老人医療NEWS第55号 |
近年の医療界のあらゆる発展の中でも最大のトピックスは人間の設計図にあたる全遺伝情報(ゲノム)の解読であろう。これにより細胞などを構成したり、様々な生命活動に関与する多様な蛋白質の解明も近いようである。そして、病気になる仕組みや、さらにはどの病気になりやすい体質であるか等がより正確にわかるようになるらしい。そして、それぞれのゲノム解析によりその人に合わせた、個別の医療が可能になるという。それをテーラーメイドの洋服屋に例えてテーラーメイド医療と呼んでいる。
しかし、それはそれほど驚く進歩なのであろうか?医療はもともと物理や化学のような規則性をもった科学ではなく、例外の多い学問でもあり、必ず同じ結果になるとは限らない。ことに老人医療においては、個人差が大きい事は老人医学の最大特徴の1つである。90歳でかくしゃくとした老人もいれば、60歳で寝たきりの人もいる。多様な老人に対し、画一の医療などできない事は、老人医療の現場に携わっている関係者なら誰でもわかる事である。
心ある老人病院では個別のケアプランを立て、それぞれの老人にあった「テーラーメイド医療」はすでに実践されている。老人医療は進んでいるのだと私は再認識した。服薬にしてもかなり量が異なり、効果も様々で副作用の差も大きい。
老人のリハビリでも、最後までその人らしい生活を求めて、リハビリ計画を立てるのが大事であり、何がなんでも歩かせるというものでもない。どこまでやるか、どこで止めるかが難しい判断の症例も多い。長期の入院生活の中では、いろいろな状況を考え、個人の希望を入れながら対応しなくてはならない。それが、まさにテーラーメイドである。離床時間は長い方がいいといって、車イスに何時間も乗せっぱなしでいいはずもない。老人にはそれぞれその人なりの人生観があり、病気に対する取り組み方、特にターミナルケアについては最大限に希望を取り入れるべきである。
尊厳死という言葉は重要で、ターミナルケアを間違えると、その人の人生そのものを壊しかねないと私は考えている。人生の最期の1ヶ月、いや1週間でもみじめな人は、その人生すべてがみじめのように思われてならない。
ターミナルケアに従事している多くの看護婦は、自分はスパゲティ症候群で死にたくない、と言う。その一方で高機能病院と呼ばれる所では、ターミナルに同じようなスパゲティ症候群を今日も作り出している。テーラーメイド医療とは無関係のターミナルセレモニー医療が医者の考えだけですすめられている現実がある。
病気の最先端治療のテーラーメイド医療より、今日からできるテーターメイドターミナルケアからはじめてはいかがなものか・・・。
折りたたむ...介護保険制度が始まり、介護サービスは在宅サービスと施設サービスに分けられ、すべての高齢者は住み慣れた土地、住み慣れた家を望んでいるはずであると、専ら「在宅」が強調されている時代です。それはさておいて施設サービスのなかでもっとも世間の認知度が低いのは、介護療養型医療施設ではないでしょうか。オンブズマン的存在で施設に入ってこられる介護支援相談員と名乗る方々も、「何か病院らしいよ」程度の認識をされている現実からも世間の認知度の低さがうかがわれます。何故でしょうか。これはこの名称に原因があるのではないでしょうか。他の介護保険施設である介護老人福祉施設や介護老人保健施設は、「元の」がついていてもそれぞれ特養、老健として定着しているのに対して、介護療養型医療施設というのは旗色が悪いといわざるを得ません。
この名称はどこで、どなたが提唱されて決まったのかは知りませんが、病院であるということが認知されるような呼称が必要だと考えます。今の世は何でも短小化のもてはやされる時代です。古くはリストラやコンビニから今はやりのITでもデジカメ、メルマガからシスアドにいたるまで、口にしやすくて、耳に響きの良い熟語がもてはやされるようです。こうみてくると、トクヨウ、ロウケン、コンビニ、デジカメと4文字がインプットされやすいのかもしれません。介護療養型医療施設ももっと親しみやすく、省略したら4文字でインプットされやすい呼称に変えたほうが世間に定着し、認知されていくのではないでしょうか。3施設の一元化も取り沙汰されていることですし、他の施設との違いを強調し理解を広めていくことは当然のことですが、広く世間に呼称を認知してもらうことも重要なことと考えます。
