老人医療NEWS第66号 |
二月十五日に開催された、当会の定期総会において、勇退を決意されていた大塚宣夫前会長ならびに会員各位の御推挙により、老人の専門医療を考える会の会長に就任させていただきました。
初代会長の天本宏先生と大塚前会長は共に当会結成の立て役者であり、お二人とも文字通り強力なリーダーシップを発揮され、日本における老人医療の質の向上と、老人医療の専門性の確立に大いなる情熱を傾けて来られました。私が、このお二人の後を引き継ぐには役不足の感はありますが、微力ながら当会の発展のために全力を尽くすつもりです。皆様方のあたたかい御支援を心よりお願い申し上げます。
ところで、大塚先生は「老人病院機能評価マニュアル」の生みの親であり、十年間にわたり老人医療のスタンダード造りに取り組んでこられました。この度、その成果をまとめられ、『日本の老人病院』と題する冊子を当会から発行されました。その内容はNHKで取り上げられ、老人の専門医療を考える会の活動と共にラジオやテレビで紹介されました。視聴者に、どのように受け取られたか興味のあるところです。
ものごとの見方には常に二つの方向性がつきまといます。つまり、ここまで出来るようになったと評価するのか、まだこのレベルに止まっていると見るのかということです。当会の見方としては、心情的には前者であるかもしれませんが、理念的には後者であるべきだと思っています。
さて、老人の専門医療を考える会は高齢者医療に高い志を有する医師から成る任意団体で、役員は手弁当で活動に参加しています。会員は、高い会費を払い続けています。会の実情を知らない外部の人達には、不思議な集団と映っているかもしれません。しかしながら、周囲を見渡してみると当会会員の多くの方が、他の保健、医療関係の団体においてもリーダーとして活躍しています。
一見すると、それぞれ別のことをしているようですが、その底に流れているものは「老人にとって幸せな医療をしたい」、「老人医療の専門性を追求したい」との思いではないでしょうか。
私自身は、当会に参加して十三年になりますが、目まぐるしい周囲の環境の変化に応じて、会員が展開している事業の種類は確実に増えています。病院、診療所、老人保健施設、特別養護老人ホーム等々です。それぞれの個性は人一倍強いが、老人病院を運営する医師という単一の集団から発足した当会も、現在ではこのようにフィールドが広がってきています。さらに、「老人」という言葉にどこか違和感を持つ第二世代の会員が増えつつあるのも事実です。
しかし、老人医療の質の向上の実現と老人医療の専門性の確立という当会発足の原点は世に誇れるものだと思っています。今後とも制度のワクのみにとらわれずさまざまな試行を重ね、これぞ老人医療といったものを作り上げたいものです。
折りたたむ...老年科の分野こそ、今最も若い人材が必要とされているが、実際に携わる人材は少ない。なぜ若い人材が老年科を志望しないのか。最も大きな理由は日本における老年科の特色が不明な点だろう。
老年科といえば、「どの科も引き受けたくない患者をとるところ」、「治らない寝たきりの患者がいるところ」というイメージがある。「老人病院イコールリタイア」というイメージもよくない。
実際に私は、初期研修の終わり頃老年科を志望して研修をするといったら、人生をあきらめている、内科をなめている、といわれた。
さらに、その他の理由として医学教育がよくないこともあげられよう。講義の中で老年科があってもおそらく興味をそがれるものだろう。なぜなら臨床ではなく老化というテーマに焦点を当てた「学問」だからである。最後にもう一つ理由をあげるとすれば、医学生の内科離れ、いわゆるマイナー思考があげられる。
私が老年科を志望したのは総合内科を学びたかったからである。内科が細分化されている現在、総合内科を学ぶには老年科が最も適切であった。また老年科はこれから大いに発達すると思われる分野でもあった。
私が初期研修を行った病院は、とてもハード面が進んでおり、カルテは完全に電子化され、二十四時間MRIもとれたが、鶴巻温泉病院はハード面でのインパクトは低い。それでも鶴巻温泉病院を選んだ理由は、現在のアテンディングドクターである西村知樹医師のもとで研修したかったということと、院長が教育にサポーティブであったからである。私には今の研修がとても魅力的だ。
