老人医療NEWS第4号 |
老年者の医療は、老人福祉など老年者をめぐる制度とのかかわりが多く、これらを無視して論ずることは片手落となる。限られた紙面で老年者の医療を論ずることは困難であるので、巻頭言らしからぬ箇条書で筆者の主張を述べてみる。
小さな規模で大きな挑戦 ―医療の原点を考える―
上川病院は新宿から電車で約1時間程の八王子市の郊外、都民の休養の場として有名な秋川丘陵の自然公園に隣接する、静かな、緑多き環境のなかにあります。八王子市は東京でも有数の、病院が多い地域ですが、16年前、当時都立松沢病院の医長であった父吉岡慎二は、巨大化、管理化していく公立病院では果たしえない精神医療の理念を実践するため、あえてこの地を選び、上川病院を設立しました。
精神科医療とは
父の理念とする精神科医療を一口でいうなら「徹底して患者の人権を守り、患者一人ひとりにきめの細かな治療を提供する」というものです。具体的にはまず治療チームがそれぞれの立場で、日常生活や治療活動の中で、個々の患者と接触しその悩み、不安、不満に耳を傾けます。そしてその患者の生活の歴史や背景、退院後の立場などを考慮したうえで受容したり助言したり慰めたり、あるいは教育的なかかわりをもちます。治療チームはその過程で患者の内部に生ずる微妙な変化や成長を注意深く察知し、さらに次の段階でおなじ試みを繰りかえしていくという、これは手づくりともいうべき作業です。
この根気のいる細やかな作業を、治療チームが患者への愛情や情熱を失うことなく実践してゆくのには、治療者と患者との接触・交流が獲く、院長の治療理念にもとづくスタッフの団結が強いものでなくてはなりません。父は病院が巨大化するとどうしても治療者としての自覚が薄らぎ患者に対する管理的操作が多くなりがちであるという、松沢病院時代の体験から、小規模病棟が最適と判断し、周囲の病院が高度成長の波にのり次々と増床巨大化してゆく中、79床の小病棟スタイルを14年間頑固に守りつづけてきました。
また、退院後の患者さんのフォローのために、17年間一度も休むことなく日曜外来を実施しつづけてきました。このあくまで治療の場たらんとする姿勢は、都内の精神病院に精通するケースワーカーから『東京の精神病院をABCにランクづけしているが、上川病院はAです』と評価されたこともあります。
ホットなチーム医療を
父の精神科医療における情熱は上川病院の基本精神として、3年前に併設した内科病棟にも確実に受け継がれています。多くの老人の場合、病は身体のみならず、心あるいは社会的背景との複合体として治療されるべきですし、介護、サービスも一人ひとりの患者の二ーズに応じ細やかに提供されねばなりません。
私は内科病棟を建設する際、ベッド数を四八とし、部屋の構成を大部屋でも四床室とし、デイルームに広いスペースをさきました。またPT、OTの2部門からなるリハビリテーション施設やMSWも配置しています。
そして何よりも肝心な人づくりに関しては、病院の競合する八王子市の中で、さして交通の便のよくない立地であるという悪条件はありますが、職員に対してこれまで、一病院にとどまらず、明日の老人医療を担う人間を育てる心づもりで接してきました。有資格者にありがちな、治療者としての怠慢さには、カンファレンス・ミーティングを通し、常に厳しく教育・修正してきました。
また、たとえばリハビリテーションスタッフについても、PT、OTとして、単なる一技術屋としての専門性を追求させることなく、心身の両側面から老人そのものに接することを要求し、そこから培われた感覚をもって、リハとは何か、地域医療とは何かを考えるよう導いてきたつもりです。
幸い当院では、通常対象外とかお手あげとか称される患者さんの入院依頼も原則として引き受ける、という伝統が育っています。看護スタッフもリハスタッフもそれを当然のこととして、忍耐強く、それぞれの役割を果たすべく努力しています。その結果として他院からの紹介状に記載されている問題症状が、軽快したり解決したりすることも多く、私たちはその過程で多くのことを学んでいます。
上川病院のスタッフは大へんに若い。副院長の私、事務長、婦長ともに30代であり、看護婦の平均年齢も30代前半です。この若い集団が小さな器の中で、患者の人権、患者の立場に立つ医療を身をもって吸収しつつあります。全身をかけて実践してもいます。
これからも、老人医療を真剣に取り組んでいる多くの会員の先生方のモデルになるつもりで挑戦し続けて行く所存です。
折りたたむ...昭和30年代までは在宅療養が一般の常識であり、ターミナルケアも家族によって支えられていた。私も当時は真冬のシケの中でも小さな漁船で1〜2時間、離島にまで往診に行き、臨終にも立会った。そこには家族はもとより近所の人達も集っていた。それまで力を合せて介護した人達である。小さな子供もいた。