さらに療養病床(療養型病床群)の医療保険適用病床と介護保険適用病床の問題があります。医療の必要なときは医療保険適用病床あるいは一般病床に、介護の必要なときは介護保険適用病にと机上では考えられるのでしょうが、身体・精神を病んだ高齢者が2つに分けられるはずはなく、医療なき介護は現実にはありえません。この両者の間には訪問看護や居宅療養管理指導など問題が山積していますが、その中でも現場を混乱させているのが、オムツ料金の徴収の問題です。医療の必要性も介護の必要性もほぼ同程度の患者様に、片やオムツ料金を別途徴収してもよいが、片や別途徴収はまかりならぬということをどう説明すればよいのでしょうか。介護給付費の中に包括されているからオムツ料金は認められているはずだということなのでしょうか。介護保険適用病床でも必要な医療は可能な限り提供するのですから、両保険を比較すればオムツ料金はそのまま赤字となってしまいます。好んでオムツを使用する人はいません。必要やむを得ない処置なのですから、医療保険と介護保険との区別以前に両者とも適正な実費と適正な人件費は認められるべきものと考えます。
介護療養型医療施設の申請がいまだに予定の数に達しないのは、様々な要因があるにしてもオムツ料金の徴収の問題も大きな壁になっていると考えられます。
折りたたむ...久しぶりに兄弟8人の家族が実家に集まった。数年前に盂蘭盆初日の出来事だった。
法事を元気に仕切っていた82歳の母が、突然、「フラフラして右足に力が入らない」と訴えた。日頃から「死ぬ時は穏やかに、辛い治療や無意味な延命は受けない」と自分の死生観を語っていたが、ひとまず救急車で主治医の勤める某総合病院の救急外来を受診することになった。脳内に出血は確認されず、一旦帰宅したが、翌朝になると右半身の麻痺が顕著になったので慌てて再受診し、そのまま内科病棟(4人部屋)へ緊急入院となった。突然の右半身麻痺の恐怖感に加えて、慣れない病院のベッドや療養環境など高齢の母には精神的な負担がとても大きいように感じられた。視覚的にはカーテンで遮られているが、手を伸ばせば隣のベッドに手が届き、隣の患者さんの寝息が聞こえる距離である。これが急性疾患で苦しむ患者さんが入院する一般病床の療養環境基準である。入院直後から個室への転床を自ら強く希望したのも、決してわがままとはいえないだろう。
次は持続点滴となり、膀胱内にカテーテルを留置された時のことである。「自分の意思で排尿できないならば死んだ方がよい」と留置カテーテルを拒否した。直ちに留置カテーテルは抜去され、本人も安心したというが、今度は「オムツをあてがわれた」と憤慨する。自力歩行は困難であるが、痴呆はなく、意識清明で尿意もある。ベッド上で寝たままオムツの中に排尿することは、我々が想像するよりも抵抗があるようだ。「オムツの中には排尿できないし、便器をあてがわれても嫌だ」と訴える。呆れ顔のスタッフとの妥協案がベッドサイドのポータブルトイレであった。しかし、日勤帯はコールすれば、数分以内に看護婦がトイレ介助に訪室してくれるが、夜勤帯では訪室がとても遅くなるという。病院側に状況を説明し、付き添いを婦長に申し出たがあっさり却下されてしまった。婦長は「ご不自由ならばいつでも看護婦を呼んで下さいね」と笑顔で説明するが、母親はしかめ面で、二人の夜勤看護婦で十分な対応ができるはずがない、と言わんばかりである。基準看護が理由では患者を説得できるはずもなく、付添いの許可が下りたのは入院3日後のことであった。
ようやく2週間が経過し、いよいよリハビリが始まった。しかし、1日に1回30分程度のリハビリで土、日はお休み。検査と重なってもお休みである。高齢の母にも充分なリハビリ効果が期待できるかどうかの判断を下すことは容易であった。4週間を経過した頃、生命に関する危険な状態を脱したことを理由に担当医から退院許可が下りたというところでついに母はぶち切れた。
「まだ1人では歩けないですよ。これでどこが治ったのですか?やぶ医者ね。」
多くの不満を抱いての退院であったが、家族として病院側に母の無礼をお詫びしたところ、次のようなご返事を頂戴した。
