老人医療NEWS第64号 |
平成十五年の年頭をかざるにふさわしい話題はなんであろうかと考えました。しかしイラク問題、北朝鮮問題、超高齢化社会の到来、医療・介護保険法改悪、消費税率アップなどあまり明るい話題が見当たりません。
そのなかにあって、一つ不思議なニュースがありました。それは「あいがも」が農薬として指定されたというものです。「農薬」を辞典でみると、「農業用の薬剤。用途により殺虫剤・殺菌剤・除草剤・植物成長調整剤など、農業取締法による定義がある。」と記されておりました。動物であっても、殺虫・除草を目的として使用する場合、農薬指定しておかなければその使用(あいがも農法)は違法となるとのことです。
確かに法治国家においては、国民の行動は何事も法によって定められており、それを逸脱することは即ち犯罪です。しかし庶民の工夫までも法で規制されるとは思いもしませんでした。
私も利用者の利便性を考えて、利用者へのサービスの名のもとに、違法行為を行っている可能性があります。いえ正直に申し上げますと「この患者様は経済的にこんなに困っておられるのだから、一部負担金をいただくのは無理でしょう。」とか「足が悪くて歩くのは大変だから、お宅まで車で送ってあげなさい。」など指示したことがあります。これらは違法行為でしょうか。
さらに言えばカルテの記載不備(入院外来とも毎日所見を記載していません)、電話による各種指示、看護師による注射施行などは、行政がその気になれば違法行為そのものとなるのでしょうか。今一度初心に帰って、自分自身をそして病院経営を再点検しようと思います。
その再点検の教材は、今年の大河ドラマの宮本武蔵にあります。宮本武蔵は兵法の著書「五輪書」が有名ですが、「独行道」という処世訓を残しています。(以下独行道より)
其の一 | 世々の道をそむく事なし目標を直視しつつ、周囲や見えぬところに気を配 る。そうすれば事の是非はおのずと明らかになり、世間の道理にそむくことはない。 |
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其の二 | われ事において後悔せず全力で事にあたれば、結果はいかにあれ、後悔はない。 |
其の三 | わが身にいたり、物忌みすることなし神や仏に頼らず、物忌み(縁起担ぎ)しない。 |
其の四 | 私宅において望む心なし美食を避け、財産等にこだわらない。 |
この宮本武蔵の処世訓について、みなさんいかが思われますか。政治・経済・教育すべての分野で自信を失い混乱している今の日本人にこそ必要な武蔵の遺言状ではないでしょうか。
今年はテレビドラマをただ見るだけでなく、武蔵の教えに沿って努力します。
折りたたむ...昨年末、全国紙に「特別養護老人ホームの個室化が進められ、新型特養として話題を呼んでいる。」という記事を読んだ知人から電話があった。「お前のところもそうなのか?もしそうなら、僕はいやだな。」知人曰く、「寝たきりの状態になったときに一人でいるのは不安で、誰かが傍にいてくれるほうがいいし、だから施設に入ろうと思っていた。」というのである。確かに一理ある気もするが、逆に個室になるなら施設に入ってもいいという人もいる。一概に決められないハードの問題である。
私が理事長をしている特別養護老人ホーム「真寿園」では、昨年十一月に霞ヶ関南病院の近隣に移転をした。ユニットケアスタイルであるが、一部二人部屋も作った。将来、すべてを個室にすることが可能なようにデザインしたが、ほとんどの居室は個室である。入居される方々は、築二十五年の施設から引越しをしてくることになったが、新しい施設に移るだけでなく、四人部屋から個室への変化にも遭遇することになり危惧していた。新施設での研修・シミュレーションに一ヶ月以上かけたおかげで、十二月初旬に行われた引越しは事故もなく無事に完了し、予測された不穏や急変者もほとんどなかった。