現在は正直なところ自分の能力の限界を超えることも多々ある。でも本当に臨床ができる医師になりたくて選んだ研修であり、(私は女なのだが)父に孫の顔が見たいといわれても、私の中で臨床家としてひとり立ちできるまではこの研修をやり抜きたいと思っている。総合内科、とりわけ老年科にはそれほどの魅力がある。
若い人材を老年科に集めるには、よい指導者がいること、教育に対してサポーティブであること、これから発達する臨床医学であるということを強調することが必要である。指導者は著名人ではなく優秀な臨床教育者が必要で、病院の回転率を上げることや症例を選ばないことも必要だ。ハード面では最低限の病院としての機能が必要で、照明や色彩などを含め明るい職場であってほしい。
同世代の中で、老年科に興味のある者は実際には結構いる。しかし現在の日本では、興味があってもはじめに述べたような障害がいくつもあり最終的には興味が移るという事実が否めない。
最後に老年科医になるには総合内科のトレーニングが絶対に必要だ。総合内科と老年科の違いは、総合内科は疾患を全身的な立場からみて治療することに焦点を当てるが、老年科は総合内科から派生した、患者のADLに焦点を当てた臨床医学であると私は思う。
折りたたむ...わが国が高齢国としてスタートしたのが1970年、そして2002年3月末の全人口に対する65歳以上の高齢者の比率が18・5%、なんと約30年で11・5%も上昇している。これは、政府が予想を何度上方修正しても追いつかなかった数値である。
予想を違えたのは、高齢者の延命に比べ出生率が予想以上に低下したことにある。高齢化社会の初期には、その進捗は高齢者の増加に拠っていた。しかし、1995年以降様相が変った。若者の人口が猛烈な勢いで減少し始めたからである。
これまで、わが国の歴史の中で若者が最も多かったのは、戦後生まれのいわゆる団塊の世代が成人を迎えた60年代の後半で、当時の20歳人口は240万人台が数年間続いた。90年代に入って、94年には団塊ジュニアの206万人が成人した。この時が日本で若者の多い最後の年だったが、合計特殊出生率はおよそ4・5人からなんと2・0人と急激に減少している。同じ94年の新生児数は118万5千人で、その後も減少し続けている。
生まれた子供がみな元気に成人を迎えたとしても20年後は半分以下に減ってしまう。しかも、今後はわが国が無制限な移民受け入れ政策でも取らなければ、出生数の回復で大きな期待は出来ないと考えられている。つまり、高齢者人口は30年で11・5%増加し、成人する若者は同じ30年で50%以上減少することになる。
この人口構造の変化が、わが国の経済、文化、社会に極めて大きな影響を与え、今、最も大きな問題として論じられている。戦後長い間、日本の経済や社会の発展は若い世代を中心に回復成長してきた。人口構造の点で絶対数の多い世代は人口比率に比べてはるかに大きな需要や文化形成への影響力をもつ。
今後数年で最も絶対数の多いその団塊の世代が、高齢者の仲間入りをする。この世代は、競争意識を持ち、一時のわが国を支え、他世代からは期待と時には恐怖さえもって見られて来た。幼少時代から青年期、そして現役で働く年代を通してある意味での文化を形成し、そして今の時代に各界のリーダーとして座る人も多い。不確実さを増してはいるものの社会保障制度に支えられて、確実に自分達の高齢者文化を生み出していくと言われている。
高齢者の文化は、若者文化ほど華やかではない。未来志向の騒々しさはなく、今を楽しむ極めて現実的思考に変っていくはずである。それぞれの個人が知識や経験もあり蓄積を持っている。ましてや皆が中流意識、平等主義を持ちながらも、個人個人が多様化した選択性の幅を広げ、自分で探し、自分で決めるべきものと知っているのである。
職場に従属し、そこでの人間関係を中心とした職場思考型社会の人間から、各個人の好みを重視して自らが納得できる人間関係を楽しむように変っている。求めるもの、それは生活の快適性や物事に対する納得性なのであろう。
