老人医療NEWS第84号 |
今から二十三年前に「老人の専門医療を考える会」が結成された。「過剰な診療をやめる」「医療法等の医療関連法規を遵守する」「入院設備、食堂など施設を整備する」「SW、リハスタッフを積極的に採用する」「老人の人権を守る」と宣言し、付き添いの廃止、介護職員の院内化や投薬等の適正化を進めた結果、平成二年に特例許可老人病院入院医療管理料(介護力強化病院)が制度化された。その後、平成四年の療養型病床群の制度につながっていった。現在は医療療養病床と介護療養病床に区分され、厚生労働省は医療療養の対象には回復期リハを要する患者や難病患者を具体例として掲げ、介護療養は要介護者で医学的管理を伴う者、糖尿病や認知症の合併した者、経管栄養を要する独居者等とした。そして、医療療養の一部は回復期リハ病棟に移行していった。
しかし、医療と介護の患者の状態に差がないと指摘され、介護療養では要介護度による報酬格差が存在するが、医療療養では手のかかり具合で同一報酬であることに疑問が出始めた。以上が療養病床の歴史であり、誰しもが介護療養の廃止など思いもしていなかった。そもそも福祉施設の整備が立ち後れた我が国において、その肩代わりをしてきたのは老人病院であるとの自負があった。悪名高い老人病院から脱皮し、付き添い看護の廃止、療養環境の整備、ケアプランの策定、リハスタッフ・SW人員の強化、在宅ケアへの進出など、二十年にわたり変革の努力を惜しまなかったからである。しかし、昨年十二月の医療制度改革大綱以降の一連の流れにより、医療療養病床は医療的重症者に対応する仕組みに変わり、平成二十四年に介護療養を廃止することが確定した。これは医療給付費を削減せねば保険制度自体の破綻が予測されることによる。また、現状維持では急性期医療の荒廃化が生ずるため、慢性期入院医療費を削減し急性期に振り替えざるを得なかったことにも起因する。別の言い方をすれば、世界に冠たる国民皆保険を維持するため、コスト高の病院病床の削減と医療機関への受診数を削減しつつ、国民が安心できる医療サービスを確保するというウルトラCを実践することに他ならない。それには多くの医療スタッフが今以上に汗をかき努力するしかない。実現するには相応の期間が必要なのである。
ところで、今回の各種の改定は抜本改革の入口であり、今後も変革は進むであろう。介護療養が老健、ケアハウス等へ転換した後はどうなるか。介護保険施設の食費と居住費の自己負担が増加したことは、施設と在宅(居宅施設を含む)との境が不明確となってきたことを意味する。将来、介護保険施設の名称は形骸化し、すべて特定施設として在宅と同等になることもあり得るだろう。
このように考えると、今後の十年間は今以上に質の高い高齢者医療サービスを構築する戦いとなる。この戦いに勝利するには、老人の専門医療を考える会は、損得抜きで先頭に立ちエネルギッシュに活動する若き志士達が中心となる第二ステージに突入したと考える次第である。
折りたたむ...平成十五年・十六年の二年間、三十九床の「個室・ユニット」の中で、年に十二名の方をみおくった。癌を患いペインコントロールを必要とする患者さんの最期も看取ることができた。十五年に看取った十二名の方は、半数近くの方が一ヶ月以上の点滴による補液を行っていた。ところが、十六年には「口から食べられなくなったら終わりだ」という考えの下に、経口摂取の見直しを図ることで、長期に点滴を行った利用者は激減した。
平成十七年十月の介護保険の改定で、栄養ケアマネジメント加算が導入された。当院では、医師、看護師、管理栄養士、言語聴覚士、理学療法士等のスタッフが、栄養ケアサポートチームを組み、栄養、全身状態の改善を目指しながら、生活の質を向上させていく試みをしている。嚥下内視鏡で、嚥下機能を評価し、経管栄養から経口栄養摂取に向けてのサポートもしている。実際に、リハビリ専門の病院で見放されて、当院に転院してきた方が、七ヶ月足らずの間に、経管栄養から自力での食事が可能になっただけでなく、体力も向上し歩行訓練を受けることができるようになっている。他の介護施設と異なり、多様な職種がチームで関わり、「個室・ユニット」で、スタッフをユニットに固定し、利用者と馴染みの関係を築くことで、情報を共有し、些細な変化をつかむことが出来た結果と考えている。
