老人医療NEWS第74号 |
当院はいわゆる老人病院としてスタートしたが、あくまでも在宅復帰を目標にし、そのために必要なハード・ソフトの両面から充実を図ってきた。「あそこの病院は評判がいいけれど、入ってしまったら人生終わりだよ。」と言われていた頃のことが懐かしく思い出される。訪問・通所等のコミュニティケア・サービスの充実に積極的に取り組み、行き過ぎと噂されるほどのリハビリテーション提供体制の整備に躊躇せずチャレンジしてきた。
公的介護保険制度が導入された同時期に、回復期リハビリテーション病棟もスタートし、より一層、リハビリテーションを全面に押し出した運営になってきている。在宅への復帰率は月平均七割近くで、平均在院日数も九十日前後で推移している。入院患者層は十歳近く若年化し、社会復帰を果たすための取り組みにも力を入れるようになってきた。地域社会に対してもそれなりに貢献はしてきたつもりである。
しかしながら、このような経緯の中で改めて高齢者ケアへの当院の取り組みを振り返ってみた。高齢者の在宅復帰を目指し、四十〜六十歳代の方の社会復帰をサポートしてきたわけだが、果たして「高齢者の社会復帰」については、真剣に取り組んできただろうか。恥かしながら私自身、在宅復帰後に通所系サービスを利用してもらうことで社会性の維持・回復、あるいは社会参加の場を提供したとして、お茶を濁してきたように思う。
言い換えれば、頭のどこかに社会復帰の「社会」とは「働き盛りの世代のもの」と曲解してきたのではないか。ほとんどの人が人間社会の中で暮らしているにもかかわらず、たとえそれがどんなに小さな単位であっても、その人にとっての「社会」をイメージせずに在宅復帰に結び付けてきてしまったことを反省している。
もちろん、これは障害を持たれてからの問題だけではなく、定年後や家庭での生活に重きを置いたときの地域社会との関係作りを自らが考えなければならないことではある。しかしながら、「自立」を目指すための取り組みは、もっと地域社会で暮らすことを意識していく必要がある。療養生活、在宅生活ではなく、(地域)社会の中で生活していくことこそが「自立」につながるのではないだろうか。目指すは社会復帰である。
このような偉そうなことを言った後にお恥ずかしいことではあるが、具体的な方策がすぐに浮かばないことも事実である。ただ「社会」というものを言葉遊びではなく、私たち高齢者ケアに携わる保健・医療・福祉関係者がその人の社会を常に意識して対象者に接することが大事なことだと思う。
私自身、人の世話にならないようにすることが最重要なのではなく、世話になることがあっても、逆に家族や他者のため、そして地域社会のために何らか役立っていることが自覚できるような生活を送っていきたいと思っている。
折りたたむ...このたび鳴門市から民間移管(民設民営方式)を受け、社会福祉法人を新設し養護老人ホームを管理運営することとなった。公開公募であったが、既設の社会福祉法人を含めた県内の施設・個人が数ヶ所参加した。当方は社会福祉法人の新設と施設の新築計画の両方を二週間あまりで行なったが、市の選定委員会の審査で何とか選ばれた。
近年の国家財政の困窮等による改革や削減の影響で、今回の補助金や融資についても数回の書類の差し替えを求められ、最終的に建設補助金は二ヵ年計画で承認されたが、設備・備品関係の補助はいただけなかった。かように補助金財政が厳しく、再来年以降の予算が不確定であるため、各地で既に認可を受けた補助金事業の申請辞退までもが見られているとのことである。
介護老人福祉施設と違い、養護老人ホームは措置制度で運営され、介護保険施設に入所できない高齢者や経済的理由でケアハウス等を利用できない低所得者層の受け皿としての機能を有する。言い換えると、「アウトペイシャントの施設」もしくは措置制度で入れる「プアマンズ・ケアハウス」と考えられる。
一般に施設に移り住むには居心地の良さが求められ、QOLの追求は当然である。昔は四・三平米の病院なども家より住み心地の良いところであったが、今では生活レベルも向上、アメニティのレベルも高くなり、ケアハウス、介護施設や病院においても個室化、さらにはユニットケアの推進などが制度としてだけでなく、利用者側からも求められている。