高齢者医療や福祉の社会では、一足先に少子高齢社会への対応が求められてきた。しかし、対応は後追いだけしてニーズに追いついているとは言い難い。そして、今の高齢者は、自分の老後や健康不安に対して心構えも準備もないまま現在を迎え、新たな人間関係を作れず社会から離れ、さらに、最小単位の社会ともいうべき家族からも離れた存在になろうとしている。我々は日頃、自らの意志で選択することに慣れていない、そんな患者さんや利用者に接しているように思えてならない。
団塊の世代を代表とする新しい時代の高齢者が続々参入してくるのを目前にして、我々医療や福祉に求められているものをいかに変化させていくのか考える時でもある。
折りたたむ...本年五月二十六日に社会保障審議会介護給付費分科会が開催され、介護保険料や介護報酬改定の実施状況などについての報告と委員間の意見交換が行われた。翌二十七日には、同審議会の介護保険部会が初会合を開催した。また、六月二十六日には、厚生労働省の「高齢者介護研究会」が「二〇一五年の高齢者介護」と題する報告書を老健局長に提出した。
この三者の関係はよくわからないが、介護保険制度の施行後五年を目途とした見直し作業が開始されたということであろう。
国の審議会が再編され、その多くが社会保障審議会に所属することになったが、老人医療や介護保険制度について、専門的に審議する場がなくなってしまっていた。介護給付費分科会は、あくまでも介護報酬と介護保険施設および事業者の運営基準に関する議論を行う場にすぎない。
そこで、新設されたのが介護保険部会ということになる。メンバーは二十一名、国の審議会として約半数がニューフェイスである。
介護保険制度の見直しは、厚生労働省にとって、重要な事柄であるばかりか、制度施行後になって介護が国民生活に与える影響は、その度合を増しており、その分、利害関係者の数も多くなりつつある。それゆえかどうかはわからないが、メンバーの人選には、新味があるように思う。ただし、利害関係だけで議論されないためにか、医師は三人で、歯科医師はいない。
初会合では、事務局側の説明と若干の意見交換がなされたが、今後の議論のたたき台は「高齢者介護研究会」の報告書という筋書きであろう。この研究会は、もともと老健局長の私的研究会で、今年三月五日から十回の会合が開催され、地域ケア、小規模多機能・地域分散型ケア、および痴呆性高齢者対策などについて検討してきた。メンバーは十人の有識者で、座長は、堀田力氏(さわやか福祉財団理事長)である。
この研究会が、老健局長の考え方を正確に反映していると考えることができると思うが、財源問題などには一切言及していない。また、老人の専門医療については、ほとんど記述がないというより、無視しているかのような印象を受ける。別に医療が介護より上であるとか、医師の言うことを聴かないのはけしからんなどというつもりはないが、介護予防やリハビリテーションにも医療のパワーが必要だと思うし、医療と介護を完全に分離することはできないはずである。最低限でも医療と介護を同時に必要とする高齢者が増大することが高齢社会の実態だという判断がこの報告書にはない。
ただし「比較的重介護・重医寮の高齢者を対象とする介護療養型医療施設については、長期間の在院を考慮して療養環境の向上を図る」という指摘は、正しいと思う。問題は療養環境であるが、スタッフの人数や職種について「環境」であるのかどうかは、今後はっきりさせて欲しいと思う。研究会の報告書の内容については、ひとつの考え方として参考になる面もあるが、この報告書のみの範囲で、部会で議論が進められることのないよう、部会のメンバーにお願いしておきたい。
介護保険制度の見直しがスタートしたことは、事実として冷静に受け止めることが必要である。介護予防やリハビリテーションは、重要なサービスであるし、痴呆の問題は、まだまだ改善の余地がある。グループホーム、ユニットケアも普及して欲しいし、ケアマネジャーの教育も大切だ。しかし、介護の根底には、老人の専門医療の確立が重要であり、この理解なくしては、介護保険制度の見直し作業を進めることはできないと思うのである。
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