老人医療NEWS第75号 |
介護保険関係で、施設および居宅高齢者に対する栄養・食事サービスのマネジメントに関する研究が始まることとなり、このための研究班が構成される予定である。また介護予防事業でも栄養状態が取り上げられようとしており、高齢者の栄養に関心がもたれていることは、望ましい方向である。しかしここで重要なことは、食事はその人の生活であり文化であるということを忘れてはいけないことではないだろうか。
平成八年頃から高齢者の栄養管理に関する研究が急速に始まった。その研究では、米国の研究を参考に血清アルブミン値が三・五mg/dl以下は蛋白質・エネルギー低栄養状態とし、これを日本に当てはめると慢性期病院や施設にいる人の半分以上が栄養失調状態であると言われた。
この状態を改善しようと介入試験が行われた。これは高齢者の状態調査や高蛋白の栄養付加などを行い蛋白質・エネルギー低栄養状態を改善する目的であった。
介入試験中、栄養士も看護スタッフも患者さんが少しでも多く食べるように工夫し食事を介助している姿と、お膳を前に戸惑う患者さんの姿をみてふと思い出したことがある。
私は数年前にペントシリンのアレルギーで急性肝炎になったことがある。三週間ぐらい入院したが最初の一週間は空腹感もなく全く食事がほしいとは思わなかったし何も受け付けなかった。しかし看護職員は、何か食べろという。食べないと早く回復しないのでとにかく食べろという。栄養課職員はいろいろな料理を作ってくる。
心配してくれているのはよくわかるが、全く余計なお世話であり迷惑以外のなにものでもなかった。体重が四s減りそのまま維持しようと思ったが、回復するとたちまちもとの体重に戻ってしまった。治療のためとはいえ食べる気がないときに無理強いすることは、返ってその人の回復力や免疫力を弱めることになりはしないだろうか。
高齢者も生活全体を見て食事のことを考えないといけないと思う。単に栄養状態の数字で栄養指導や食事の内容を決めるのは間違っている。また、食事は一日三回、朝食は八時前、昼食は十二時、夕食は六時以降などと決めることがどんな意味を持つのだろうか。一日二食でもよいし、ご馳走の日、お茶漬けの日とか、日曜の朝食はなくてもよいという柔軟な考えがよいと思う。
診療報酬の特別管理加算があるからということで九〇%以上の病院や介護施設で実施されている夕食六時以降、適温給食も真に効果を挙げているのか、看護・介護を含めて総合的な再評価を行う必要があると思う。
食事を保険給付の対象外にしようという動きも現実味を帯びてきており、食事の提供のあり方を考え直す時期に来ていると思う。もっと自由に豊かなおいしい食事を食べることができれば病状も良くなり、回復力も向上し、患者さんの生きている喜びが増すのではないかと考えている。
折りたたむ...今、東京の在宅医療の惨状を大画面で見ている状況です。病院であれ、診療所であれ、医師から的確な病状説明を得ると言うのは、都民にとって困難な場合が多いようです。臨床経験の深さと経験年数は全く相関性もなく、諸所に自前の医療を勝手流に提供されているようです。
例えば、軽度の失語症の人が、首の調子が悪いので近くの診療所で相談したら、よく診察もせずに感冒とのことで投薬を受けていました。回復が思わしくなく別の病院を受診したら、変形性頚椎症の診断で「床上安静」で入院加療させられてしまいました。トイレに行きたいと訴えても「持続導尿をしているから、安心しろ!」と言われ、果ては身体拘束を受ける始末です。その後は仙骨部の褥瘡・被害妄想などが出て、家族の強い希望で自宅退院となりました。
この方が当クリニックに相談にみえたのですが、前院では入院後の説明もなく、時期が来た(?)ので退院許可を出したのでしょうが、こんな病院がまだあるのだなあと思いました。
また、中規模以上の病院からの紹介利用者についても大同小異で、服薬指導は出来合いのプリントを渡すだけ、検査結果は尋ねても説明せず、「概ね大丈夫」の一言。病態の説明に至っては、家族にもほとんど行わないような状況です。
歩行困難一つにしても、神経内科に行けばパーキンソン症候群で抗パ剤、整形外科に行けば脊柱管狭窄症でブロックや消炎鎮痛剤・ノイロトロピンなど、どちらも後はリハビリが必要ですということで、当クリニック紹介となっています。その多くは廃用症候群が重なっています。加齢によるものが主体であったり、脊髄小脳変性症であったりと様々ですが、内服薬の要らない人がほとんどです。