徳島県内の養護老人ホーム十八ヶ所の実態調査によると、ここ数年ケアハウスなどの新しい施設が出来たことなどにより少しずつ低下しているが全体でみた入所率は八十九%である。しかし施設間の格差が大きく、新しく、個室を主体とした施設では満床が続き、待機者もいるが、築後三十年近く経ち、多人室(四人、三人)を主とした施設では五十%前後の入所率である。今回移管元である鳴門市の養護老人ホームも定員六十人だが、十年ほど前から入所者三十人前後でここ数年では二十人以下が続いている。見学者があっても入所しないようなケースがしばしばあるとのことだった。
かような現実では養護老人ホームでもケアハウス同様なアメニティの確保が必須であると考え、今回の施設では生活環境として全室を個室とした。さらに一番基本のプライバシーを考察、各個室と食堂等のユーティリティスペースにトイレを設置した。そして十室を一ユニット単位として食堂等を配置し、各階二単位×三フロアで合計定員六十人。また夫婦の入所を想定し、各ユニットに一つずつコネクティングルームとしての使用も可能な部屋を用意した。
当医療法人ではこの養護老人ホームを生活支援・介護の基本に何が必要かを見極めるための施設として活用し、今後予定している病院や老健施設の改造改築、そして全体のシステムの構築に生かしたいと考えている。
現在、全国の養護老人ホームのまだ半数近くが公設公営で、老朽化が進んでおり、改築等が必要な時期となっている。そのため地方自治体立の施設では行財政改革等の方向性も含め民間委託の方向に向かっている。皆様にも今後のケアシステムの一つとして養護老人ホームを考慮されることをおすすめする。
折りたたむ...幼い頃、高熱などで具合が悪くなると近くの医院に連れていかれました。口を開けさせ、頚部を触り、胸と背中を叩き、聴診器をあてると診察は終わりました。「風邪ですね。二、三日でよくなるので心配ありません」と先生が説明してくれました。「熱が下がると楽になるから注射しましょう」と腕に痛い注射を打たれ、自宅に戻る頃には解熱し身体も楽になりました。
「二、三日で治ります」という言葉に安心感がありました。
今はどうでしょうか。「風邪の症状なので二、三日でよくなると思いますが、よくならないことも考えられますのでその時は再び診察に来て下さい。解熱剤の注射は副作用が心配なのでしません。坐薬を処方しておきますが、稀にショックを起こすことがありますので充分ご注意下さい。内服薬も薬剤アレルギーで薬疹が出現したり、肝機能障害を引き起こす可能性があります。副作用がご心配でしたら頚部などを冷やしてください。現時点では普通感冒と考えていますが、他の疾患の可能性もありますので経過を診る必要があります」これでは内服薬を飲むのも心配になり、ひたすら額に氷嚢を乗せていた大昔と変わりがありません。
個人意識の強い米国で生まれたインフォームド・コンセント(説明のうえでの同意)という言葉が日本でも認識され医療現場で実践されるようになってきました。これは患者が自分の病状と医療行為について、知る権利と決定する権利を持つという意味になっていますが、主な目的は「医師と患者の相互の信頼関係をより深めることである」と説明されています。残念ながらインフォームド・コンセントの目的が正しく理解され、実践されているとはいえず、誤った方向に進んでいるように感じます。
医師は「医療上の責任を問われることがないように十分な説明をして承諾書をもらうこと」と考え、患者も「医師の説明以外のことが生じた時は、告知義務を怠ったということで責任を問える」と考えています。
「この度は、大変申し訳ございませんでした」医学部付属病院の病院長等が大勢の報道陣の前で揃って深々と頭を下げる。ひと昔前までは、見ることがない光景でしたが、最近では珍しくなくなりました。こんな報道のたびに「明日は我が身か」と考えてしまうのは私だけでしょうか。おそらく管理職の方に限らず、医師は皆同じ思いで見ていると思います。
医師は医療行為による被告人として法的に裁かれることがないように事前の防衛策を意識しながらの診療体制を整えるようになり、結果的に診療内容が萎縮してしまい患者にとっても、医師にとっても良き時代とはいえません。「事実をありのままに話す」という名目のもとに病状や病名を告知すれば医師はとても楽になります。患者の精神面の反応や問題点を全て受け止める技量も無く、ただ機械的に病状や病名を告知するだけのことが多いとの指摘もあります。「病気を診ずに、病人を診よ」昔の先生は本当に偉かったと思います。
