老人医療NEWS第85号 |
平成十八年は医療制度改革、診療報酬と介護報酬の同時改定の年であり、我々、医療・介護サービス従事者は少なからず期待を抱いていた。しかし、療養病床を再編、六年後に介護療養病床を廃止し、老人保健施設等に転換させるという「医療制度改革法」が成立してしまった。まさに、青天の霹靂である。いかにも唐突であり「ハシゴ」をはずされたと思っている病院経営者も多いと思う。
現在、市町村では介護保険料は徴収するけれどもサービスは使わせないという状況になっている。「保険あってサービス無し」の状況である。介護保険制度が破綻しているといっても過言ではない。
今日の病床過剰、病床再編の背景には、一九八五年「第一次医療法改正〜地域医療計画〜」の際の駆け込み増床にその遠因がある。その結果、二〇〜三〇万床ともいえる過剰増床が生じ社会的入院の温床となってしまった。結果的に過剰病床が高齢者の住宅の役割を果たすようになった。つまり、行政は高齢者の医療と高齢者の住宅政策にボタンの掛け違いをしてしまったのである。
今、行政はこのボタンの掛け違いを是正すべく「量」の整備から「質」への転換を図ろうとしている。今回の療養病床三十八万床に限らず一般病床九〇万床を平均在院日数二週間前後の急性期病床として機能特化してゆくと、必ず四〇〜五〇万床の療養まがいの病床が出現してくる。それらの病床に関しても同様に、再編案が浮上してくるであろう。要するに、病院をダウンサイジングして箱物の医療保険の世界から箱物の介護保険の世界を経て、有料老人ホーム等の居住系サービスに転換させようとするのであるから、当然、介護費用は増大する。
しかし、増大する介護費用よりも減少する医療費用の方がはるかに大きいから、トータルの社会コストは減少するはずである。
既に述べたように、現在の市町村財政に、増大する介護保険の財政負担が出来るわけがない。市町村は有料老人ホームやグループホーム等の居住系サービスの整備に待ったをかけている。政府は医療費を制限すべく、病院のダウンサイジングに加速をかけるようアクセルを踏み込むが、市町村は介護費用増大を抑制するため必死になってブレーキをかけているという構図になっている。これでは前に進まない。
厚生労働省の二〇〇九年四月の「第四期介護保険事業計画」で参酌標準を見直すというが、削減してゆく医療保険の財政と、それと連動して増大してゆく介護保険の財政、そして国と地方の財政の間を上手に調整して流れをつけてゆかないと、一連の政策が行き詰まってしまうのは火を見るよりも明らかである。保険局と老健局がややもすると対立しがちな一枚岩でない今の厚生労働省に、それを期待できるのであろうか。
私の心境としては、迷走する政府指針にいちいち関心を示すよりも、今、目の前にいる患者様・利用者様のためのサービスを充足してゆく方が大事だと思っている。
人間万事塞翁が馬の心境である。
折りたたむ...入院患者さんにリハはやらない?
