老人医療NEWS第5号 |
将来にわたって65歳以上の人口、とりわけ75歳以上の超高齢者層が著増するについては、いまさら言及するまでもなく、知られた事実に近い予測である。したがって、それに伴う保健・医療・福祉にわたる対人サービス・二ーズが測り知れない程に増加することも確かなのである。対人サービス・ニーズといっても、老人なるが故に多様性が必要とされる。これも、至極当然のことである。
このように変化してくる二ーズ、また、新たに生じるであろうニーズに対応し、それに見合ったサービス形態となっているのか、そのような基盤整備がととのっているか、が実は今間われようとしているわけである。しかも、単なるシステムとしての整備ではなく、サービスの質や評価が求められようとしていることからは、安閑とはしておれないはずのものである。
国民の生活意識や生活水準が向上してくる中で、保健や医療・福祉へのサービスが要求され、より質を高く、より良いものへの欲求が高まっている。しかし一方で、有限である資源という制約下においての整備であるから、より質の高いサービスをといっても、これまた限りがある。
このように考えてくれば、高齢者へのサービス形態として存在する、いわゆる老人病院特例許可老人病院、特別養護老人ホームと今回導入の老人保健施設を含めて、あらためてそれらのあり方を総合的に眺めてみる必要がありはしないだろうか。われわれはしばしば、ある問題が生じれば、その問題にのみ引きずられて、他のことが見えなくなることがある。
本来的には、医療施設にしろ、福祉施設にしろ、それぞれの役割機能分担をしていて、その分担に応じて、有機的に機能してきたのであろう。それぞれの施設が独立しては、決して存立し得ないわけであるから、どうしても機能連携せざるを得ない。従来の診療所、病院の発達史から見ても、独立した機能を総合してもつような病院、さらには総合病院として発展してきた。そして、高次医療機関ではそれが、また細分化され、センター化されている。いわば、分化と総合を繰り返してきた過程が、医療施設の発達史ともいえる。これからの老人医療を見る時に、老人病院、特例許可老人病院、老人保健施設、そして特別養護老人ホームというサービス形態は、今、分化を果たしつつあるとみるのか、その過程の中で総合が考えられながらの分化なのか、考え方の視点によって異なってくる。
ただ、保健や医療・福祉が、人間を対象としている限り、これらの施設を分断しては考えられず、総合の中の分化、そして互いの機能連携が必要なことを強調しておきたい。
折りたたむ...高齢化社会へ向けての医療を
数年間の大学研究生活の後、国立病院内科医長兼研究検査科医長として勤務していたが、なんとなく物足りなさを感じはじめたこともあり、また病院長の快諾も得られたことから、東京都内、近郊の有名大学および専門病院で勉強するために上京してきた。そこでは短期間ずつではあったが、もっぱら消化器病を主とした勉強をさせていただき、非常に得るところが大きかった。
そこで、さらに欲が出て海外留学を志したが、実現できないまま昭和35年1月に現在地(佐賀駅より徒歩12分)に、消化器・呼吸器・内科を標傍して19床の有床診療所としてスタートすることとなった。
開業2年目にして幸いに入院を希望する患者も多くなり、定床をはるかに越す30床以上の入院加療状態が続いたため、県からの指導もあり、昭和40年、69床に増床して小さな病院として現在に至っている。
当院の位置する佐賀市は、人口僅か17万前後の小都市である。そこには佐賀医大、国立病院、県立病院その他いくつかの大病院があり、さらに数多くの民間医療機関がひしめきあって地域医療を形成している。当院もその一員として、これら諸機関施設と協力し、地域医療に貢献しているところである。
特別養護老人ホームの開設
昭和49年から50年にかけて、県福祉関係者から、特別養護老人ホーム開設のすすめと依頼が数回となくあったが、当時は病院の仕事が精いっぱいで気分的余裕もなく、応じる気持ちは持ちあわせなかった。しかしながら、その時分から強く打ち出されはじめた老人増加問題、高齢化社会の需要等を考えた結果、機会ある度に特養施設を見てまわった。特養の実態をまのあたりにしてその必要性を感じるようになり、幹別養護老人ホーム設立に踏み切ったのである。
昭和52年、佐賀駅より北に2kmのところに、当時、都市型ホームとかいわれた107名収容の特養ホーム晴寿園を開設、本年6月には10周年を迎えるに至っている。
老人医療対策
