老人医療NEWS第50号 |
非常に興味深い「実験」がある。ロンドンの救世軍で、11歳から15歳までの17名の少女たちに、行動と態度の変容を起こさせたのは、食事だったということである。白いパン、マーガリン、安いジャム、甘い紅茶、缶詰の加工肉を食べていたときには、口論が絶えず、互いに攻撃的で権威に抵抗していた。そして、怠惰で無関心だった。その食事を、多種類の変化に富んだ新鮮な野菜・果物と乳製品、新鮮な肉を含むものに変えたところ、彼女たちのニキビはきれいになくなり、快活な態度になってあまり口論をしなくなった。自分たちを取り巻く世界に興味を持ち始め、自分自身の生活のために計画を立て始めたというのだ。
また今の日本での孤食の問題や、悪循環の食事自体を「食卓」で親が教育出来なくなり、日本の米を主食とし魚・豆・野菜で構成されてきた伝統的な食事が途切れ始めていると考えられる。やはり今ここで、日本人の伝統的な食文化をもう一度見直す必要がある。レトルト食品やコンビニの食品に頼りすぎている。とても便利なものであるが、これらには多少とも防腐剤が入っており血中燐の増加が指摘されているが他にも何らかの影響が出てくるはずである。最近の若者の犯罪増加もこのあたりに原因の一端があるのかもしれない。
この事実を高齢者のケアに取り入れることはできないか。特に痴呆の患者さんに食事の面で取り組んでみてはどうだろうか。日本の伝統的な食事を落ち着いた雰囲気でゆっくり日本茶を飲みながら食べる。患者さん同士や職員と話をしながら食べる食事はおいしいはずである。これで患者さんの気分が少し和らぐことはないだろうか。楽しく食べると消化や吸収も良くなる。
暦にあわせての行事食や伝統的な味、郷土食といった、メリハリをつける意味での食事のあり方は、決して栄養素だけの充足ではなく、記憶のなかに残っている場面と味をたどれる。この様な考えで作る食事で問題行動が少し減ることはないだろうか。食事内容と行動を少し観察してみようと思う。
若い栄養士の献立や、レトルト化された食材はこういう考えに基づいて作られているだろうか。衛生管理、栄養管理、適時適温給食などでサービスの向上になっているといわれているが高齢者は満足しているのであろうか。食べたいときに食べたいものが食べられることのほうが良いのではないかとも思うが病院の食事では難しい。
私たちがケアしている高齢者はいろいろな生活の知恵を持っている。私たちはこれを学び伝承しなくてはいけないと思う。知恵と技術を伝承するためにも、もっと高齢者と話ができる時間が欲しいと思う。そのためには、多くの人手と時間がかかる。それが実現できる制度を確保するのが経営者の仕事と思う。
折りたたむ...老人医療は入院医療を中核として展開されてきた。高齢者ケアは施設ケアを中核として展開してきた。これからは施設サービスの限界、弊害について見直す時期にきている。費用対効果といった視点でも。
病院といった環境は高齢者、とくに免疫能力の低下した要介護者にとってはMRSA、緑膿菌、セレチア菌等に感染しやすい最悪の場なのである。病院といった環境は生活の場となりえていなく、一方的にサービスを提供しており廃用性の機能低下、能力障害(生活障害)を起こす場なのである。病院といった環境は生命の多面性(肉体的生命・精神的生命・社会的生命・文化的生命)といった全人的な配慮がなされていない無味乾燥の場なのである。
施設ケアの一律の人員配置基準では集団的、画一的処遇の場の域を出ず、決して個別ケアとなりえていない(これからは人員配置基準をなくし、個別のケアプランに基づくサービスの保障、報酬体系にしていくべきであろう。)さらに現状の高齢者医療の実態はサービスの視点が家族に向けられ、利用者が高齢者であることを二の次としている。
このような病院といった環境が人生終末の場として相応しいのか。高齢者自身が望んで入院、入所しているのか。この期に及んで優先順位を何にするのか。入院医療、治療方針において本人の意思を確認できているのか。自分の立場(利用者)で考えてみようではないか。社会保障の一翼を担っていく立場からして(税金、保険料を財源としているかぎり)病院、介護施設は社会のニーズにマッチしたあるべき姿を追い求めた利用者本位の個別のサービスを提供していくべきであろう。その一歩として介護保険が誕生したと私は考えたい。
