老人医療NEWS第88号 |
昨年は療養病床は介護療養型医療施設の廃止や医療区分の導入で変革の年でした。医療区分見直しの必要性は各方面で指摘され、その検討のために調査が行われております。また、来年度からは後期高齢者医療制度も始まり、高齢者医療の方向性の見通しがつかない状態で先行きは混沌としています。
この話は別にして、最近私が気になっていることを述べていたいと思います。「ほう」という言葉です。いつから増えてきたのかはっきりわかりませんが、最近目立ちます。光風園病院の朝の全体申し送りで「○○さんの血圧のほうは一七〇/九八で熱のほうは三十九℃で当直医のほうに報告し座薬と点滴のほうの指示を受けました」というような報告をする人が多いのです。この報告の中でほうがとても気になり始めました。
そこで、申し送りでは比較や方向を意味する以外はほうの使用を禁止しました。しかし口で言うだけでは本人はまったく気づいていません。自分ではほうと言っている意識がまったくありません。申し送りには主に看護師長が出ますので、まず師長クラスに徹底することにしました。
一ヶ月位で何とかほう退治が出来ましたが、師長以外の人が申し送りに出るとほうがやたらと復活してしまいます。病棟での申し送りではまだほうがはびこっています。ここでもほうを退治したいのですが、対象となる人数が多くなかなか難しいようです。最近は簡単に録音できる装置があるので、一度録音して本人に聞かせようかと思っています。
ほうはいろいろなところで盛んに使われ始めました。かなり良い宿に泊まってもほうがでてきます。他のサービスが良くてもほうがでてくるとがっかりします。皆さんはいかがでしょうか。私だけの勝手な思い込みでしょうか。
昨年一〇月に文化審議会国語分科会の敬語小委員会が敬語を五つに分類する新しい指針案を公開しました。敬語は尊敬(いらっしゃる・おっしゃる型)・謙譲・丁寧の三つに分類されていましたが、これを五つにするという案です。謙譲語を自分がへりくだることで相手への敬意を表現する「謙譲語T」(伺う・申し上げる型)と、自分の動作などを丁寧に表現する「謙譲語U(丁重語)」(参る・申す型)にわけ、さらに丁寧語を丁寧語(です・ます型)と丁寧に上品に表す「美化語」(お酒・お料理型)の五つにするという案です。
敬語の使い方が解らないという人が多くこのような案になったようです。パブリックコメントでは、賛成・反対が同数であったようですがこの案に決まりました。私にはよけい複雑になるようでわかりにくいのですが、皆様は理解できますか。分類の仕方ではなく教え方の問題であると思っています。
医療機関はサービス業であるということは広まってきていますが、言葉遣いもサービスの一環であるといえます。病院でも感じのよい言葉が使えるように心がけたいと思っています。
折りたたむ...平成十八年七月に医療療養病床の診療報酬に医療区分が導入されて約六ヶ月が経過した。施行前より疑問点が多く、導入後の現場混乱は必至と考えていたが、予想以上の混乱となり、病棟・医局・事務間のドタバタ劇が続いたのは当院に限ったことではないはずである。我々は、たとえどんな制度であっても決められた通りに対処しなくてはならず、現場スタッフには医療・看護・介護業務以外の余計な労務を強いることになってしまった。既に六ヶ月が経過し、ある程度は体制が整ったものの前制度との基準があまりにも掛け離れていることに強い抵抗感があり、現場を歩き意見を聞いてみた。
最初に皆が声を揃えていうことは重度の肢体不自由者と重度の意識障害者が医療区分一に分類されてしまったことである。前制度では上記状態の患者様は特殊疾患療養病棟への入院対象となっており、人的基準も手厚く診療報酬上も通常の療養病床よりも高く評価されていた。医学上植物状態という言葉は馴染まないが、MDSでは昏睡状態として取り扱うことになっており、ハリソンの最新版でも「awake coma」として病態が説明されている。昏睡というからには深い意識障害が存在することを意味し、医学的な管理が必要であることは明白である。
不幸にもこのような病態で固定してしまった患者様を社会的入院と決めつけ、介護施設へ移すことなど現場では考えられない事柄である。また、このような病態に至るには基礎疾患や合併症が必ず存在しており再発予防を含めた医学的管理が必要であることはいうまでもない。
