老人医療NEWS第54号 |
5月の連休に当会の「老人医療ニュース」を創刊号から読み直してみた。老人医療に定額払い制が導入され、老人病院は介護力強化病院、療養型病床群、そして介護療養型医療施設と変化してきたが、そのときどきに当会がどのように関わり、会員病院がどのように変化していったかがよく分かる。
20年近くに及ぶ老人医療史のテキストとして、机の前に座り、姿勢を正して興味深く読んだ。
昭和61年7月8日発行の創刊号の表紙を飾っているのは天本宏前会長の「老人医療の実践者として専門性と理想の追求を」と題する巻頭言である。その後、巻頭言は第3号の大塚宣夫先生を例外として歴代の厚生省担当課長や会員以外の著明な先生方によって書かれている。
会員施設訪問シリーズでは、これまでに41の病院が会員自身によって自己紹介されている。どの記事を読んでも、新しい老人医療に挑戦しようとする熱い思いが伝わってきた。それと同時に、そこに添えられている写真を見て、記事の内容とは不釣合いなほど若い先生方の風貌に接し、ある種の凄さを感じた。
ところで、今年度より天本宏先生が全日本病院協会の副会長に就任された。全国老人保健施設協会には、すでに漆原彰先生と大野和男先生がそれぞれ副会長に就いておられるし、医療法人協会では日野頌三先生が副会長を務めておられる。さらに、齊藤正身先生は全国老人デイ・ケア連絡協議会の会長の重責を担って活躍中であるし、石川誠先生と浜村明徳先生は日本リハビリテーション病院・施設協会の副会長として老人リハビリテーションの普及に奔走しておられる。
いずれも当会の役員であり、この老人医療ニュースでも「老人専門医療」について、かくあるべしと語った老人医療の実践者である。それぞれの人がそれぞれの場で「あるべき老人医療」を主張されていることだと思う。
私は当会に参加させていただいて10年にしかならないが、多くの会員の先生方に接しては色々考えさせられ、年会費以上の収穫があったように思う。未だ「老人」という呼称に心のどこかで引っ掛かりを感じてはいるが、「老い先短い人生だから…」という大塚会長の言葉に妙に共感をおぼえるこの頃である。
その上、身内の高齢者が最近、大学病院に入院して「患者に満足を与える老人医療」は手間隙が掛り、お金がかかることもよく分かった。そして、廃用性症候群の予防も手間隙を掛ければ可能であることにも納得した。
この経験から得たものを生かして、今年の夏から秋にかけて白熱するであろうと予想される老人医療制度に関する議論を冷静に見守りたいと思う。
折りたたむ...長い間日本の医療は医師を中心に行われてきた。主治医は患者に関する全責任を負うという建前で、他の職種に対して優位な立場にありその指示は絶対であった。
しかしながら、主治医になるための資格について議論されたことは稀で、資格試験が行われたという話は聞かない。大学病院では、患者の診断、治療はカンファレンスで決められることになっているが、実際は教授の指示や、助教授、講師などの意見で決定され、主治医はその実行者に過ぎない場合がある。また、病院によっては卒業間もない研修生が主治医であったり、同じ病院に入院しても主治医によって患者の運命が決まるという話も聞くことがある。
さて、病院の機能や医療の質を評価するとき、診療の責任体制がきちんと取れていることは重要な要素である。特に疾患の診断と治療を主な目的としてきた日本の医療では、1人の医師が全責任を負う主治医制がよいとされてきた。グループ診療の名のもとに、医療事故が発生したとき責任者が明確でなく大問題となったケースもあった。
しかし、前述したような現実の中で、単に主治医の氏名を明らかにするだけで本当の診療責任体制が整備されていると考えてよいであろうか。主治医制をとるのであれば、主治医になる資格を定め、その資質を保証するとともに、診療科の管理責任者、主治医、担当医の業務責任を明確にすることが必要ではないだろうか。
