老人医療NEWS第86号 |
「当会の歴史」
「老人の専門医療を考える会」は、一九八三年秋に結成され、満二十三年を迎えたことになる。わが国の高齢化の進展、家族による介護機能の低下、高齢者介護施設の極端な不足を背景に急増した老人病院の劣悪なイメージを少しでも改善したいというのが当会設立の主旨であった。
その後の活動を通して、要介護高齢者のQOLを上げるためには、在宅であれ施設であれ、また急性期の病院も含めあらゆる施設で、@良質な生活環境、A充実した介護、リハビリ機能、B適切な医療関与 の三つが一体的かつ機動的に提供される体制の確立こそが効率的であり、また、利用者のニーズに最も叶うものであることを学んできた。
その活動の成果の一つが、一九九〇年スタートの介護力強化病院制度であった。この制度の下では、医療の過剰な関与は消失し、介護、リハビリ機能は不十分ながらも充実し、生活環境、特に住環境は時間とともに改善されつつあったように思う。
しかし、この制度が主に医療保険で賄われ、かつ病床としてカウントされていたために、老人医療費の増加、国際比較での病床過剰の元凶であるかように喧伝されるに至った。またその傍らで、要介護高齢者対応に必要な財源を確保するという名のもとに二〇〇〇年四月、介護保険制度がスタートした。
「懸念的中」
介護保険スタートにあたっての我々の最大の懸念は、せっかく軌道に乗りかけた「生活、介護、リハビリ、医療」の一体的提供体制が再び分離分断されるのではという点にあったといってよい。つまり財源窮迫を理由に、医療保険側からは「おまえ達は医療費で介護を行うとは何事だ」と介護を切り捨てられ、介護保険側からは「介護費用で医療を行うとはケシカラン」と医療を切り捨てられる展開になることであった。また効率化と称して介護や医療に特化した施設をつくり、各時点での病状により、施設間を移動させるといった利用者の心理的側面や人間的つながりを無視した非現実的な運用になることを憂慮した。
しかし今日、我々の懸念、憂慮はそのままの形で現実のものとなりつつある。
「多様な選択肢の用意を」
我々が問題にしているのは、老人病院の経営や制度としての存続云々ではない。実践を通して学んだ理念が一顧だにされない形で制度の変更が行われたことについてである。
また、超高齢社会の本格的到来を目前にした今、関係者が心すべきは、要介護高齢者の視点に立ってその対応と生産性を高めることである。その際最も重要なのは、要介護高齢者の多様な価値観に鑑み、多様なサービスの選択肢を用意することである。社会にとって豊かさとは選択肢の多さでもあると考えるからである。今回の制度変更はこの点でも流れに逆行する。しかし嘆いている場合ではない。会の設立時に立ち帰り、 自分達の手でモデルを作って実践し、夜明けを待とうではないか。
折りたたむ...本誌八十三号オピニオン欄に「老人専門医療への期待」を寄稿された社会医療研究所岡田玲一郎氏が発行している「社会医療ニュース」を毎月読み、氏の鋭く先見性に富んだご意見を、私の進路を探る羅針盤の一つにさせていただいている。
岡田氏には平成五年に、療養型移行へのシミュレーションというセミナーによばれたときに初めてお会いしたが、そのとき、「私の医療は私に決めさせて下さい」というLMD運動を知り感銘を受けた。
翌年の平成六年、岡田氏の主催するセミナーで、彼は「高齢者も障害者もこれからは住の時代、工場誘致などより在宅医療の促進が地域振興に貢献する」と話されていたが、十数年前に既に今日の状況を見通しておられる。
またそのとき、「病院には品性と風格が必要」と首都圏の二つの私鉄の対照例を挙げて、品性と風格の大切さを説き、「先進国でも通用する病院、人類に相応しい病院を」と熱く語っておられた。
この話に触発されて、品性と風格のある老人医療を目指そうと決心した。取り敢えず院内あちこち、職員の目につくところに「品性と風格」と記した色紙を飾った。間もなく職員の合言葉となり、たまに私が悪い冗談を言うと、「先生!、品性と風格!」と叱られる。あっ、そうそうご免なさいと苦笑して謝る。
地域社会の人たちが私たちの病院に品性と風格を見る日は訪れるのだろうか。何を心がけ、どんなことを実行すればそれに近づくことが出来るのか。
療養病棟には一般病棟とは違った良い雰囲気がある。それは高邁な権威に裏付けられた恐れ多いものではなく、心を和ませる安らぎの雰囲気である。これが療養病棟の品性と風格を形作る基本的な要素だろう。
