老人医療NEWS第71号 |
先般、高齢者リハビリテーション研究会による「高齢者リハビリテーション(以下、リハ)のあるべき方向性」という報告書がまとめられた。これに参加したものとして、これからのリハの方向性など私見を含め感想を述べる。
まず、わが国のリハにとって最も大きい課題は、長い間、脳卒中が死因の第一位だったにもかかわらず、医学・医療の中でのリハの位置づけが明確でなかったことであろう。加えて、要介護の理由でも明らかなように、高齢による衰弱、転倒骨折、関節疾患、痴呆などリハが期待される疾病や状態も広がり、これらのことを踏まえた総合的な対応が期待されている。
この間、リハ医療においては、急性期・回復期・維持期の役割が不明確で、漫然とした取り組みになっていたことも否めない。しかし、回復期リハ病棟が誕生し、集中的リハの場が明確化されたことから、前段の急性期リハへの期待が高まり、介護保険の施行は維持期リハのあり方にも問題を提起することにつながった。
高齢者介護研究会の報告を受ける形で始まった高齢者リハ研究会であるが、この報告書が持つ意義を整理すると、(1)これからのリハ課題の一つとして生活機能低下(予防も含む)を位置づけたこと、(2)高齢者のリハを、「脳卒中モデル」「廃用症候群モデル」「痴呆高齢者モデル」に整理したこと、(3)地域リハシステムの充実に向けた方向性が示されたこと、(4)急性期リハの充実を課題として取り上げたことなどとなろう。
とくに、生活機能への支援をリハの課題として位置づけたことは、長年、「機能か、生活か」でそのあり方をめぐって議論してきたことに終止符を打ち、リハの進め方の転換に発展する可能性を持つ。しかし、機能障害、例えば麻痺の治療も十二分に実施しながら、生活全体の活性化を図るべく活動や参加の状態を再考する姿勢が欠かせない。
また、急性発症する脳卒中や骨折などに関しては、「脳卒中モデル」としてリハの流れが確立されつつあるが、廃用症候群や痴呆などはどの時点で、どのようなリハを、誰が(どこで)行うか明確になっていない。要介護や寝たきりの原因にこれらの疾患の関与が増えてきている事実を考えると、対応の流れと技法の確立が急がれる。
加えて、維持期においては、集中的で、期間限定的なリハが課題とされている。問題は、リハ中断中の生活機能を誰がチェックし、必要なら、いつでも援助できる体制を作るかにある。放置されるシステムでは意義がない。いずれ、このような制度や報酬等の改定が行われるであろうが、これらの点が配慮されたものにならねばならない。
最後に、総合的なサービス提供のため連携の重要性も指摘されている。障害があっても安心して生活できる環境作りには、それぞれの施設のリハ機能に基づく地域リハシステム作りが欠かせない。
折りたたむ...直前の七十号で奥川さんから色々とご指摘をいただいた。もっともなことだと思いながら厳しい注文だとも思った。しかしながら、一方でわれわれの努力目標を提示していただいたと感謝している。私どもの療養病床も苦戦を強いられている。四十二名定床の約半数が経管栄養であり、このほど看護負担を軽減する目的で、パック入りの流動食を導入した。二十七名が個別リハビリを実施しているが、三ヶ月以上の入院患者も三十七名もいるといった現状がある。
ところで、最近になって、やっと老人医療に関する話が、私と他の医師との間でかみ合ってきた。私どもの病院では医師の給料は年俸制を採用しており、毎年契約を結ぶやり方である。契約の折に私は「一人でもいいから、とても駄目だと思う老人を再生して家に帰してくれ」と言い続けている。一つひとつのケースの積み重ねが職員の士気を高めることにつながると思うようになってきた。
先日も夜間せん妄のため、私が外来で診ていた両膝関節の置換手術を受けたパーキンソン病の高齢者が、家で背部の低温やけどを負い、食事もまったく摂らない状態で入院してこられた。内科主治医から嚥下障害が強いので胃ろうを造設したいと思うが、との相談を受けた。私は元来、胃ろうは口から少しでも食べることを前提にするべきであるとの考えをもっており、安易な一時しのぎの造設には反対である。この方の場合も二週間待ってほしいと内科医に伝え、とりあえず経鼻管栄養とした。そして、精神科医に嚥下障害の改善のためシチコリンの経静脈投与とリハビリの開始を指示した。