昨年十二月に突如として原則介護療養型医療施設の六年後の廃止が発表された。驚いたことに約九割の患者が一般病床で最期の時を迎え、約八割の利用者は週一回以下の診療しかうけていないという。これでは施設に医師は必要ないといわれても仕方がないと思われる。「個室・ユニット」の中での看とりが増えてくるにつれ、重症者ほど必要性を強く感じていた我々にとって本当に意外であった。「個室・ユニット」になることで、「生活の場」の中での看とりが実現し、家族は最期の時を、自宅にいるかのような感覚で迎えることが出来るようになった。家族を支援することもスタッフの役割の一つとなり、その関わりの重要さも学んでいった。家族もスタッフのケアに励ましの言葉をかけてくださるようになり、互いに利用者を支える体制ができてきた。そしてお互いの信頼の中で、必要な医療のみを提供した結果が点滴の激減に繋がったのである。「個室・ユニット」は外山義先生が言われていた「自宅でない在宅」である。
「施設」から「在宅」へのこれまでの大きな流れは、ひとつにはお金にあった。しかし今回の改正で、要介護五の利用者の場合、在宅での介護保険の利用限度額は三十五万八千円であるのに対し、介護療養型の「個室・ユニット」では医療を包括しても約三十九万七千五百円である。「個室・ユニット」の中で行っている医療、看護、介護を個別に合算すれば、六十万から百万になる。一人暮らしの重介護者にとっては、施設が絶対に必要であり、また、住居費、食事代を給付外としたことにより「施設」と「在宅」との間には大きな差は見られない。「在宅」が多様化する中で、「施設」と「在宅」を分けることの意味は希薄になったのではなかろうか。会員の中に、「新型特養」と同じ療養環境をもった「自宅でない在宅」の「施設」が増えることを願っている。
折りたたむ...介護保険病棟のカルテを見ていたら、「尿中Bence Jones蛋白・・」の検査指示。診断のための検査と知り、担当医に「それなら血清蛋白免疫電気泳動じゃないの?」「検査代高くつくのじゃないかと思って・・・」
老人医療に最近携わり始めた友人医師のつぶやき「定額報酬からいろいろなコストを引き算したら、一人一日千円ぐらいしか薬剤費用にならない。」さらに「中心静脈栄養のコストなんかどうやってだすの?」
当院のインフルエンザワクチンの料金が噂によると、市内で一、二の安さらしい。なにも原価割れしているわけではない。多くの患者様に接種してほしい気持ちの表れと地域サービスの一環。でも、自由価格の設定というのは誘惑だ。保険診療の枠を外れると、「そろばん」のはじき方が上達するのかもしれない。
小樽にもやっと春が来た。それにしても、この冬は寒さも雪も厳しかった。一晩に三〇センチ以上もの降雪。通所リハビリのスタッフは車にプラスチックのそりを積み込む。玄関から車までは車椅子が使えるはずもなく、「おんぶ」、それでも遠い時には「そり」。スタッフも利用者様たちも病院に到着すると、ほっとするやら疲れきっているやら。送迎時間も通常の倍かかることもある。四月からはこの送迎加算も廃止とのこと。
病院の駐車場にも雪は積もる。重油ボイラーで不凍液を舗装の下のパイプに回す、いわゆるロードヒーティング。患者様サービスだ。追い討ちをかけるように、この冬の原油代の高騰で、重油代も単価が一・五倍を超えた。寒さで暖房も全開、重油使用量も過去最高。
ロビーコンサートが六〇回を超えた。プロのエンタテインメントが原則。素人芸を患者様に提供するのは、失礼との思いから始めた。でも、ライブの音は心にしみる。ジャズトランペットの伴奏で「ふるさと」を歌っている患者様をみると、今後も続けようと思う。もちろん、プロだから、ギャラは発生。エンタテインメントは道楽なんですね。
通所リハはゲーム会社「ナムコ」プロデュース。「妖精の森」というコンセプト。ゲーム機を活用したリハ。リハビリエンタテインメントと呼ばれている(らしい)その支払いも今年でやっと終わる。支払原資は介護保険ではもちろん担保されない。でも、「モグラたたき」で息を切らしている利用者様を見るとうれしくなる。
通所リハの三時から三〜四〇分間はカラオケの時間。スタッフのあまりにへたくそな歌が耳に入り、自ら臨時歌手に。「青い山脈」「北国の春」「北の漁場」は定番。カラオケ機器は、大手カラオケメーカーから購入したスナックにあるような本格マシン。歌もそうだが、テレビ画面の画像が昔の映画。最近は副院長、事務の役職者たちも参加してくれる。