ケアプランは老人介護を実践する上で重要なものだが、それ以上に大切なことは、心身の弱った老人に出会ったとき、その状態を我がこととして看護(介護)をするという心構えであろう。それを具現化するのに「和顔愛語」は欠かせない。和顔愛語のないケアに品性はない。
今回の診療報酬改定の影響は甚大で、全床療養病棟の当院は存亡の瀬戸際にある。しかし、行き場のない人を強硬に退院させるようなことは品性上許されない。かと言って、経営を破綻させる訳にはいかない。
ところで、介護難民の発生などないと国からのご託宣である。難民がでたとすれば老健施設に転換せずに潰れた病院の責任ということになるのだろうか。だが、新築したばかりの当院を老健施設に転換した場合、介護報酬で建築資金の償還と利払いを行うのは不可能である。
財政難は十分に理解しているつもりで、協力は惜しまないが、それにつけても医療区分1で植物人間状態の人を見ると心が痛む。
性急、拙速な改定の煽りで、生き残りをかけた懸命の模索が始まる。奇麗ごとで済まされず、なりふり構わない修羅場があるかも知れない。
けれども、この厳しい現実の中でもなお、「品性と風格」を貫く老人医療でなければ、病院存続の意義も自分の存在価値も霞んでしまう。
折りたたむ...一九九二年十一月、初めて海外の医療福祉施設視察のチャンスがめぐってきた。行き先はオーストラリア。シドニー、メルボルン、バララット、そしてゴールドコーストという東海岸縦断の二週間の行程である。老人の専門医療を考える会の会員である理事長、病院長によるツアーで、このとき初めてビジネスクラスに乗ったこともあり、非常にリッチ?な大名旅行だったように記憶している。このときには、まさかオーストラリアが第二の故郷のような存在になるとは夢にも思わなかった。
しかし、それまでの人生の中でも、何か運命的なものを感じるオーストラリアとの接点があった。私が生れたのは、一九五六年で、この年、メルボルンでオリンピックが開催されている。上の妹が四年後のローマのときに生れ、それを両親がいつも自慢げに話していたので、メルボルンは身近な存在となった(因みに下の妹は東京オリンピックというわけにはいかず、埼玉国体の年に生れた)。小学校の夏休みの宿題では、紙粘土による創作で大陸を作ることになり、迷わずオーストラリア大陸を選んだ。その理由は非常に単純で、高い山がなく、国全体の形がシンプルだったからである。お陰でオーストラリアの国のイメージは、今も紙粘土で作った板の上の大陸である。
もう一つ忘れてならないのが、白豪主義という言葉である。若くて純粋だった頃、人種差別に対する異常な嫌悪感があり、その矛先が「南アフリカ」と「豪州」であった。特に「豪州」の「豪」の字が持つイメージが子供心にとても耐えられなく、こんな字を使う国に行ったら、日本人はきっと殺されてしまうと本当に信じていた時期があった。良いイメージばかりでなく、何か怖ささえ感じるダークなイメージもオーストラリアからは感じていたのである。
とにかく、最近十年間はオーストラリア以外の外国にはまったく行っていなかった。法人の職員研修もシドニー・タスマニアを中心に毎年開催し、すでに延べ一五〇名近いスタッフを連れて行っている。それほど私にとっては仕事の上でも癒しの場としても魅力的な国がオーストラリアであり、特にタスマニアのADARDS、Dr. John Toothからの「教え」は私にとっての宝物である。「教え」の一部を紹介しよう。
八月末に全国老人デイ・ケアの海外研修旅行の行き先をオーストラリアからオランダ・ベルギーに変更した。決してオーストラリアへの想いを捨てたわけではないが、医療保険・介護保険の改革や療養病床の行き詰まりに直面した今、何か自分の殻を破るチャンスを求めた結果である。オランダの奇跡(ダッチモデル)といわれるEUのお荷物から優等生へのドラスティックな変身と、数年前にリハビリテーションケア研究大会で知ったオランダの保健医療制度を実際に見てみたいという気持ちから小倉リハビリテーション病院の浜村先生に相談したことがオランダを研修先に選んだきっかけになった。
実際に行ってみた感想は、オーストラリアとはまったく違う次元の感動を得ることができた。ベルギーの文化も肌に合う。しつこい性格の私のことなので、おそらくこれから毎年のように訪問することになると思う。その理由は…改めて紹介する機会を作りたいと思っているので、乞うご期待!