老人病院こそ地域に展開していくべきである。高齢者を地域で支えていくために我々が何をなすべきかはすでに明らかである。コミュニティケア、個別ケアの具現化を図っていくための訪問診療体制の整備、在宅医療、ケアをされている方々のための緊急入院用のベッド確保(稼働率100パーセント、1年の入院待機ではなく)。居宅での医療、介護の安心、安全を24時間、365日応援していくための政府ティーネットの構築。予防、予測的ケア、リスク管理等々の技術革新。などやるべきことや、メニューは出尽くしている。要は我々の行動の変容である。高齢者がサービス提供側にあわせていくのではなく、高齢者のニーズにサービス提供側があわせていくといったごくごくあたりまえの社会常識に我々の業界も早急に脱皮すべきであろう。
高齢者医療を実践し、実態を直視してきた者だからこそ医療界の先頭に立ち、我々の業界を、サービスを変えていこうではないか。高齢者の医療に携わってきたからこそ変革すべきことが見えるはずである。
いつの間にか我々の仲間が我々の業界の中枢と何ら変わらなくなってきているのではないだろうか。入所オンリーの施設医療、ケアにしがみつき、業界保護、保守のため何でも先延ばしのパターンに陥りたくないものである。我々こそ医療界のパイオニアに成れるチャンスがあると私は確信している。いかがなものか。
折りたたむ...当院は神奈川県の湘南といわれる所に位置している。湘南というのは相模湾に面した茅ヶ崎市・藤沢市・鎌倉市の比較的南側と理解している。湘南という名称は当地でも人気があり、平塚市や横須賀市、大磯町までも湘南という人が多いようだ。なぜ、みんな湘南という名称が好きなのか、私なりに考えてみると、湘南という言葉の響きに“明るい”“さわやか”と感じる人が多いのではないか、それゆえ湘南には一種のブランドがあるようである。
湘南という所をあまりご存知ない人の為に簡単に紹介しておくと、地理的には20分〜30分で横浜に出られ、東京までも1時間位の便利な所に位置しており、もちろん海に近く、箱根も近い。気温は温暖で雪も少なく、一言でいえば大変住みやすい所といえる。またマリンスポーツや釣りにも適しており、遊び場所も多く、老若男女を問わず人気がある。何より湘南ぽいのはサーファーと呼ばれる人が多く、風の良い日の海岸は、よくぶつからないなと思うほど混み合っていて、遠めに見るとオットセイが群をなしているようで、湘南らしい景色である。一般にはサーファーというと若者というイメージがあるが、40代以上のサーファーは珍しくない。しかも若者と中年のサーファーが食事を楽しんだり遊んだりするのは湘南海岸の特徴のひとつと思うし、見ていてここちよい風景である。海岸通りに続く道にはサーフショップといわれるサーファーご用達の店が多く、サーフボードやボディーボードなどが所狭しと並んでいる。
私の家の近所にもサーファーショップが並んでいるが、『湘南ボーイ』とはこういう所で育った人達のことかなあと『にわか湘南おやじ』である私は自分の若い頃を思い出し、かなりギャップを感じている。
湘南に生まれ育った人はずっと湘南に住みたいようで、東京にも近い為か、東京にあこがれもコンプレックスもないようである。反対に東京の私の知り合いの多くは湘南にあこがれているようで、『いい所にお住まいですネ』とよくいわれる。私は、京都生まれの東京育ちで、大学時代よく湘南の海にドライブに来ていて、いい所だなあと漠然と思っていたが、まさか自分が『にわか湘南オヤジ』になりマリンスポーツが好きになるとは思わなかったが、今は東京より湘南に住んでいたい。
湘南のイメージを良くしたのは古くは石原裕次郎・加山雄三氏に代表されるマリンスポーツの隆盛、最近ではサザンオールスターズの桑田佳祐氏の音楽であろう。20数年ぶりかの茅ヶ崎でのコンサートの地元のフィーバーぶりは本当にお祭りさわぎであった。売り出されたチケットは勿論予約で満杯で、抽選の倍率は何倍にもなったと聞いている。8000円の入場券はまさにプラチナチケットとなり、金券ショップやインターネットの取り引きで何十万円という値がついたようである。
運良くコンサートが見られた友人に聞いてみたら、歴史に残るようなコンサートだったとのことであった。(チョットうらやましい!)