「診療報酬」だけで病院経営を割り切ると、「お金」にならないことが切り捨てられていく気がするのは私だけだろうか。診療報酬改定のたびに、このコストは取れる、取れないで右往左往する。しかし目の前の患者様は必要なことを求めている。
私が「老人の専門医療を考える会」の幹事会に参加させていただいて三年目になる。老人医療に、あふれる情熱とこれ以上ない真摯な気持ちで取り組んでおられる諸先生の発言を聞きたくて足を向ける。「良質な老人医療を提供しよう」という日本を代表するような老人医療の先生方の発言からは「目先の報酬」より、逆に「報酬がついてくるような医療」を先駆けて行おうとする先進の心意気がうかがえる。
いい医療・いいサービスを提供してゆけば、きっと報われる。これこそ報酬という言葉の真の意味。信念を持ってこれからのダウンサイジングの老人医療の世界を前向きに生き延びて行きたいものだと考える毎日です。
折りたたむ...今、医師の需給問題が議論されている。直接の問題は、産婦人科医や小児科医の不足で、マスコミに取り上げられる事も多くなった。ただ、医師数は増加しているにもかかわらず、医師不足は深刻だ。犯人は臨床研修医制度の義務化に伴う、医局講座制の崩壊が原因だと考えられているらしい。
医師にとって臨床研修をどこでおこなうかと言うことは、生涯を左右するかもしれない大きな判断である。細かいことはわからないが、卒業生は大学で臨床研修をするよりも、しっかりした急性期病院で研修することを望んでいる。その結果、大学に残る人が少なくなり、大学としては派遣先から医師を大学に呼びもどし講座を維持しようとするものの二年間入局者がいない講座さえある。
本当なのかどうか確かめようがないが、民間病院に大量に移籍しているとも考えられないし、多分、開業指向が強いのではないかと思う。医局で過重労働を強いられ、低賃金でポストもなく、世間が考えているような良い職業ではないと思う医師が多いことは事実であり、誰にとっても不幸だと思う。
今の医学生は、今流の若者であり、特別な人達だと考えてはいけないと思う。まして「我々が学生の時代は」などと言ったところで、何も解決しない。ただ、かっての我々がそうであったように、若者は将来とか、流行に敏感だし、ちゃっかり計算しているものだ。
おおざっぱに言えば小児科医は約一万五千人、産婦人科医は約一万人だ。このうち、女性医師は小児科で三割強、産婦人科で二割強だ。よく知られているように眼科医の三十八%、皮膚科医の三十七%は女性医師である。女性が相対的に多いことが問題だと言うつもりはないが、事実として医師という職業が身体的にハードな職業であり、これまでは男性優位の職業であったことは事実である。
小児科医不足と女性医師の割合が多いことが、どのように関連しているのかどうかは、良くわからない。ただ、小児科医の実人数も人口あたり人数も、そして小児一〇万あたり人数も増加している。逆に産婦人科は減少が著しいが、奇妙なことに年間出生数あたりの産婦人科医師数は不変と言ってもいい。
世の中には色々なことが起こるが、世間は需給関係が明確で、アダム・スミスが見通したように、神の見えざる手によって、市場は自律的に調整されるのであろう。
医師の需給の事をくだくだ書いてしまったが、実は将来の老年専門医に強い不安があるからだ。
わが国で専門医として、五百人程度の神経科医、七百人弱の小児外科医、そして七百強の心療内科医の先生達がいる。では、我々がめざしてきた老年専門医は何人いるのだろう。それ以前に重要なこととして、我々は、老年専門医の本格養成にどの程度貢献してきたのであろう。
多くの医学生の後輩に小児科医や産婦人科医をめざして欲しい。ただ、世界的に類をみない急激な高齢社会を体験せざるをえないこの国の医師として、老年専門医も選択の範囲に入れて欲しい。何よりも、患者さんの全身管理ができ、リハビリテーション科や老年精神科を学習し、地域医療のリーダーとして、そして何よりも老年専門医として地域社会に貢献して欲しい。
若者は将来に敏感で、ちゃっかり計算しているのであれば、老年専門医は重要な選択対象であるはずだ。それにもかかわらず、老年専門医をめざす医師が少ないというのであれば、そろそろ我々の手で本格養成を考えなければならない。
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