老人医療NEWS第65号 |
わたしが勤務する近森リハビリテーション病院には医科大学の五年生が実習に来ます。その時、学生に「医療って何?」と問い掛けると、学生は即座に「病気を治すこと」と答えます。それで、つい「肺炎は治ったけど寝たきりになった、ということがよく言われるが、それでいいのかい?」と返します。
確かに、わたしも脳神経外科医として救急の現場で修行していた頃は、命を助けることが自分の使命と夜昼なく頑張ってきました。ですから、助かった後、麻痺などの障害が残っても、一生懸命頑張って、何とか命が助かったんだから障害はしかたない、と思っていました。
しかし、経験を積み、特に多くの脳卒中の患者さんに関わるにつれ、何のために助けたのか、ということが重くのしかかるようになってきました。事実、「命だけでも助けてください」と言っていた家族から「やっぱり助けてもらわなければよかった」と言われたこともあります。
これでいいのだろうか?と疑問を抱くようになった頃、リハビリテーションと出会うことができました。そして、看護師やリハスタッフとともに、超早期からのリハビリを実現することで、寝かせきりのない脳神経外科病棟を構築してきました。助けただけの救急ではいけない、というスタッフみんなの思いがあったからこそできたことだと思います。
このような経験を経て、二年前、脳神経外科医としてのメスを置き、本格的にリハビリテーションの世界に入った今、わたしの医療観は明確になってきたような気がします。
わたしは学生に「医療とは、最新の医術を駆使して、患者さんの疾病(病気や外傷)からの回復・改善に手助けをし、安心した社会生活ができるように支援することだと思う」と問い掛けます。そして、「医術は医学に基づく専門的技術であり、医師・歯科医師・看護師・歯科衛生士・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・ケースワーカー・救急救命士などの専門職のチームワークによって提供されるべきもの」と定義します。当然ながら「医師の役割は、提供する医療サービスに全責任を持ち、質の高い医療が実現されるように医術の向上とチームの運営に努力すべきチームリーダー」となります。
このような視点から、平均在院日数が短縮されていく急性期病院のあり方を見ていますと、どうも急性期からは医療が消え、医術の提供の場と化していくような気がします。急性期では、病気は診ても病人を診る暇がない状況です。
今の状況は、治療学が、短縮された在院日数に追いついていないのが実情のように思います。もはや、看護師やリハスタッフが何とかして急性期の医療を支えていくか、亜急性期以降(回復期リハビリテーション病棟など)でしっかりした医療を展開していくしかないのではなかろうか、と危惧さえ感じる今日この頃です。
折りたたむ...最近リスクマネジメントについての論議が盛んである。特に減算の対象になるなどと言えば正に泥縄式に何とか帳尻をあわそうとすることになる。現実には形だけでもとにかく対応せざるを得ないと思っている人たちもいる。しかし実効ある対策でなければならないし、いくら完璧なマニュアルを作って職員に叱咤激励しても、決して事故はゼロにはならない。いろいろな対策については他著におまかせするとして私は少し違う視点でこの問題を捉えてみたい。
ヒヤリハット事故で多いのは転倒と誤嚥である。施設内を歩いていた入所者が転倒して骨折したような場合、どう考えるか。当然、歩ける要介護老人は自宅でいても、街でも、施設でもどこでも転倒するリスクはある。その危険を防ぐために何をすべきか考えると、歩くと危険だから抑制するか、常に誰かが介助に付いているしかない。自由にしていると常に歩行不安定なのだから歩けば転倒の可能性が強い。しかし、三対一のスタッフで二十四時間の一対一の介護は不可能である。どこまでが施設の責任であるかは難しい。
しかし、プロであるからには絶対に事故は起こしてはならないことを原理原則とすると、職員に過大な負担を強いることになる。プロといっても不可能なこともあることを認識しなければならない。転倒も誤嚥も施設でも自宅でも起きうる。たまたま施設で起こると「施設が悪い」となる。こういう論だと、昔、他の疾患で入院中の患者さんが脳出血になったとき、患者さんのご家族が「入院しているのに、脳出血になるとはどういうことか!賠償してもらう」と言ったことを思い出した。その論から言えば、入院していさえすれば癌にもならないのだろうか。
明らかに他人が原因で起こる事故と、患者さん自らの原因に起因するものとは、どこかに線を引かなければ職員もたまったものではないだろう。施設での事故は起こらないにこしたことはないし、起こらないように努力したとはいえ、起きてしまったときそれを施設にいるからといってすべて施設の責任であると言われたのでは大変である。
ご家族もそのあたりを理解して問題にしない人と、理解しているけれども問題にする人と、理解せずに施設にいる間に起こった事故はすべて施設が賠償すべきだと思う人がいて施設もどこまでが免責かの判断に苦しむことも多い。苦情ということはサービス提供に対してのものであるから何か問題が起こった時に苦情が発生する。