この患者は十日ほどでチューブが抜け、回復期リハ病棟で歩行訓練を受けることになった。入院から約二ヶ月後、リハ訓練室で彼の姿をみた。二本杖で、歩行できるようになったと今まで見たことのない笑顔で語ってくれた。外来通院中は、ほとんど聞き取れないほどの小さな声だったが、そのときは二メートル離れても十分に分かった。感動の一瞬であった。手間ひまを掛ければなんとかなる。一人でも多くの職員に、やれば出来ることを体験してもらいたいと思う。
今日も、身内の高齢者が急性の胆嚢炎で入院してきた。三日間の絶食と二十四時間の持続点滴だという。私は開口一番「トイレは自分で行けるように誘導する」ことを医師、看護に要請した。何でもかんでも「歩かせろ」ということばに以前は「そんな無茶な、いまは安静が必要です」と言っていた医師も、今では「ハイ、ハイ」と受け答えしてくれるようになった。
食べること、排泄することの自立を保つためには高度の医療・看護技術が必要である。特別養護老人ホーム・老人保健施設では出来ないことをするのが病院であると思っている。そのためには、当然のことながら看護・介護・リハスタッフのヒトの確保が必要である。ゆとりのある老人医療をしたい。夢のある老人医療をしたい。利用者に感謝され、喜ばれる医療をしたい。しかしながら、あまりにも制約のある現実である。
ところで、特別養護老人ホームも待機者が多く、老人保健施設にも最近増加していると聞く。特別養護老人ホームも老人保健施設も医療に関しては自ずと限界があり、療養病床の後方支援施設というわけにはいかないのが現実である。行き場を失った要介護老人増加の本質は、当会が結成された二十年前と同じである。どうする老人医療。
折りたたむ...「それでは、父はターミナルケアになるわけですね」そう言って恰幅のいい紳士はうな垂れてしまいました。百一歳の父親が老人保健施設に入所中に、脳梗塞を発症し意識の低下とともに食事が取れなくなってしまったのは今年の一月でした。はじめの二週間あまりは点滴で経過を見て、その後鼻腔チューブによる経管栄養を開始しましたが、自己抜管があり再挿入時に苦しがり激しく抵抗されました。その姿を見て、ご家族は経管栄養の中止を申し出られました。
胃切除をされ胃瘻にも出来ず、点滴をして経口摂取訓練で食べられるようにならなければそれが本人の寿命と言うことで理解はされたようでした。「高齢でもあり、栄養をつけて寿命を延ばすにも限界があります。好きな音楽を聴いたり、離床して外の景色を見たり、入浴して気持ちよく毎日を過すことも大事です」と私が話したとき、ご家族は確かめるように最初の言葉を口にされたのでした。
私たちが医学部を卒業したころ、患者様やご家族への説明は「ムンテラ」と呼ばれていました。ドイツ語の Mund Therapie (口での治療)という言葉(本当にそういうドイツ語があるかどうかは知りませんが)の省略形ということで、「医師が患者に安心を与え治療を円滑に進める」のが目的であったような気がします。その代わりに、医師の治療方針が前面に押し出され、「医者がそう言うのなら仕方ない」とか「医者に逆らってもいけない」、「先生の良いようにお願いします」という雰囲気がありました。
さて、医療の世界に、インフォームド・コンセントという概念が持ち込まれてから久しくなります。診断、検査、治療などについて十分な説明を行い、患者の同意を得て患者主体の医療を行うということがその趣旨だったと思います。
これを踏まえ、療養病床でも様々な機会に、患者様やご家族と面談するようになりました。入院時診療計画然り、リハビリテーション実施計画然りですが、特に気を使うのは、患者様の疾患が重篤な状態に陥ったり、機能低下で食事が経口摂取出来なくなったときです。そのときの病状、今後の見通し、選択できる方法(人工呼吸、経管栄養、IVH等)などお話しますが、結局のところ「管を入れるかどうかご家族で決めてください」と締めくくってしまうことが多いように思います。
治療方針には、本人の意思決定が重要なことは言うまでもありません。しかしながら、療養病床では意識障害や痴呆など意思決定の困難な方が少なくありません。このためどうしてもご家族に決断をお願いする(押し付ける)ようになってしまいます。「先生は父の方は向かず、私にばかり話をする」「『私が父の命を決めてしまっている』と思った」これは、NPO「ふきのとう」の代表木島美津子さんが自らの経験をお話になった講演での言葉です。