そんな折、十年ほどアメリカで働いていた虎の門病院勤務医時代の同期の看護師が三年位前に帰国しており、こんなメールをくれました。
『外国人から見ると日本の医療体制は疑問が一杯です。外国人社会の中にいると何度も日本の医療への批判を聞かされます。辛辣ですが、彼らが言っていることが本当なので何も言い返せません。私も日本の医療をあまり信用してないのが本音です。
今勤めている学校の学園長が、七月にフィリピンで乳がんの手術をしました。五月頃、保健室に来て、胸のしこりが気になるから見てくれというのでチェックしたら、大き目のしこりがあったので、家族歴もあることから早急に病院にいって調べるように勧めました。彼女はすぐ近くの病院に行ってエコーをしてもらいました。「結果は異常なし」ということでした。
そして夏休みでフィリピンに戻ったとき、そこの病院でみてもらったら、最初はわからなかったのですが、家族歴もあるのでもう一度やってみたら癌が見つかり手術ということになったようです。
なぜ日本の医療でそこまで考慮して検査できなかったのでしょうか。このケースは特別な例ではなく、何件もそういう話を聞きます。これは、日本の医療が患者中心の医療じゃないから?一人一人の患者を親身に診ていないから?
この間も朝日新聞で「いまどき、乳がんで死ぬ人はいないと医者が笑い飛ばしていたのに、数ヶ月後にその医者の妻が乳がんで死んだ」という記事が載っていました。
これってやりきれないですね。アメリカなら訴訟ですよ。』
折りたたむ...私は、一九六七年(昭和四二年)に大学を卒業し、二年間の留学生活を含め足掛け二十七年間、大学と総合病院で脳神経外科の基礎研究と臨床を行い、一九九五年(平成七年)から慢性期医療(老人医療)を行う現在の病院に勤務している。早いものでこの仕事を始めて九年七ヶ月が過ぎた。
赴任して感じたことは、一般医療が医療の中心であり、慢性期医療はその副次的なものという考えが、職員全体にじわっとはびこっていることであった。私自身その空気の中に片足ぐらい入りかけていたようにも思える。
これは、医療内容の性格上やむをえない面はあろう。しかし、そのことによって、病院の役割が不明確になり、ただ漫然と業務をこなしていくということでは、慢性期医療そのものの役割と社会的責任さえ見失ってしまいかねない、と私自身思い始めた。そしてそんなことでは何よりも当院を選んでくれた患者様とご家族に申し訳ないことであった。
その後、職員の協力の下、「身体拘束廃止」、「終末期医療の取り組み」、「褥瘡の予防と治療」、「病棟再編」、「リハビリテーションをすべての患者様へ」、「日本医療機能評価機構の受審」、「ISO9001,14001の登録」、「車椅子の工夫」、「嚥下造影と嚥下訓練」、「特殊疾患療養病棟の取り組み」、「胃ろうへの積極的な取り組み」、「口腔ケア」、「在宅支援」、「職員の研修、研究の奨励」等の取り組みを行ってきた。職員はこれらの取り組みに、良くついてきてくれたと感謝している。
このような中で、第十二回日本療養病床協会全国研究会札幌大会を本年九月十日、十一日に主宰させていただいた。私はテーマを「療養病床の近未来〜北の大地からの提言〜」とした。
この会は私どもがこれまで培ってきた底力を示す良い機会と考え、また、このような機会を与えてくれた関係者に感謝しつつ大会準備を進めた。後は怖いのは、台風だな、と半分冗談をいっていた矢先に本物の台風がぐんぐん北上してきた。これはまずいと内心びくびくした。しかし、幸いなことに九月八日には台風はオホーツク海に消えていった。秋晴れの青空の下、学会は無事終了した。
どんな組織でもそうであろうが、大切なのはトップの情熱であり、チームワークである。それには誠実な幹部職員と職員の存在が欠かせない。当院では、診療部門も現副院長をはじめとして充実している。また、経営管理部長(渓仁会グループでは事務長をこう呼んでいる)、看護部長が極めて優秀、かつ協力的であったことはとても大きな力になっている。私どもはこれまでいろいろな取り組みを行い、病院の質の向上に努めてきた。しかしこのようなソフト面中心の努力のみではいかんともしがたいことがあるのもまた事実である。その最大の懸案は箱物としての「療養環境」である。