先日、地域のある会合で某病院理事長の次のような発言を聞いた。「うちはリハを充実させてきたが、今回の診療報酬改定で割が合わなくなった。今後リハは外来のみにすることにした」
それを聞いて「えっ、待てよ。少しおかしくないか。それでは今までやってきたことは一体何だったんだ。入院患者さんに必要だったからやってきたんじゃないのか。患者さんが入れ替わった訳ではないのだから、続けなけれりゃいけないんじゃないの」と言いたくなった。
金勘定で診療を変えてはいけない
それまで適応の人にリハをやっていて、以降同じ適応の人にやらないのなら、以前が正しくて以降が間違っている。逆であれば、以前が間違っていて以降が正しい、と言うことになる。診療報酬の改定によって診療内容をコロコロ変える経営者はけしからんと言うのが感想であった。
経営者の腹の中を憶測する
しかし、経営者の立場から考えれば、霞を喰って生きていくことはできない。職員の給料を払うためには収入につながることをしなければならない。医の倫理も営利は否定しているが、この程度は許されるだろう。
次のようなこじつけで診療内容変更の正当化が可能かもしれない。診療報酬体系の変更があった訳だから、リハが適応から適応外に変わったと厚生労働省が判断した。だから以前も正しいし以降も正しい。
なるほど、これまでも有用とされていた薬剤が、検証の結果有用性を否定され、ある時点から薬価収載から外された例もある。我々には良く分からないことが多く、それまで正しいとされていたことが、後に間違いと分かることも多々見てきた。しかし、きちんとした根拠があって初めてそのような転換は可能となる。
患者さんに説明できない
今回のリハの有用性否定はきちんと検証された訳ではなかろう。我々は患者さんやご家族に「リハは昨日までは有用と考えられていましたが、今日から有用でないことが分かったのでやらないことになりました」と、どの面下げて言えるであろうか。それでは患者さんの信頼は得られない。
医の倫理にも反する
「医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、やさしい心で接するとともに、医療内容についてよく説明し、信頼を得るように努める」(日医の「医の倫理綱領」三項)には明らかに反するであろう。
医の倫理に反し、人々の支持を得られない医療機関には「某理事長さん、そんな医療しかできないのであれば、あなたは医業から手を引いて、退場しなさい」と言われることになろう。これは神定の意見ではなく、世間の声である。
時代は我々にとって、どんどん厳しくなっていく。毎日の判断を厳しくしないと、自分が退場勧告される立場になりかねない。
折りたたむ...臨床心理士はクライアントの抱えている心理的不安・問題などに対し、心理検査やカウンセリングなどを行う心の専門家で、文部科学省認定の民間資格である。四年間大学で心理学を専攻した後、日本臨床心理士認定協会の指定する大学院修士課程を修了したものが受験資格を得る。
現在日本では、約一万五千人の臨床心理士がいるとされ、その主な活躍の現場は、医療・教育領域である。医療現場においては心理検査や心理療法、教育現場では心理教育などを行っている。
保険診療としては、精神科で心理・精神検査が診療報酬に収載されているのみで心理カウンセリングなどは、保険診療と認められていない。そのため、臨床心理士は病院などでは見る機会が少なく、大学病院の精神科などで見かける程度である。
私はこの臨床心理士の存在を知り、当院への導入を検討するため、臨床心理学の大学に足を運んだ。何人かの教授から、実際の臨床心理士の役割、実績、活動等を教えていただき、病院でのその必要性を強く感じたため、平成十六年四月から一人の臨床心理士に赴任してもらった。
赴任当初は障害受容やせん妄状態改善に向けての個人心理療法から手をつけてもらった。私自身、臨床心理士に会ったことがなかったし、臨床心理士も病院での勤務経験はなかった。病院スタッフもはじめは大きくとまどっていた。
しかし、患者様のニーズは驚くほど大きく、日々の身体のケアに追われている看護師や単位の消化に追われているリハスタッフが、その存在を知るにつれ、必要性が理解されてきた。
その後、イメージ療法やアートセラピーなどの集団心理療法にも手を広げ始め、さらにご家族へのアプローチも開始した。
だんだんと臨床心理士の存在が病院で大きくなると患者様たちに変化が起こった。眠剤の使用量が減り、夜間のナースコールが少なくなった。泣いていた患者様が笑うようになった。自分から進んで臨床心理室のドアをたたく患者様が増えてきた。たった二年間で、病院での臨床心理士の仕事は膨大なものになり今年の四月からもう一名補充し、現在は二名体制で行っている。