療養病床における診療科の役割は、単に疾患の治療を主とするのではなく、療養患者の慢性疾患コントロール、医学的全身管理を行い、また、リハビリテーション、在宅復帰への支援を行うことである。そのためには看護職、介護職、リハビリスタッフ、栄養士、薬剤師、MSW等、多職種との協業が重要である。
この観点から、1人の医師に権限の集中する主治医制は、療養病床においては必ずしもふさわしいとは考えられない。実際、主治医の意思でケアの方針が一方的に決められたり、診療優先のため看護介護職がプランを実行できないといった声も聞かれる。あるいは、指示を受けるため忙しい業務の中で主治医をさがす、近くに医師がいるにも関わらず医師間の連携が悪く簡単な指示も受けられないなどいくつかの弊害も見られている。
老年専門医としてのgeneral physician の養成も出来ていないわが国では、各種の専門分野の医師が高齢者医療に携わっている。ひとりの患者に対して複数医師が有機的に連携することが複数疾患を持つ高齢者には良いように思われる。
人の意見が聞け、リーダーシップのとれる診療科の責任医師を明示する。毎週カンファレンスを行い検査、治療の方針の統一をはかる。そして、毎朝申し送りとケアカンファレンスに必ず出席してどの医師でも入院患者全体に対応できるようにすること。さらに、インフォームドコンセントの関わる場面では、医師だけでなく関係するスタッフも一緒に患者、家族に対応し、その情報を全職種で共有することが重要と考えるがいかがだろうか。
折りたたむ...介護保険の勝ち組の1つに通所サービスがある。これは在宅療養の介護者にとっては、日中、介護から開放され、施設側としても1日6時間程で入所の70%位の収入となる。さらにサービス利用者は入所予備軍の意味もあるから、当然といえば当然である。
これにはデイサービスとデイケアがある。英語のほうが言いやすいと思うが、ケアマネジャーを介護支援専門員と云うようにするなど、日本語でないといけないと決めたのはほかでもない小泉元厚生大臣であった。
昨年の10月頃から、医療機関のデイケアからデイサービスへの転換が盛んになっている。従来、デイケアはリハなどの医療要素が強く、デイサービスではレクリエーション主体に運営されてきたが、両者で利用者の争奪戦の模様を呈している昨今、デイケアもレク機能を充実させないといけないといわれている。
この通所サービスのレクの中でも人気なのがやはりカラオケ。入所者へのサービスにも音楽療法が増えているが、やはりここでも人気はカラオケ。平均80歳以上の要介護者のお好みは東海林太郎か並木路子か!軍歌や童謡もある。美空ひばりや石原裕次郎もそろそろ出てきた。歌うことは、精神的にはもちろん、呼吸器をはじめ身体的にも大変よろしい。しかし、ここでも人間社会そのままの状況が見てとれる。マイクを握って離さない人は勿論、人の歌などろくに聴きもしないで必死に次に歌う歌をさがす人もいる。そしてやはり数少ない老紳士は人気がある。介護するスタッフもおかげで演歌には強くなっている。いかにうまく雰囲気を盛り上げるかが、優秀な職員の条件ともなっている。
さていう私は、今や60歳手前の老年予備軍であるが、青年時代は50年代、60年代のロカビリー全盛期であった。ポールアンカやプレスリー、ニールセダカとビートルズ世代の1つ前の世代である。そのころの大学ではそこかしこで学生バンドが大はやり、ジャズコンボやフルバンドのほかハワイアン、デキシー、マンドリン、ウェスタンと多彩であった。今の学生は、ロックバンド一辺倒で芸がない。私自身、高校の文化祭に、にわかロックバンドを作って出演していた経験から、大学時代はコンボバンドでピアノを弾いたり歌ったりしていた音楽好きである。
小泉新総理も音楽好きとか。生年月日もたった2日私が先に生れただけなので親近感があるし、何とか古い体質の日本を新しく改革してくれるのではないかと大いに期待もしている。