産業界では現在は「クレームは最大の商売チャンスである」と言われている。クレームを無視する企業と、迅速に対処する企業との差は次第に大きくなると言われている。施設でも同じである。しかし、性善説的クレームと性悪説的クレームがあることも事実である。
介護保険では、利用者に対して重要事項の説明と、契約を定めている。契約書はふつう、甲と乙は平等である。しかし施設と利用者では弱い立場の利用者に有利にしてあることが多い。それはそれとして、性悪説的クレームのために施設側の免責は明記しておく方が良いと思われる。勿論いろいろな場合を想定しながら、私達は防ぎうる事故を限りなくゼロに近づける努力を惜しんではいけないことを前提としての話である。
折りたたむ...当院が掲げるテーマ「豊かな最晩年の創造」の一環として「食生活の抜本的な見直し」に取り組んでいる。
食事には二つの側面がある。その一つは、生命や活動を維持するための栄養分や水分の補給手段としてである。ここでは、専ら量的な問題や、その構成内容が重要であり、体内に送り込む手段も多様である。
二つ目の側面は、食べることの楽しみ、あるいはそれを通しての生きる意欲の高揚や、味覚、咀嚼、嚥下等を通しての大脳への刺激等であろう。
さて、高齢者に限らず病院での食事がまずい、貧しいといわれて久しく、当院でもさまざまな工夫や努力を重ねてはいるものの、今以って豊かとはいい難い。
介護療養型医療施設の介護報酬は四%引き下げられたが、その波紋は予想以上に大きい。
私たち会員間の情報交換によると「介護施設報酬が四%引き下げられた介護療養型医療施設での新旧単価の読み替え作業結果は約四%」であることがわかった。
それは当たり前であろうといわれそうだが、診療報酬の改定などで「二・七%引き下げ」と厚生労働省が公表しても、病院だけで計算すると四%以上の影響があるということの方が、むしろ当たり前の世界である。まして、介護報酬改定は、初めての経験なのである。
「四%引き下げで、四%下がった」ということは、負け惜しみだが、今回改定の厚生労働省の公表が正確であったということである。ただ、どう考えても老健施設は、四%どころか五%とか六%以上の引き下げを受けているとしか考えられない。
ところで、ここからが問題なのだが、会員の平均が四%減なのであって、計算した結果だけを持ち寄ってみると、なんと一〇%以上減の病院があったり、その一方で、一〇%以上増があったりするのである。
「平均が四%なのだから、それは当然だろう」といわれてしまえばそれまでだが、病院経営という立場でものを考えれば、収益が一〇%減という状況は、かなり厳しいというか、このことだけで病院閉鎖に向かわざるを得ない病院もあるということだ。
なぜか。これまで一〇%以上利益があった病院なら一〇%減でも対応可能かもしれないと考えるのは、経営のド素人としかいいようがない。例えば、前年度の利益がやっと十一%あった病院は、なにもしなくても今年度は一%の利益しかないということである。これでは、資金繰りというか、キャッシュ・フローがどうにもならない。
私たちは、完全型の療養病床にするために多額の設備投資を銀行からの資金で行ってきた。その支払い金利や減価償却は経費であるが、元本返済は利益がないとできない。元本返済ができなくなれば、ただちに不良債権のレッテルが貼られ、銀行からの新たな融資はなくなってしまう。こんな当たり前の話が、報酬改定議論で理解できていないのではないかと疑わざるを得ない。
強くいいたいことは、病院は一〇%以上のマイナスに対応できる状況にないということである。
頭をクールにして数字をにらんでいると、各病院の平均要介護度と収益のマイナスは、正の相関が明らかなことがわかる。つまり、要介護度四とか五ばかりの患者さんで構成されている介護病棟であれば、ほとんど影響を受けないということである。リハビリテーションや重症者への医療の提供をすればするほどプラスにはなるが、全てマンパワーの強化が必要とならざるを得ない。
ここでまた負け惜しみだが「よく考えられている改定だ」といわざるを得ない。多分、この方向は、今後とも変わらないと考えるしかないが、報酬上有利な方向だけに進むというわけにはいかないし、そんなことは無理であるし、そうしたくもない。
猫の目のように変わる報酬改定に振り回され、逃げまわるのは絶対にイヤだし、そんなこともできない。
新しい老人医療制度の方向も公表されているが、報酬改定で老人医療を大きく振り回さないで欲しいというのが本音だ。
改定は既に行われてしまったので、その内容をとやかくいってもどうしようもないが、次回の報酬改定や二年後の介護保険制度の見直しまでには、なんらかのルールを創ることが必要に思えてならない。少なくとも我々は、適切なルール創りに協力するし、自らも考え方を整理したいと考えているのである。
折りたたむ...![]() |
×閉じる | ![]() |