それから一ヶ月経過して、果たして個室やユニット化による影響がどんなところに出てくるのかが気になっているが、実際にはまだその変化が見えてこない。各ユニットのデイルーム(居間)やパブリックスペースの活用も積極的に行われており、日中自室で過ごされる時間も減ってきている。しかしながら、当初より人員基準三対一を上回る二・二対一の配置をしていることによって成り立っている現状を考えると、介護報酬のダウンによりかなり厳しい経営を強いられることになるだろう。移転前の入居者の状況やスタッフのタイムスタディの結果と、三月頃に実施予定の再調査の結果を比較検討するつもりでいるが、データには表しにくい心情や雰囲気なども含めて、ユニットケアのあり方を求めていきたいと思っている。
新施設では、一つのユニットで実験的な試みをしている。タスマニアのアダーズナーシングホームを参考にしたユニットである。動ける問題行動のある痴呆の方々を対象としたユニットで、オーストラリア研修を受けたスタッフを中心に展開するつもりである。日本の施設基準では到底アダーズと同じハードを作ることはできなかったが、スタッフの意識は高く、すでに入居している四〜五人は、現在のところ落ち着いた生活がおくれている。自宅で毎日のように徘徊のため警察のお世話になっていた方が、意思の疎通が可能になり、徘徊もなく表情も柔和で明るくなっているという報告もあり、これからの展開を楽しみにしている。
今後、新型特養とグループホームが同じカテゴリーに類型化されることが予測される中で、老人ホームが終の棲家としてだけでなく、痴呆性老人の安定した生活や自分を取り戻す機能を持つことができ、自宅に復帰することを目指していきたいと思っている。しかしながら、新施設を楽しみにしてくださっていたユニットケアの先駆者である京都大学の故外山義先生にご指導いただけなくなったことが残念である。
折りたたむ...何か違うぞ
老人専門の病院を開設してから早や十三年が経ったが、今も「何か違うぞ、何か違うぞ」と強迫観念にも似た思いで自問を繰り返している。
何がどう違うというのか。改善しても、手直ししても、また次々に新しい「何か違うぞ」が噴出する。正に『其奈山上山』(それ山上の山をいかんせん)という心境である。
諸先生のご高説を道標にしたくとも高邁すぎて、私などには二階から目薬の感がある。
病院機能評価やISO規格などに認定されると、「何も違わないよ、これで良いんだよ」と言えるようになるのだろうか。 それも違うような気がするし、そのような立派な規格そのものが、私にとっては「何か違うぞ」である。
<そもそもの始まり>
そもそも何で老人病院を作ろうと思い立ったのだろう。
私の場合は「介護を要する病める老人のため」というよりは「やがて自分が介護を受けるときに入る病院を、社会にまだ経済的余力があり、介護してくれる若者が沢山いるうちにつくっておきたい」という動機からであった。この気持ちは今でも少しも変わっていない。
しかし私が今この病院に入院するように言われたら「ちょっと待って下さいよ」と躊躇したくなる。
「何か違うぞ」は、「自分はここには入院したくないな」という直観的な違和感なのである。こんなことでは、この十三年間私は一体何をやってきたのだろう。
うちの病院では意識障害や寝返り不能の人が圧倒的に多数を占めていて、家族はこのまま終末を迎えさせるよう望んでいる。
そのような身動きもできないような人が六床室(移行型療養病棟)に入れられて、流れ作業的な処置や介護を受けているのを見ていると、私が意識障害や寝返り不能になったときは、個室に入って、私向きの看護・介護・リハビリを受けたいものだという思いが次第に強くなった。
自分が入りたくないような病院なぞ作っても仕様がない。
「新型療養病棟」
いろいろ考えて一大決心をした。この一月に病院の移転新築工事を始める。病室は全て個室にして、十二の個室と食堂・リビングを1ユニットとし、一病棟六〇床を5ユニット六〇室で構成する。病院全体は四病棟で計20ユニットを擁するユニットケア型「新型療養病棟」である。
現在当院の介護病棟の平均介護度は四・七二で、ほぼ全員がランクCであり、重度意識障害、無動症の人も少なくない。肢体不自由身障1・2級の人は約四割に達し、申請すれば介護病棟では大多数が重度身障者に認定されるだろう。
つまり殆ど全員が特殊疾患療養病棟の条件に当てはまるので、新病院が完成した時は、介護病棟を全床返上して、三病棟を特殊疾患療養病棟とし、一病棟を回復期リハビリ病棟にすることも考慮している。