しかし、私達の世代もすぐ老人となってしまう。最近ふと、あと10年少々で場合によっては介護保険施設に入所したり、デイに通うかもしれない不安を感じ出している。
そうしたらどうだろう。今の老人は軍歌や歌謡曲を喜んで歌っているが、私達の年代はロカビリーになるのか?「ダイアナ」や「恋の片道切符」をウェスタンカーニバルよろしく平尾昌晃や山下敬二郎と一緒に入所して歌うのだろうか。人間は、その青春時代に歌った歌に郷愁を覚える。すなわち、年代によって好みの歌が分かれてしまっている。
そして、さらに飛躍して考えてみた。今20歳前後の若者が50年経って老人施設に入ったとしたら、桑田やグレイやラルクアンシェルやモー娘の歌を、しかも舌を噛みそうなくらい早口でむずかしい歌を大声で皆で歌うのだろうか。
そしてその老人達を介護する50年後の若者の間では、リバイバルした従来のような典型的な演歌がブームになっていたとしたら、介護をする若者達は老人に、「どうしてそんなに早口でむずかしい歌が歌えるの!」と驚くに違いない。正に「歌は世につれ、世は歌につれ」である。流行は繰り返すということを想いながら「クスッ!」と笑ってしまう、今日この頃である。
折りたたむ...厚生労働省が発足して、半年が経過した。久しぶりに省内に入ってみると、どこにだれがいるのかがまったくわからない。そこでまず、省内の売店で「ガイドブック厚生労働省」(本体価格1800円)を購入した。この本は必需品で、各局各課の机の配置図と担当者の名前、内線番号や各課の分掌事務が短い文書で書かれている。
長年お世話になっている老人保健課は「医療以外の保健事業の企画調整、調査、運営、計画の推進に関すること、要介護・要支援認定に関すること、介護報酬に関すること」と書いてある。
老人保健課といえば、「老人診療報酬点数の設定」のために医療系があったはずだがと思ったが、その係がない。聴いてみると「昨年の6月に保険局医療課にうつった」といわれたので、そのページをみた。確かに医療課に医療系があったが、それは「老人医療系」ではなく、ただの「医療系」であった。
「老人医療はどこか」と改めてページをめくってみると、保険局総務課内に「老人医療企画室」があり、「老人医療に関する総合的企画調整及び調査研究」と書いてある。ほかにも「老人医療」と書いてあるところはないかとさがしてみたが、どこにもない。これは大変なことになったような気がした。
厚生労働省の方々と話し合ってみたが、「老人医療は、医政局総務課ですかね。老人診療報酬は保険局医療課。そして老人医療制度の総合調整は企画室が担当することになっています」とのことであった。
10兆円を超える老人医療費、全入院患者の約45%は70歳以上という現実、そして老人医療費の負担問題とともに老人医療を医療の世界でどのように位置づけるかといった課題は、20世紀から持ち越されてきたことである。それにもかかわらず、老人医療を包括的に担当する課がなくなってしまっていることに、危惧を抱かざるをえない。
老人医療の負担が大きな社会問題であることは十分に理解しているし、負担能力がある高齢者もいることもわかるが、一方で負担ができない人々もいる。負担可能な人々と負担できない人々を同一制度で対応するために、負担が可能でない人々を前提として給付を組み立てるのか、それともその負担能力に着目した制度にするのかといった基本的な枠組みをどうするのか。少なくとも「金がない、医療費が高い、負担できない、負担したくない」というステレオタイプの議論を続けるよりも、老人医療の基本とは何か、その質の確保と向上のために何が必要なのかを議論することが得策であると思う。
このようなことから、厚生労働省に老人医療を包括的に担当するセクションなり「老人医療総合対策本部」というような省内プロジェクトを立ち上げて、老人医療に関する国民的な議論を展開して欲しいし、また、不毛な医療費問題より質の議論をして欲しい。
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