医療の中でも、ことリハビリにおいては、患者様のモチベーションの高さがプログラムの進歩に大きく左右する。脳血管疾患などで治ることのない障害を受けた患者様の喪失感・絶望感は想像にしがたいものであり、そこから残存機能の補完に向けてリハビリに対して前向きになるまでは相当のエネルギーが必要であることは間違いない。
また、認知症に対しても、その個人の生き方を踏まえた上での継続的なかかわりをしていくことで、混乱を落ち着かせ、心理的な安心感を取り戻すことができる。しかし、その心理面でのサポートの多くは、医師・看護師などが片手間に行っているのが現状ではないだろうか。
今回の病院経営を根底から揺るがす保険改正で、療養病棟での要医療度が激増することになる。医療・看護はますますその病態・病状管理に集中するようになり、ますます患者様の「こころ」は置き去りにされる危惧がある。
そのミッシングピースが病院での臨床心理士ではないかと感じている。経営的には収入の期待できない人件費となるが、患者様・ご家族への認知が高まれば、心までもケアする病院として周知されるようになり、おつりのくる効果ではないかと、都合よく考えている。
今後、医療現場での臨床心理士の活躍が楽しみでならない。
折りたたむ...診療報酬・介護報酬同時改定の波は、ナース不足の嵐になりそうだ。急性期病院の七対一看護の新設で、大学病院や大規模急性期病院が来年に向けて大量に看護師の採用を計画していることが元凶だろう。
一〇〇床当たり五〇人のナースを七〇人に増加させるということは、四割増員ということになる。平均勤務年数を五年とすると、入替え要員が一〇人必要になる。こうなると来年は一〇〇床当たり三〇人採用ということになる。これまで二・五対一とかで、平均勤務年数が三年などという大学病院では、一〇〇〇床で五〇〇人の採用という事例すらあるという。
こんなこともあって全国の養成校には、日本中からリクルートのために病院職員が日参する。ナース急募の嵐だ。新卒だけで対応することは、だれの目にも困難であるため、「あらゆる手段でナースを集める」という強力な指示が急性期病院職員に投げつけられているという。
夏のボーナス後に「故郷に帰る」というナースがいる。話を聴いてみると「県立病院に勤める」とか「市立病院」という。われわれ民間病院から公立病院へナースが流れていく。数年前「老人看護をやりたい」「これからはリハビリテーション看護だ」「将来訪問看護師になりたい」といっていた新卒のナースたちが、今、故郷に帰るといい残し公立急性期病院に再就職することをとめることはできない。ただ、ただ残念だ。
療養病床も五対一から四対一へという流れがある。こちらも二割以上ナースの増員が必要になる。どこの療養病床もひとまず四対一をめざすので、このことからもナース不足が生じる。いってもしょうがないことなのであろうが、なぜこんな急激な変化を起こして混乱させてしまうのだろうか。厚生労働省は労働政策も担当しているはずで、官製市場で勝手きままな政策を展開されてはこまる。
わが国の看護労働市場が、国公立公的を中心として展開されてきたことは事実である。つまり、看護労働の主役は公務員労働ということになる。民間病院と公立病院の賃金格差は明らかにあるが、最近では民間の労働環境もかなり整備され、新卒五年目の比較では、賃金格差の幅は少なくなってきていると思う。ただ、民間病院は、新卒者より転職者が多く同一病院の勤務年数が比較的短かいことと、准看護師の比率がどうしても高いため、格差が大きくみえる。
公民格差ということでは、給与面で明らかであるものの、民間病院でも必要なナースはどうしても確保しなくてはならないので、給与面で改善する民間病院もではじめている。ナースの給与が改善できることは、いいことである。少なくとも公民格差を縮小する方向で対応したいが、多額の公的費用を無反省に投入している公立病院が、七対一をめざしてなりふりかまわずという姿勢は、どうしても疑問である。
わが国の急性期病院看護と比較的長期間の高齢者専門看護とは、かなり差がある。はっきりいってナースの差が高齢者ケアの差であるといってもよい。急性期看護はいそがしいし、医師の補助業務も多く、必ずしも看護の技が正当に評価されているとは思えない。高齢者ケアでは病棟の看護マネジャーが大きな権限を持つし、そのリーダーシップが重要である。心技体も知情意も全て発揮して高齢者ケアの質の向上をめざすことが使命である。
高齢者ケアの現場にいるナースは、医師ばかりか介護福祉士や臨床栄養士あるいはリハビリテーション職員とのチームケアが前提である。そのために教育研修が必要である。
我々が、今後とも一層、各種研修を進め高齢者専門看護を確立することが必要であると思う。
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