「お年寄りは誰でもわがままになります。どうぞお気になさらないで下さい。」
臓器医学の延長線上だけの視点で高齢者を診察することは人生最期の不幸を招き、一般病院のスタッフには到底高齢者の特性を理解していただけないということである。去る6月14・15日に沖縄で第9回介護療養型医療施設全国研究会が2000名近い規模で盛大に開催されたが、どの発表も高齢者の特性を最優先に考えた研究発表であり、多いに見習って欲しいところである。
ちなみに母は杖歩行が可能になり、実家で一人暮らしを元気に続けているが、どうやら神奈川県の某病院を死に場所として心に決めている模様である。
折りたたむ...小泉内閣の真価を問う参議院選挙戦がたけなわである。問題は骨太構造改革の具体策がみえないことであり、関心は老人医療の行方だ。6月26日、政府は経済財政諮問会議の「基本方針」を正式に閣議決定し、@民営化・規制改革、Aチャレンジャー支援、B保険機能強化、C知的資産倍増、D生活維新、E地方自立・活性化、F財政改革からなるプログラムを示した。
社会保障制度の改革については、「国民にとっても最も大切な生活インフラ(基盤)である。年金、医療、介護、雇用、生活扶助等で構成される社会保障制度は、国民の生涯設計における重要なセーフティネットであり、これに対する信頼なしには国民の『安心』と、生活の『安定』はありえない。しかし、年金、医療、介護などの社会保障の分野には、『ムダがある』『負担が不公平』『将来は大丈夫か』などといった指摘が数多くある。社会保障に対する信頼は、まず国民にとって『分かりやすい』制度であることが不可欠であり、改革はこの点に十分配慮する必要がある。また制度の『効率性』『公平性』『持続性』が十分に担保されたものでなければならない」という原則が示されている。
次いで、「社会保障が、長期にわたって経済の伸び以上に拡大を続けることは事実上不可能である。今後は『給付は厚く、負担は軽く』というわけにはいかない。社会保障の三本柱である年金、医療、介護は『自助と自律』の精神を基本として、世代間の給付と負担の均衡を図り、相互に支えあう、将来にわたり持続可能な、安心できる社会保障制度の再構築が求められている。そのためにも、国民の1人1人が社会保障の意義、役割、内容をよく理解し、痛みを分かち合って、制度を支えるという自覚をもって取り組むことが大切である」としている。
医療制度の改革に関しては、医療機関、保険者、国民のそれぞれが痛みを分かち合い、医療サービスの効率化に取り組み、質が高くムダのない医療を実現するため、「医療サービス効率化プログラム(仮称)」の策定を、そのメニューとともに提示、同時に、医療費総額の伸びの抑制方針が示された。特に、「高齢化の進展に伴って増加する老人医療費については、経済の動向と大きく乖離しないよう、目標となる医療費の伸び率を設定し、その伸びを抑制するための新たな枠組みを構築する」とされている。
注目されていた「介護」については、「高齢者医療から介護サービスへの円滑な移行と連携を促進するとともに、介護サービスの供給体制の整備充実を図る。特に、痴呆性高齢者のグループホームやケアハウスの拡充が急務である。また、地域住民やNPOなど新たな担い手による創意工夫や民間活力、ケアマネジャー等の専門家によるサービス利用の支援、市場原理を活かした効率的で質の高いサービス供給を確保する」とされているにすぎない。
どう読むのか。介護については介護保険制度によって一応改革が済んでおり、今後の重要なテーマが高齢者医療から介護サービスへの移行と連携のみであるとも読める。しかし、一方では、「医療、介護など従来、公的・非営利の主体によって供給されてきた分野に競争原理を導入する」とし、医療機関の経営主体については「株式会社による経営などを含めた経営に関する規制の見直しを検討する」と明言している。
厚生労働省は、医療の質を重視しながら伸びを抑制するというかなり困難な選択をするのであろう。ただ、高齢者数の増加による医療費増は避けられない問題であり、それ以上に老人専門医療の確立が最優先課題だという認識がないわけではなかろう。
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