当院における加療患者の年齢層は昭和50年頃まで入院、外来患者の80−90%は60歳未満であったが、それ以降は逐次高年齢層に変ってきており、今後の老人医療、その他の老人対策がいかに必要かを考えさせられる。ちなみに昭和58年から昭和62年1月までの当院における入院・外来患者総数に対して老人患者(70歳以上)の占める割合は表のとおりである。外来においてはそれ程変化はみられないが、入院においては、例にもれず年々増加の一途をたどっている。
この傾向からしても、今後なお増え続ける老人に対して、われわれ医療人はいかに対処すべきかを研究すると同時に、老人専門医療が充分可能な病院の増改築・増床が求められる。そして、老人専門医療病院には、呼吸器、循環器、脳血管、心・腹部各臓器を含めた消化器および老人性痴呆等主病名としての疾患の診療器具、リハビリ等の設備と、さらに老人を取りまく医療看護体制を確立するに必要な人、環境等々の整備を早急に実行に移す必要性を痛感させられる。
老人医療への取組み
数年前までは、内科医師として地域住民に対し忠実に医療を行なってきたが、特養を併せ持つようになったため、地域医療そして老人福祉のそれぞれの分野に携わりながら老人医療対策に取り組んできた。今後とも、なお一層老人医療に力を注ぎたいと考えている。
しかしながら、今後の老人医療を考えると難問が山積されており、解決に苦慮するところである。老人の専門病院、専門医療、老健法および養護福祉施設内保健等の関係も、国会等で審議され決定しつつあるも、今なお私には釈然としない一つでもある。
日進月歩、急速な時代の流れに老人医療も同時に変化している。それに従って努力を重ねていくことは、われわれ医療人の使命と考える。わからないことは徐々に勉強をし、老人専門医療については、努力すれば可能な簡単なことから次のことに留意しつつ、最大の医療知識と細心の医学的良心をもって、次のような点を念頭に取り組んでいきたい。
私の希望
老人医療を含めた老人対処は非常に重要な問題であり、関係機関、財界、一般民間とあらゆる方面の方々がいろいろと論議され、やっと国会にも取り上げられ進行はしているものの、末だ決定しかねる事項、不備な点も残っており、今後なお検討を必要とすることは周知である。
そこで、老人の専門医療を老える会や、それに類する会をより一層充実したものに育て、医療人としてより良い老人医療にもっていける健全な意見を、堂々と関係機関や一般国民に訴え、実現に努力すべきだろう。
折りたたむ...日常老人の診療を行っている医師であったら、老人の肺炎に悩まされ、また、苦い思いをした人が多いと思う。われわれが”肺炎”というと発熱と喀痰・咳喇という言葉を思い浮かべるけれども、老人が肺炎に罹ると、そうはいかないところに落し穴があり、悩まされる。
いつもより少し元気が無いかな、少し食べるのが遅くて何となく食欲が落ちているかなあ、聴診上も異常はないし熱も咳もない、でも念のためにレントゲン写真を撮って・・・、出来てきたフィルムを見て「アッ!やっぱり肺炎だ」。つまり、臨床症状や検査成績と平行しないのが老人の肺炎の進行である。
その原因には、
したがって、老人に少しでも異常があったら、すぐ肺炎を疑えばよいわけであるが、私はその異常の中でも特に、
血沈やCRP、白血球数、血液像が他の合併症のために、必ずしも常に正確な指標とはなり得ないことも肝に命じている。また、肺気腫、慢性気管支炎、心不全が合併している場合には、その上に肺炎が加わって症状を進展させてしまうことも良くあることなので、基礎疾患のある老人には、特に注意する必要がある。
インフルエンザの季節も恐い。インフルエンザウイルスで線毛が傷めつけられ、痰等の浄化機能が落ちると、ひとたまりもない重症の肺炎に追い込まれることもある。私もこの時季には、インフルエンザの流行期が早く去ってくれるよう神様にお祈りをするのである。
老人の肺炎は、気管支炎が多く、経過も急速に進展してしまうことがあるので、治療も当初より2〜3剤の抗生物質を組合せることが必要なことが多い。それでもなお、「アッ!まだ・・・」が生じ得るのがお年寄の肺である。また、肺生心(肺水腫)を生じた症状では、高張の補液やステロイドホルモンが、呼吸困難の改善に劇的に効く場合にしばしば出合うので、その使い方に充分習熟する必要性を感じる。
折りたたむ...2月10、11日の両口、東京都千代田区において老人の専門医療を考える会主催・第2回ウェルナーシングワークショップが開催された。全国各地より看護婦(士)46名、医師6名、計52名が参加した。