厚生労働省からの指示で何かにつけて同意書類を準備することが義務化されました。患者としての人権を尊重し、万人が適切な医療を受けられることを目的としていますが、現場では医療トラブルを有利に運べる予防策、或いは診療報酬を支払ってもらう為に必要な書類としか捉えていないと思います。いずれは、こんな時代に育った医師しかいなくなるかと思うととても心配になります。
高齢者の終末医療のムンテラは、本人ではなく家族を中心にすることが多く尚更複雑で、多面的な配慮が必要になります。それなのに高齢者の置かれている背景を考慮せず、一方的に医学的な知見を並べ、「どうぞご自由に治療方法をお選び下さい」と。こんなお粗末なムンテラをインフォームド・コンセントと称して堂々と行なっています。
「我々も精一杯治療をさせていただきました。お祖父ちゃんも最後まで頑張ってくれましたが、残念ですが遂に力尽きてしまいました。」本当はこれで良いはずではないでしょうか。
折りたたむ...われわれは、平成二年の老人病棟入院医療管理料導入以降、介護報酬を含めて診療報酬改定の影の立役者は、急性期でも一般病院でもない介護力強化病院であり、療養型病床群であり、療養病床であったと考えている。しかし、厚生労働省の進める医療制度改革の中心的課題が「質の高い効率的な医療提供体制を構築するための機能分化、重点化、そして病床の収れん化」という奇妙な言い方の病院病床削減にあることは、あまりに明らかである。急性期病床は六〇万床程度などといわれているが、今は約三十六万床の療養病床が、いずれ四〇万床程度まで増加するとしても、どちらでもない一般病床が二〇万床程度残ることになるといわれている。
老人専門病院のほとんどが療養病床を選択しているので、差し当たり不安はないが、急性期病床にもなれず、さりとて療養病床にもなれない病床が大量にあるということは、注意しておいた方がよい。
民間病院にとって急性期病院になるハードルは、そう簡単には乗り越えられるものではない。いわゆるケアミックスにしたいと考えても、既存の建物では療養病床の基準がクリアできないとか、建築投資額が高く、療養病床の低単価では建築コストの回収が出来ないといったこともある。また、医師をはじめ看護職が制度を理解できないばかりか、自らの行なっている医療や看護と、現実との間のギャップが解消できないといったこともある。
それで登場したのが、四病院団体協議会が提唱していた「地域一般病棟」の考え方が反映されたものといわれている亜急性期入院医療管理料だ。だが、療養病床サイドからみれば結局、中途半端なものでしかない。
一般病床数の一割以下、六・四u以上、二・五対一の看護配置で七割以上看護師、一日二〇五〇点、九〇日限度等という内容とともに、この病床に入院する患者を病院の平均在院日数の計算対象から除外できるのがメリットとされているが、すでに療養病床に転換している病院からみれば「何を今更じたばたしているのか」ということにならざるをえない。
平均在院日数が二十一日前後の一般病院では、この亜急性期入院医療管理料算定の病床を十五床設置するだけで、平均在院日数が十七日以内にできるといったことも可能であるといわれているが、結局、急性期病床とするために無理やり一部を療養病床に転換するということを行わなくてもすむ病院があるということでしかない。
このようなことから亜急性期入院医療管理料は、一部の民間病院にもてはやされているが、病床再編にはずみがつき、急性期病床数が増加するかどうかは、もうしばらく様子をみる必要があろう。ただ、最後まで、一般病床にしがみつき、あわよくば急性期病床を少しでも確保したいと考える病院が、結局、急性期になれず、医療療養病床になだれ込んでくることを想像しておく必要はある。
民間病院で急性期にしたいという気持ちはよくわかるし、包括化点数に不安があるのもよくわかる。しかし、世の中は、急性期も包括化点数に向かっており、在院日数は急激に減少している。結果として、急性期競争の負け組が療養病床だと思われるのは不愉快だ。
少なくとも療養病床であるわれわれ老人専門病院は、早くから包括化、定額化を受け入れ、今では特殊疾患療養病棟や回復期リハビリテーション病棟の整備を進める一方で、介護療養病棟の質の向上にも努力していることを認めて欲しいのである。
このことが、広く理解できるよう、今後とも一層力を結集するとともに、老人の専門医療の必要性を強く主張したいのである。
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