相手のものだったが、通称「ボケ」と呼ばれる認知症の影に怯える中年から高齢者まで取り込んだのは大きい。テレビで「おとといの昼ごはん覚えていますか」を聞いて不安に思う人は多いと思うが、果たしてその問いは正しいのか。
高齢と共に幾何級数的に増え続ける認知症のリスクは厳密ではないにしても原因はひとつであるはずはない。特に先天性要因と後天性要因の問題では、圧倒的に後天性の環境因子がより多く関わっていると考えるのが妥当であろう。原因が複数であれば、「ゲーム」「暗算」「書き取り」等、どれかひとつやっていれば良いとコマーシャルしているのは間違いと考えざるを得ない。
一生涯「書き取り」「算数」を教えていた学校の先生が認知症になった話には枚挙にいとまがない。「物忘れ」「固有名詞」が思い出せないということが多くなるとボケてきたのではという心配は分からないでもないが、生涯たいして変わらない事も多い。
上記に書いたことは、忘れても良い「小さな記憶」であり、認知症は忘れようにも忘れられない「大きな記憶」「体験」等が失われ、かつそれによって日常生活に問題が起こる状態である。「おとといの昼ごはん」は些細な記憶であり、覚える必要のない記憶である。
アインシュタインが晩年、度忘れに悩み、多くの学者、知識人も度忘れ、物忘れに悩まされていたというエピソードは多い。レーガン元大統領が完璧?なアルツハイマー病になったエピソードは詳しく報告されている。我々、凡人が年をとってきて、度忘れ、固有名詞がなかなか思い出せないのは普通の事である。
「認知症」は大きな記憶の障害が中心でかつ日常生活に問題が起きている状態なので、軽い認知障害があっても日常生活、在宅生活が出来れば良いのである。「ボケたらどうしよう」「ボケたらみんなに迷惑をかける」等、強迫観念が脳にとって大きなストレスになっていると考えられる。そのストレスは、ボケ発症の大きな要素となっているという説は多く、小生も同様に考えている。仏の教えでもないが先の事はわからない、なるようにしかならないという柔軟な考えが必要であると思う。
認知症発症の最大原因は多分、「加齢」と頭の刺激の少なくなった生活習慣による「廃用頭脳」と考えているが、皆さんはどうでしょうか。
取材の時によく聞かれる質問「先生はご自分はボケないと思いますか」には、「半々でわかりませんね」と答えている。すると、どんな風になると思いますかと聞かれる。「ボケていようがいまいが、ボケたふりして女性のおしりをさわっている」と笑って答えることにしている。
折りたたむ...私は今『老人の専門医療を考える会四半世紀の歩み』の最終原稿をながめている。これまでの歳月の一コマ一コマが長編ドキュメンタリーのように再構成され、いとおしい思い出としてよみがえってくる。
昭和六〇年三月二十三日の朝日新聞に当時四十一歳の天本宏会長が「老人病院を一足とびに介護施設にしてしまったら、老人の専門医療はどこがやるのでしょうか」と発言している。その天本先生が、二十五年記念誌に「高齢者医療のあるべき姿を日本医師会において提示することに係わるのに二十五年の地域医療の実践と、老人の専門医療を考える会での活動を要した」と明記されている。
二十五年間、高い志と強い思いで繰り返し、同じことを主張し続けることだけでも立派である。この間、いろいろな前進があったが、どう考えても老人の専門医療が確立したとは思えない。後期高齢者医療制度に関する議論や政策展開をみていても、一方では、この程度のうわべの議論ではどうにもならないのではないかと心配だし、他方では経済優先であまりにも一人ひとりの高齢者への配慮がないがしろにされているのではないかとういう疑念がはれない。
当会の歴史が、わが国の高齢者医療制度の歴史でもあることは、別に不思議ではない。われわれは、どこからも援助を受けない自主独立の小さな任意団体であるものの、社会に対して発言することを第一義的目的としていることから、これまでに多くの提言や提案をなしてきた。立法府のメンバーとも、行政府のスタッフとも、いくども意見交換してきた。それゆえ、わが国の高齢者の保健医療あるいは福祉や介護の政策や制度に直接間接に影響を与えたことは確かであり、この意味では責任もある。
われわれは、設立直後から医師のワークショップを続けてきたし、数多くの勉強会や施設見学会として海外研修を進めてきた。その成果は、明確で、なによりも現場の医師が成長したように思うし、チームケアの基本型を確立することができた。全てを全員が企画し、実施し、評価してきたことは、大きな自信となったし、当会が継続できた原動力であったと思う。
「継続は力なり」という言葉をかりるとすれば、今年三月二十四日に開催された全国シンポジウム―どうする老人医療これからの老人病院」も第二十九回となった。そして、機関誌『老人医療NEWS』は第九十一号となった。毎回アンテナを担当した者として、なによりも読者の皆様に、この場で深く御礼申し上げるとともに、この二十五周年記念を共によろこびたい。
祝二十五周年
【備忘録】
当会の第一回総会から一年後の会員数は、三十四病院となり、独立の事務所と事務員を配置することになった。事務所は、新大久保の三島屋ビル六〇一号室、和室二間と台所で、安藝祐子さんが就職してくれた。家賃十二万円であった。
その後、六十三年五月に、新宿区百人町の清ビル三階に移転した。その直後、老人保健施設連絡協議会が組織され、都内に事務所を開設することになり、隣室を提供して、社団法人化の準備事務所となり、平成元年十二月二十二日に社団法人全国老人保健施設協会が設立された。
現在の事務所への移転は、平成六年十一月であり、会員は五十一名で、年会費は三十六万円である。
本当に少ない会員と小さな事務所で、吹けば飛ぶような存在にすぎない当会が、ここまで継続できたのは、会員間の意思疎通というか、老人医療への思いとしかいいようがない。
なお、当会は、厳しい入会審査付であるが、新入会員を現在も募集している。
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