第1日目は、午後1時30分に開幕した。オリエンテーションの後、聖母病院教育婦長寺本松野氏の基調講義が、1時間30分行われた。
それに続き、5グループに分かれてワークショップに入った。ワークショップのテーマは「老人へのターミナル・ケアナーシングとは」と、「いのちを看るチーム医療のあり方」である。各テーマについて2時間ずつの討論が交された。
ワークショップのグループディスカッションとグループリポートは第2日目にまでまたがって展開された。
ターミナル・ケアにおいては、特に、身体的ケア、心理的ケア、社会的ケア、そして生命倫理学的ケアが強く望まれていることを認識し、改めて真正面から取り組んでみようと、意見が一致した。
第2日目には、ワークショップの締め括りとして、上智大学文学部教授アルフォンス・デーケン先生の二時間にわたる講演が行われ、正午に閉幕となった。
<参加者の感想>
アルフォンス・デーケン氏講演
死との対話
現在、欧米においては死への準備教育が急速に普及しつつある。日本においても、高齢者に対する死への準備教育を考えなければならないことはもちろんであるが、その前に、自分自身の死への凖備教育を考えねばならない。なぜなら、それはよりよく生きるための教育でもあるからである。
それでは、死への凖備教育の目標の中から、主なものをあげてみよう。
第1は、死へのプロセスならびに死にゆく患者の抱える多様な問題と二ーズについての理解を促すことである。死へのプロセスへの段階は、6段階あると考える。第1の段階は「否認」、第2の段階は「怒り」、第3は「取り引き」、第4は「抑うつ」、第5は「受容」、そして第6は「期待と希望」の段階である。特に、第3の「取り引き」の段階では、患者が他者に対して最も解放的・協調的挺なる時期であるので、多様な援助が可能となる。
第2は、生涯を通じて自分自身の死を凖備し、自分だけのかけがえのない死を全うできるように、死についてのより深い思索を促すことである。
第3は、悲嘆教育である。デス・エデュケーションに関連した大切な問題の一つに、死にゆく人の家族など、残される人々が経験する、悲嘆のプロセスの問題がある。このプロセスを上手に乗り切れなかった場合、心身の健康を害う可能性が非常に高いため、予防医学の観点からもきわめて重要である。
第4は、極端な死への恐怖を和らげ、その心理的負担を取り除くことである。この援助には、音楽療法はかなり有効である。
第5は、死にまつわるタブーを取り除くことである。死のダブー化は人間同士の率直な対話とコミュニケーションを妨げ、創造性を奪う行為である。
第6は、自殺を考えている人の心理について理解を深め、また、いかにして自殺を予防するかを教えることである。
第7は、告知と末期がん患者の知る権利についての認識を徹底させることである。むやみに告知をタブー視せず、ケース・バイ・ケースで柔軟に対応することが望まれる。ただし、充分なアフターケアが行われねばならない。
以上のような目標があげられるが、死は、死を迎える患者への援助のみでなく、その家族の問題でもある。そして何よりも、看護側の心の準備がなされてなければならないのである。
折りたたむ...3月20、21日、老人の専門医療を考える会主催・第1回リハビリテーション研修会が大阪市・ホームイン今里において開催された。医師、看護婦、理学療法士、MSW等、全国より33名が参加した。
第1日目は、ボパース記念病院(大府市城東区東中浜一−六−五)の見学を中心に研修が行われた。午後2時より、同病院院長梶浦一郎氏により「病院開設過程と病院運営の問題点」の説明がなされた後、2班に分かれて院内見学を行った。見学後、リハビリテーション部長紀伊克昌氏により「ボバースアプローチの優位性と現状」、院長梶浦一郎氏により「老人へのポバースアプローチの考え方」という演題で講演が行われた。午後6時30分より、同病院スタッフ6名を迎え、懇親会の場がもたれ、活発な意見交換がなされた。
ボバース記念病院は、ロンドン・ボバースセンターと国際提携を結んでいるリハビリテーション整形外科病院であり、日本で唯一のボバースアプローチの教育研修活動を行っている。282床の病院ではPT38名、OT18名、ST5名が従事している。ポバースアプローチの基本的考え方は、中枢神経損傷によって生ずる異常運動を中心とした各種の障害に対して、脳に残る潜在的な機能を発掘し、異常な運動発達を抑制していく中で、正常な運動の発達を促進していこうとするものである。治療は、1人1人の患者さんに対して、常に生活機能全般を把握しつつ分析検討しながら問題点を明らかにし、基本的な運動障害から順次修正改善を、マンツーマンで対処していくものである。第2日目は、2テーマに分けて3時間にわたる討論会となった。