次に治療行為や処置に日数や回数制限を設けたことに戸惑いが集中していた。持続点滴は連続七日まで、喀痰吸引は一日八回以上、血糖検査は一日三回以上三日まで、せん妄治療は七日まで、嘔吐の処置は三日まで等と記されている。文字では理解できるが実症例に当てはめるとなると相当無理がある。何を基準に算出したのかも定かでなく、血糖検査や吸引回数に制限を設けるなど医学的にも到底理解することはできない。
また、高齢者の医療現場とは縁遠い難病について、スモン病が医療区分三で、筋ジストロフィー、ALS、MSを医療区分二としたことも理解し難い面がある。難病は難病として別に取り扱われるべき疾患であり、初期症状だけの軽症例が少なからず存在するはずである。
寝かせきり、点滴、検査づけの悪徳老人病院と呼ばれていた時から定額払いの介護力強化病院となり、過剰診療は高齢者医療の現場から完全に姿を消した。そして高齢者に相応しい療養環境・医療・介護体制が整った療養病床へと、概ね理想的な高齢者医療が提供できるようになったことで誰もが良い方向に推移してきたと評価していた矢先のことである。医療費削減・社会的入院排除を名目に、いままでの経緯を無視したとんでもない制度が導入されてしまったが、振り出しに戻るようなことは絶対に避けなければならない。
厚生労働省の思惑とは裏腹に療養病床再編論を境にして一般病棟への転換が増加している現状があり、今回の政策誘導の過ちに気づいてくれることを願うばかりである。残念ながら、理想に近づきつつあった高齢者の医療体制が再び遠のいてしまった感は否めないが、数年後に創設される後期高齢者医療制度に大いに期待したい。
折りたたむ...昨年十一月に、ある高齢者福祉センターが「介護予防とリハビリテーション」という題で一時間三十分もの講演を私のような若輩者に機会を与えてくださった。正直九〇分間の講演など私には経験もなく、パワーポイントのスライド作成も大変であった。
今までのスライド作りは、医学に関して明るい専門職に対してのものであったので、ある程度画像は省略しても口頭で補うことができた。一般の方を対象にしたヘルパー養成講座の講義も経験があり、その際はテキストもあり困難はなかった。
しかし今回は対象が一般の高齢者で、スライドが必要である。題に示された「介護予防」「リハビリテーション」をいかにわかりやすく説明するか、特に「介護予防」には苦心した。現在、「介護予防」という言葉はある程度、国民に認知されてきていると思うが、では言葉で説明せよと言われると、さて困ったぞとなる。
「介護予防」という言葉は、介護保険で要介護の人が増えたため、財政的理由により、要介護にならないために予防しようとの考えからできた言葉である。以前よりあった言葉ではなく、しかも国が作った言葉であると認識している。スライド内で「介護予防」という言葉を私の認識のまま伝えることもできず、「介護」と「予防」に分ける苦肉の策で乗り切った。
講演には約三〇枚のスライドを作成し、少しゆっくり話をして、質問に対して多めに時間をさこうという思惑でいたが、実際は会場に来られた多くの方の真剣な表情に私の気持ちが入ってしまい、いろいろ説明しているうちに九〇分があっという間に過ぎてしまった。それだけ高齢者の方が自分自身の健康に対して真剣であるのだと感じた。
現在「介護予防」はきちんと行われて効果がでているのであろうか。まだ事業が始まって間がないため、効果を求めるには酷というものかもしれない。しかし、介護予防事業を行っている事業所の理念・理想という部分にばらつきがあり、事業内容のチェックも全てには行われていないため、あまり効果が出てこないのではないかと不安になる。
不安といえばもう一つある。当院は特定高齢者に対する研究事業を委託されているが、今まで特定高齢者という範疇にはいる高齢者を殆ど見たことがない。そのため研究は全く進んでいない。要支援状態にならないための予防事業であるが有名無実となっている。
医療・福祉系では特定高齢者がどのような人を指すのか知っている人もいると思う。あえて「知っている人もいる」と言わせていただく。なぜか。あまりにも一般に特定高齢者という言葉が理解されておらず普及していないため、提供側も本気になれず知ろうとしないのである。地域差はあると思うが、特定高齢者の認定には地域包括支援センターが関与している。しかし、要支援の利用者のケアプラン作成に精一杯で特定高齢者に手が回っていないのが現状である。また基本健康診査さえ受けてもらえないのが実状と聞いている。