折りたたむ...厚生労働省の医療制度改革関連法成立前後のドタバタは、はっきりいって不安だ。直接の要因が財政の立直しにあり、政府の基本方針自体が社会保障の見直しに向かっているのであるから、いたしかたない部分もある。しかし、昨年九月の総選挙後の一年間を総括してみれば、厚労省の出遅れ、後手対応は明らかで、方針はあるのであろうが、中身が薄い。
後期高齢者の一部負担や高額療養費のアップは明確だが、現役なみの所得であれば三割というのは、今後介護保険に飛び火する危険がある。
平成二十年四月施行予定の後期高齢者に対する「高齢者医療制度」にいたっては、いったいどうするつもりなのであろう。まったく中味もなく、法案を創る前から成立できる可能性がないようにもみえる。
おまけに、療養病床再編については「患者が施設から追い出され介護難民の発生が心配」ということを公然と厚労省幹部が発言するにいたっては、「そんな不安があるならどうしてもっと慎重に進めないのか」といいたい。過去の例からみても、役人は絶対あやまらないし、なんと「結果はまずまずであった」と自画自賛することが常である。
ただし地域ケア整備指針構想の策定はスケジュール通り進んでいるらしい。なにしろ療養病床再編を踏まえた地域ケア体制の考え方や将来的ニーズを推計し、療養病床転換を進める指針とするというから驚きだ。
考えるまでもなく、後期高齢者はこれから急激に増加する。多分、在宅ケアを充実しても、一時的には施設不足という現象をさけることができない。だから、介護療養病床を廃止するものの、療養病床全体を他の施策に再編するといっているのであろう。その場合、厚労省の本音は、施設入所者を増加させたくないのであって、中重度者の在宅ケアに注力したいというものだ。そのための錦の御旗になるのが地域ケア指針であればきれいな絵がかける。
しかし、出だしはそうであっても、最終的には都道府県別に施設別の定員数の上限設定や、在宅ケア対象者の目標人数を設定するだけになる可能性がある。これは単なる憶測ではなく、二十年前の地域医療計画が、結果として病床開設制限を強権的に進めようとして、全国で駆け込み増床を誘発させ、その結果地域医療の混乱と、その後の病院大量倒産時代の幕明けとなった状況とあまりににている。
介護保険制度は、建前としてニーズを推定し、サービス提供量を介護保険事業計画で定め、それに基づき保険料を算定する仕組みになっており、サービス開始には要介護認定システムもある。この意味では、医療保険制度よりましで、地域医療計画ほどひどいことにはならないと考えているのであろう。
では、これまでの厚労省のニーズ推計はあたったためしがあるのか。人口推計、年金制度の設計、医療費推進をはじめ、ほとんど当らなかったいってもよい。国の経済計画でさえ実態と合ったためしがない。経済・社会は、生き物であり、机上論を根拠にコントロールしようとするのは、あまりにも幼稚ではないのか。
仮に、地域ケアのあり方を真剣に検討するのであれば、どのようなケアによって重度化が予防できるのかとか、在宅ケアの効果的技術で利用可能なものはなにか、逆に施設入所にならないための地域の医療、看護、リハビリテーションはどのようなものか、そして介護予防と病病予防の効果を証明できるのか、あるいは地域ケアを進めるための『地域』への働きかけは何が有効かといったことを科学的に研究すべきである。
地域ケア整備指針を『大本営発表の数合せ』にしてはならないし、単なる抑制策に終始してはならない。
折りたたむ...![]() |
×閉じる | ![]() |