さて、前述のご家族ですが、この面談後も「点滴はどのくらいしてもらっているか」「今日は少しは食べられたか」「入浴したりして、病状は悪くならないか」と看護師詰所に良く来られるようです。看護師も、「先生がお話されても、ご家族は納得されていませんよ」と言ってきます。
肉親が目の前でしだいに衰えていくのを見て、自然の経過と理解できても納得まで出来る家族があるでしょうか。医療における責任論だ、インフォームド・コンセントだと言う前に、厳しい決定を迫られる家族には十分な支えが必要だと思います。ムンテラとか病状説明ではなく、患者様にとってどうするのが一番良いかをスタッフ、ご家族をまじえて話し合える場を作っていきたいと思っています。
折りたたむ...マイナス一%の平成十六年診療報酬改定は、内容的によくできた改定だと思うが、こと老人医療にとっては何も変わっていないといえる。ただし、リハビリテーション関係で若干の改善があったことは、高く評価したい。
それと亜急性期入院管理料は、よく考えられた新点数だと思うが、あいまいな「亜急性期」という言葉は使用して欲しくないと思った。その理由は、サブアキュートとポストアキュートの区分とか、慢性期における急性期とか、急性期であるが安定期な状態といったことが、完全に整理できないからである。厚生労働省の担当者は「準急性期的な医療」と説明しているが、急性期後とか慢性期の急性憎悪といった患者さんを対象としていることは明らかである。
この亜急性期は、全日病が要求してきた「地域一般病棟」を具体化したものであるとされている。この点数を算定するであろう病床数は二万床程度ともいわれ、最大でも五万床を超えることがないと考えられる。かつての「その他病棟」を一般病床と療養病床に大きく区分し、まず回復期リハビリテーション病棟、ついで特殊患者病棟とつづき、点数を包括化する一方で、一般病床の中をいくつにも区分するという方法論は、それなりに理解できる。しかし、こうなると各病院がどのような病棟編成にするかということが重要にならざるをえない。
病院側からみれば、いろいろな選択の余地は増えたようにみえるが、その実、療養病床からみれば選択可能なものは回復期リハビリテーション病棟のみである。それゆえ、療養病棟の機能分化とか、われわれが長年主張しつくしている高齢入院患者の特性に応じた包括評価については、今回の改定では、手がつけられなかったことになる。
前回のアンテナのスペースで療養病床は改定しない方が良いと主張したが、診療報酬改定の関係者に伝わったようである。次回の改定は、平成十八年ということになり、介護保険も医療保険も同時改定になる。同時に改定しないために起こる混乱を考えれば、次回に山積みされている問題を解決する改定を行った方がよいことは明らかである。
ただ、老人医療の関係者、とりわけ本会のメンバー間でも、次回改定をどうするのかといった意見が一致しているわけではない。それゆえ、今後一年以内に、新しい方向性をわれわれ自身が示すことが必要であると考えている。まず、診療報酬が老人と一般に区分されているが、高齢社会で、入院患者の医療を二つに区分する意味があるのかどうかといったことがある。つぎに、介護保険制度がどこまで老人医療を取り込むのかといったことの原理原則を明らかにすること。その上で、再度高齢入院患者の特性に応じた包括評価のあり方を真剣に検討したい。
比較的長期に渡る高齢者の入院医療は、当会の活動の成果もあって、この十年間は、かなり前進することができた。今後は高齢社会の財政負担が重くのしかからざるをえないので、ケアの質を向上することが難しくなるのであろう。
リハビリテーションへの資源配分を多くすることは大切である。その一方で、痴呆性患者さんに対する適切なケアを確保・向上させる努力もおこたれない。医学・医術部門における科学技術の進歩は、これからも続くことであろう。しかし、人が人をケアするという点でいえば、技術面での進歩を最大限に取り入れながら現状の質を確保する努力がより大切であることを理解するべきだ。改定や変化を考える場合、まず維持することが重要だと考えて欲しい。
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