「何か違うぞ」と言い続けていたら、いつの間にか先走って、まだ施設基準にないユニットケア「新型療養病棟」にたどり着いた。しかしこれとて私の中ですぐに「何か違うぞ」になるのであろう。
来年の春には新病院に隣接して五〇床の小規模生活対応型「新型特養」も完成する予定である。二つの施設の間で「ユニットケア比べ」をしながら、「何がどう違うのか」の検証も、いずれ私が入院する日まで続けなければなるまい。
また、在宅復帰を基本理念とする老人保健施設にユニットケアは馴染まないという意見も聞かれるが、私は「長期の終末期ケア」や「生活ケア」を実践した後、老人保健施設のユニットケアも検討したい。
折りたたむ...介護報酬改定の全体が明らかになった。まず、今回の改定にご尽力いただいた各位にお礼を申し上げたい。長引く経済不況で国民生活は、各所に歪みが生じている。二・三%の引き下げ(在宅〇・一%、施設四%)ということについて、喜んでいるわけではないが、昨年の診療報酬改定が二・七%減というショッキングなものであったので、三年間で四%程度はやむをえないという感触はあった。
老人の専門医療確立の旗手を自認する我々としては、介護職員三対一の廃止という、医療サービスの質を低下させることに強い憤りを表明しているのであって、介護報酬の引き下げについては、「絶対反対」であるとはいってこなかった。考えるまでもなく、老人の専門医療は、スタッフの数と質、そしてチームワークにより確保できるものであって、少ない人数で多数の患者さんをケアすることはできない。このようなことから、今後とも我々は、マンパワーの強化について主張していきたい。
三対一廃止後は、四対一が最高ということになるが、我々は四対一を最低と考えている。この意味は、三対一以上の配置を行っている病院は、今後ともこの状況を維持するということである。国の基準職員がどうであり、我々は必要必然の職員の配置を続けたいと考えているのである。
四対一介護配置の改定単位を要介護一から五まで順にみると、二七・一%、二〇・五%、三・七%の減で、要介護四が一・〇%、五が四・七%の増である。一方、三対一と新しい四対一の報酬を比較すると、要介護一は実に三一・三%の減で、二は二四・九%、以下九・一%、四・七%、一・二%の減である。これは、どのように考えても、療養型介護療養施設サービス費では、要介護一と二は入院させることはないということであろう。また、四と五を若干増加させたのは、三対一廃止に伴う激変緩和措置であろう。このことを十分認識しないといけないのであろう。
今回改定の目玉として従来の集団療法しか認めないという差別的なリハビリテーションを、一八〇度転換して、個別的なものを認めたことがあげられる。また、ADL加算三〇単位も額というより、ADLリハビリテーションの重要性が認められたということを高く評価したい。
これで急性期、回復期、維持期というリハビリテーションの体系が正しく整理されたと思う。ただ、蛇足になるが、医療保険と同様に二五〇単位ということが、過小評価であるということだけは、主張しておきたい。
重度療養管理の新設もよいと思う。これは、医療を必要とする患者さんに適切な処置と医学管理を行うことに対する評価であると思うが、説明文にある「介護保険と医療保険制度の狭間で患者の受入先がなくなることを防ぐため」とあることに関して、一日一二〇単位を新設すれば、こういうことがなくなるという判断に、背筋が寒くなる。
このほか、いろいろな単位が引き下げられているが、どのように判断するかは、今後の施設や事業者の対応を十分に吟味してからでないと、なんともいえない。特に、訪問介護については、スタッフの教育や医療機関等との連携およびサービスの向上に努力して欲しい。株式会社の参入が、結局は利益を拡大しただけであるのであれば、大問題だと思う。
介護報酬は改定され、今後三年間(場合によっては二年間になるかもしれないが)継続することを考えれば、今回の改定は、及第点をつけることができる。
これからの最大の心配は、三対一であった病院が、介護職員を少なくしようとすることである。我々はスタッフの増員、職員教育、コミュニケーションの改善、リハビリテーションの徹底などの課題を三年後に向けて再度努力していきたい。
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