当院は一九九六年(平成八年)に新棟を完成し、完全型の療養型病床群(当時)の基準をとることができた。しかし、当時、敷地に限界があったため、基準をクリアーするのに精一杯であった。一年ほど前より渓仁会本部とも交渉を重ね、理事会の承認も得、来年六月には新棟の着工を予定している。現在、「トイレ」、「浴室」、「病室、ナースステーション」、「厨房」、「その他の部屋等」の五つのワーキンググループで、熱気あふれる議論の真っ最中である。
医療情勢は厳しい話ばかりである。療養病床の将来についても不透明の部分が少なくないが、「療養病床の変革は、未だなかば」との考えの下で、渓仁会本部と当院の職員が一丸となって、もろもろの難局を克服していきたいと考えている。
折りたたむ...介護保険制度の見直し議論で、介護保険施設の入院・入所者に食費や光熱費を求めたり、軽度の要介護者に対して単なる家事援助を制限し、筋力トレーニングや痴呆予防などを導入する案が固まったらしい。
十二月十日に社会保障審議会介護保険部会の第二十一回会合が開催され、意見書がまとまったことになっているものの、この意見書を読む限り、介護保険の範囲拡大(厚労省用語では制度の普遍化)をどのように考えるかどうかがメインで、食費や光熱費あるいは新介護予防給付について十分な説明があるわけではない。
実際に、部会での各委員の発言内容や、改めて各委員から直接話しを伺うと、委員のうち意見書に全面的に納得している、という人はいないことがわかる。
意見書には、事務局が掲示した意見に概ね了承する意見が多数を占めているとあるのが、明らかに議論が不十分であるという印象を与えてしまった。これは個人的意見ではなく、多くのジャーナリストや委員個人が異口同音だ。時間切れで幕というところか。
十二月十七日の日経新聞朝刊一面は「厚生労働省と財務省は十六日、七十五万人にのぼる特別養護老人ホームなどの介護保険施設の入所者に来年十月から食費・居住費の全面自己負担を求めることで合意した」と報道した。多分、この記事はスクープなのだろう。だが、一般庶民感覚からすると、もともと財務省と厚労省のデキレースで、合意があって部会を進めたのではないかと勘ぐらざるを得ないだろう。
制度の持続性などという言葉で利用者本人の負担増を求めざるを得ないというのであれば、よく説明すればよいことである。食費については、高齢者団体からも「若い人に迷惑ばかりかけられないし、払える者は払う」という声が高い一方で、「居住費などというあいまいな費用は払いたくない」という意見が大半であるという。それと「可能な施策は、前倒しする」という事務局の発言が過去にあったものの、負担だけ十月一日から増加することに関して、合意が得られているとは言い難い。
もっとましな進め方はないのであろうか。これでは「制度の普遍化」の議論は、仕切りなおし、ただただ利用者負担増だけが先行するということになってしまう。できれば負担増には反対だ。ただ、食費については、介護保険制度導入前の老人保健施設では、全額利用者負担であったし、特別養護老人ホーム入所者で、本人所得が高い場合、月額二十二万円支払っていた人々も都市部では多い。にもかかわらず、介護保険制度では、利用者負担を軽減し、わずか三年半後には、また負担増にするというのである。まるでジェットコースターに乗っているようである。
食費の全額利用者負担は、低所得者に十分配慮すれば、ぎりぎり容認せざるを得ないのであれば、その他のことについても対応を考えなければならない。
まず、医療保険の食費はどうするのかを、なるべく明確に公表すべきである。中医協が機能していないことは理解できるが、なんでもなし崩し的に負担増を求めることは、制度全体へのそれこそ「持続性」に欠ける結果になるのではないか。
つぎに、食費全額負担への対応、例えば治療食や管理栄養士などの減額あるいは栄養指導や、食事の質の維持などについて、どのようにするのかを早急に取りまとめて欲しい。
介護保険制度を創設すれば、介護保険料は年々増加し、利用者負担がいずれ増加するであろうことは、制度に織り込み済みであったと思う。したがって、負担増に全面的に反対するつもりはない。しかし負担強化しかないというのは無策だよな。
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