ボバースアプローチとこれからの対応
ボバース記念病院におけるチーム医療の素晴らしさは、参加者一同痛感した。リハビリに従事する者にとってボバースアプローチの考え方は、ある意味で当り前のことをきめこまかく継続的に対処していくことにつきるのでは、とおもわれるが、多くの老人病院においては、人的資源等に制約があるため、なかなかそのように対応していくことが困難である、という意見が出された。
老人に対するリハビリは、なぜ必要で、またどのようにあるべきか、という考えはまだまとまっていない、というのが実情である。
老人病院でのリハビリを、今後とも引続き真剣に取組んでいく中で、リハビリサーヒスの質的向上をはかっていくことが大切であり、そのためには会員病院間での情報交換をも含めた第2回の研修会開催が望まれる、という声が多く出た。
最後に、総合司会の天本宏会長も、「老人病院そのものが間われ続けている情勢の中で、老人病院でのリハビリ活動は『こうである』というものをつくっていく必要があり、そのための努力は惜しまない」と、今回の研修会を締め括った。
折りたたむ...桜の花の下を、なんとも場違いな選挙力ーが走っている。花見の楽しみさえうばう勢いで・・・。
新年度は、多くの人々に新しい期待と不安を抱かせるが、こと老人医療の分野では、不安ばかりという状況となりつつある。この不安は、老人保健施設、国民医療総合対策本部診療報酬改定というものから生じているように思う。
4月1日に、老健のモデル施設第1号として、兵庫県多可郡の中町赤十字病院で事業が開始され、15日には北九州市の南小倉病院で、そして5月2日には、下関市の武久病院でスタートする。このモデル事業がお年寄りのためになる施設になるよう期待したい。それというのも、施設基凖や人員基準等が、これらのモデル施設の実施状況をみながら老人保健施設審議会で審議されるからである。問題は、老健審の病院代表の委員だが、幸い当会からも、老人病院にも理解を示す委員が就任することになった。なにしろ、現場を知らない人々に、審議をされ、机上論だけで老健施設の基凖を策定されては、国民にとっても病院にとっても、これ以上の不幸はない。この意味では、十分期待できる委員の人選である。ただし、老健審に多くを期待しすぎるのも問題が多い。
老健施設が実施されれば、いじめられるのは老人が多く入院している病院ということになるのは、確かであろう。厚生省では、これまでの医療費抑制対策では不十分だとし、供給体制そのものをも見直す国民医療総合対策本部を省内に設置し、この6月にも中間報告を公表するらしい。
その内容は、不透明ではあるが、病院の機能分化の促進、老人病院の老健施設化、検査、看護、リハビリ、給食について、広範な提言がなされることになろう。厚生省内には、以前から病院を一般(主に急性)病院と慢性病院に区分する考え方を示しているし、老健施設化の促進策も検討しているはずである。さらに検査のマルメ、基準看護の適正化、リハビリの見直し、給食の患者負担という路線がある。このような考え方は、六月の中間報告にも盛り込まれることになると考えるのが自然だ。
こうなると、老人病院制度というものは、再検討せざるをえない。当会が主張しているように、現行の老人病院制度は、財政的見地から、単にお年寄りの入院患者の数に着目しているにすぎず、老人の専門医療を確立するという考え方がまったく欠落している。だから制度自体をお年寄りの状況に見合った質の高いものにして欲しいのである。しかし、病院の制度を急性と慢性に区分するということになれぱ、老人病院は、慢性病院として踏みとどまるか、老健施設化されるかのどちらかとなる。
いずれにせよ、老人専門病院を目ざす当会としては、あまりにも不安が大きい。このような内容で中間報告がでれば、あとは診震報酬上の操作ということになるが、これは抑制以外のなにものも期待できない。
選挙力ーは、選挙期間中の辛抱ですむし、民意を間うという姿勢があるので救われるが、厚生省の進軍ラッパは、だれを救うのであろうか。お年寄り中心の質の高い医療を実践し、理論武装と会員の団結の下で一時の花見をすることを夢みて、この難局に立ち向いたい。
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