制度を作ってもあまり利用されなければ意味がない。考え方に異存はないが、どうも制度を本気で利用してもらおうという感じがない。とりあえずやっているという感じにしか見えない。ただ、私たちも健康寿命を延ばすために手を貸すことは大切で、指をくわえて特定高齢者が認定されることを待っているだけで良いのだろうか。
このようなことを書くと、「おっ、ここにおいしい物が転がっているぞ」と飛びつく者がいるかもしれない。しかし、私は良識のあるものが協力しながら実行し、「介護予防」「特定高齢者」、どちらの制度も結果を出し実を結ぶことを願っている。
折りたたむ...いまさらながら、政府の進める医療・介護施策の展開は、主に財政対策上の対応でしかない。
保険料も一部負担も引き上げ、診療を引き下げる。その上、今後の費用の延びを抑制し、強力に財政対策を進める。一方では、そうしなければ保険制度を維持することができず、制度の持続可能性のためにも必要な措置だから理解しろ、他方では医療・介護の分野は高コスト体質であり、質の低下を招かない一層の効率化が必要であると強調する。
御説ごもっとも、という訳にはいかないが、そういう見方があることは承知している。しかし、教育や住宅施策でも、まったく同様のことがいえる訳であり、なんでもかんでも受益者に負担をおしつけ、サービス提供者のコスト改善を強要することだけが、この国の政策であるというのであれば、この国のかたちから考え直さなければならない。
急激な高齢社会では、自らの貯えや家族の支援を前提とした老後生活は確保できないので年金や医療制度が必要であり、さらに介護保障も不可欠なので介護保険を創設しようという国民的合意が一〇年前にあり、国民の理解と協力によって介護保険制度が創設され、本格実施されてから、わずか七年しか経過していない。
医療や介護報酬の引き下げは、容認できない。それ以上に、厳しい設定の延び率通りに、費用抑制を継続するということだけでは、国民の医療と介護を保障することはできないのではないか。医療・介護の財政対策も財源対応も、いつの時代にも困難であったし、大きな政治問題であった。なにか、医療・介護の事業が儲かっているので、株式会社にも新規参入させる。あまり事業として旨みが少なくなったので、取り合えず一層の費用の抑制をしたらいいのではないか。それでも医療と介護の質が守られるということが大前提の戯言でしかない。
高齢者の長期ケアについては、財政的問題ばかりか各種の課題が山積みされており、先進国共通の政策課題であるといえる。しかし、わが国のように、財政対策一辺倒というのは大変めずらしい。
たとえば、イギリスの医療や福祉などの社会サービス改革の基本理念をみると、まず全国的なサービスの高い水準と十分な説明責任からはじまり、代替的な供給主体の養成と選択の幅の拡大などの明確な原則が示されている。
政府や自治体自らが情報開示を進めるとともに、政府が質に関する方針を決定し、各自治体が業績評価を進めるというシステムである。もちろん、財政的問題を無視しているわけではないが、同じ費用で質が高くなれば効率的であると考えているのである。
わが国でも、介護サービス情報の公表や医療情報の開示が進められているが、どう考えても財政対策が主で、質の向上が従の関係にしかみえない。また、将来的に医療・介護をどのように政策展開するのかといった原理原則が開示されないというか、財政に振り回されて、原則を見失っているとしか思えない。
先進国の医療制度のすべてを理解しているわけではないが、わが国内で手に入る情報だけで判断しても、なりふりかまわない財政一辺倒の医療・介護政策を展開しているのは、大変非常識であると判断せざるをえないといえる。
政府も厚労省も、もう少し世界各国の政策や制度改革の現状を勉強して、国民本位、消費者保護、被保険者の権利優先、利用者本位、そして患者中心顧客主義といったことから医療と介護を再編するべきであると思う。その上での財政論であろう。
質の低下が怪訝される中で、質の確保を優先した高齢者医療および介護保険の政策展開を要請する。
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