茅ヶ崎という町を全国レベルで有名にし、湘南のイメージアップに貢献したとの事でサザン通りなる名称に変更した商店街もある。ちなみに加山雄三通りや通称サーファー通り等の道路もある。
こういった一連の出来事により、おしゃれな湘南ブランドは生まれたのであろう。かくて湘南とは思えないような遠い所のマンションにも『湘南』とつけている所はごまんとあるし、おみやげや食べ物にも『湘南』の二文字をつけているものは多い。湘南ビール・湘南アイス・湘南まんじゅうetcあげたらきりがない。
小生の病院も湘南長寿園病院と『湘南』をつけることにより、どこにあるかがわかるようにして湘南ブランドを利用させてもらっている。
湘南ブランド ありがとう!
折りたたむ...介護力強化病院や療養型病床群は医療保険でも介護保険でもどちらでも良いことになって、介護保険制度はスタートした。そもそも、老人病棟を療養型病床群に円滑に以降してその全てを介護保険適用するというのが厚生省の原案であった。
しかし、療養型への移行が急激に増加し、どうみても19万という予想に反して、30万床がなだれこんできそうになると「医療保険は6か月まで」といい、その後「どちらでもよい」ということになった。平成12年の老人診療報酬は、このことを受けて、6か月までの入院であれば医療保険が得、6か月以上でも要介護3以下では医療保険が得という内容になってしまった。
いろいろなことがあったのは確かであるが、その結果どのようなことがあったのか、全国の病院を見学したり、電話で情報交換した。
病院の全ての病床を医療保険のままとした、介護と医療を半々としてみた。僅かだけを医療保険とし、残りの全てを介護保険にしたなどの意見であった。中には「要介護4と5の患者さんで6ヶ月以上だけを計算し、その分だけ介護保険にした」と明確に答えてくれる病院もあった。
実際は、各病院とも、手さぐりの状態での決断であったが、6ヶ月以上、要介護4と5だけの病棟というのは、収益計算上は当然なのかどうか、疑問があった。これを45(よんご)病棟と呼んでおこう。
では、見学してみようということになった。懸命にケアしている病院もあった。しかし、20年前の老人病院のように、午前11時でも、午後4時でも、患者の8割はベットの上だ。療養環境が改善され、比較的広い4人室の4人ともが寝たきりであると、なぜかものがなしい。
よんご病棟は、介護保険と老人診療報酬によって決定されたようなものだが、ここまで収益性を追及する病院が出てきたのかと、改めて関心するとともに、それは老人の専門医療の確立とはほど遠いように思う。
国の要介護認定は、推定標準ケア時間というものさしで、要介護度を分類したという。仮にそれが正しいのであれば、要介護2の人の2倍のケア時間が要介護5の人では必要であることになる。もう一歩進めて考えれば、要介護1と2ばかりの病棟とよんご病棟では、2倍のケア時間の差が生じるのであろう。それを、同一の看護職と介護職でケアしているというのであれば、1と2の病棟では、職員がひまであるか、さもなければ手厚いケアが行われ、よんご病棟では、職員がフルに労働しているか、必要なケアを受けられないでいることになってしまうのではないであろうか。
結局、よんご病棟は、寝たきりばかりで、リハビリテーションやアクティベーション、あるいは基本的な排せつ、食事、入浴、身の辺りの世話などが、著しく低下し、20年前の寝かせきり病棟に逆もどりしてしまうのであろう。
このことを我々はどのように考えるのであろうか。老人の専門医療が確立した上で、介護保険制度が展開したのであればまだしも、その途上で見きり発車した介護保険制度によって、一番大切な高齢者のケアが低下することについて、どのように考えても賛成できない。
ただし、要介護度が高い病棟の全てが、このような状態であるわけではないことも事実である。つまり、少ない人数で、知恵と工夫と科学性でケアを提供すれば、全く不可能ではないということである。このようなことを実践できているのは、患者さんあたり介護職員数が1対3の施設である。介護病棟の悲劇が、だれの目にも明らかになる前に、介護職員の多い施設の必要性と、ケアの科学性を証明したいと思う。
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