現在はまた新たに在宅療養、家庭医制度、病診機能分担がやかましくいわれだした。高齢者の在宅療養の最大のネックは家族の介護体制、介護力、介護知識の乏しさであり、その結果の「とじこもり症候群」である。「とじこもり症候群」により四股の運動機能の低下から寝たきり状態へ、また痴呆の発症、増悪への道をたどる。少しでも身体を動かし(できるだけ自力で)、人との交わりを多くするように努めなければならない。リハビリテーションとしては、個別の機能訓練よりも日常生活動作の中に、必要な機能訓練をよりいれる工夫が求められる。また、一歩でも戸外へ連れ出す努力も大切である。痴呆の場合も同様のことがいえるが、グループワークが重要な役割を果たすように思われる。したがって、デイケアはぜひとも、機会をふやすように医療機関側が努力しなければならないのではなかろうか。もちろん医師の定期的往診、訪問看護(保険診療としての制限緩和を希望するところだが)に支えられるところも大きいが、「とじこもり症候群」予防のためにも家族の教育、とくに片麻痺等では退院(病気が治って帰ってきていると理解していることが多い)の後も、継続的訓練は欠くことのできないことであることを十分理解してもらい、家族が再入院防止のためにも療養に十分援助す るようすすめなければならない。
いずれにしても、在宅療養には多くのマンパワーが必要である。また、在宅でのターミナルケア、在宅ホスピスのプログラムづくりも重要な課題である。
折りたたむ...12月15日、老人の専門医療を考える会主催”老人施設訪問見学会”が開かれた。訪問先は、小山田記念温泉病院(三重県四日市市山田町五五三八−一)、第二小山田特別養護老人ホーム(同市同町五五〇五)である。参加者19名が午後1時に集合し、約4時間にわたる見学の後、両施設の理事長である川村耕造氏を囲んで忘年会の場がもたれた。
小山田老人施設群は、三重県四日市市の中心部から西南に約10km離れ、豊かな自然環境に囲まれている。その中で、小山田記念温泉病院は涌出した温泉を利用して建設され、昭和61年11月13日に開院された最も新しい施設である。診療科目は18科にわたり、総床面積16733.98平方メートル、鉄筋コンクリート8階建、病床数330床である。1〜2階が医療設備・事務等、3〜7階が病棟、8階を浴場・屋上リハビリが占有している。
まず、正面玄関を入り、待合ホールを通って右側にはアトリウムがある。二階まで吹抜き、天丼を含め外に面する壁面はガラス張りとなっている。アトリウム内には銀行、理容室、美容室、売店、喫茶店が並び、これまでの病院のイメージを打ち破った”余裕の空間”ともいうべきスペースである。
このアトリウムは、機能回復訓練室の入口へもつながっており、そこには温泉を利用した水治療室ある。
各階病棟には、2カ所のデイコーナーと、食裳・デイルームがある。デイコーナーには畳の配慮もなされている。
病室の入り口は引戸となっており、ベッド間はカーテンで仕切れるようになっている。最上階には大小2つの浴場があり、絶えず温泉が溢れ出ている。1つ1つの設備はもちろん、その空間の広さには目を見張るものがある。
次に、露天風呂、小動物園などが点在する散策道を通り、第二小山田特別養護老人ホームへと足を運んだ。このホームは、日本でははじめての痴呆性老人を対象とする施設である。昭和56年4月1日に定員50名で開所、現在は鉄筋コンクリート3階建、定員90名(4人室11、個室44、2人室1)の施設である。
私たちが訪問した時には、老人の姿は居室にはあまり見えず、談話室に集っていた。談話室(食堂)と機能回復訓練室で一つの大きな部屋となっており、その床にはオレンジ色が使われている。広い廊下には手摺とベンチが備えられている。
以上のような小山田老人施設群を見学し、参加者一同、老人医療への新たな熱意を胸に四日市市を後にした。
最後に、その他の小山田老人施設群を記しておく。
小山田特別養護老人ホーム
S49・6・1開所、定員140人
体の不自由な老人に生きがいと温かい介護の手を。
第二小山田軽費老人ホーム(A型)
S58・4・1開所、定員50人
身の回りのことができ、家庭環境や住宅事情で困っている老人が軽費で利用できる。
小山田軽費老人ホーム(B型)
S54・10・1開所、定員50人
健康老人の福祉と予防福祉を目的とする。
小山田デイ・サーピスセンター
S57・4・1開所
在宅老人が仲間と集い機能維持を計りながら楽しい一日を過ごしてもらう。
小山田身障者療護施設
S62・4開所予定
厚生省では、1月7日、医療福祉分野で重要な役割を担いながら法律に定めがない職種について、資格制度を導入する方針を定めた。医療関係の仕事で、現在資格制度ができているのは、医師をはじめとして14種ある。しかし、言語療法士や、CTを扱うメディカルエンジニアなどは、関係の学会や団体に登録しているだけの、民間による資格制度となっている。福祉の分野でも、ヘルパーなどのさまざまな職種があるが、これらにも法定の資格はない。
そこで、こうした医療、福祉の職種に法定の資格を広げようとするもので、医療で10種類、福祉で40種類ぐらいが対象になる見込みである。資格化できるものから通常国会に法案が提出されることになるが、世話を受ける側が安心できるようになる半面、人件費などで医療費が増えることも予想されるため、厚生省では慎重に制度化を進める方針である、と発表された。実際に、どの職種の資格がどのような形になるかについては、厚生省内に設置される検討会の結果を待たなくてはならない。新しい医療従事者の資格としては、今のところ、メディカル・ソーシャル・ワーカー(MSW)、言語療法士(ST)などが有力視されている。
この2つの職種は、老人の専門医療を実践するために不可欠の職種で、制度化が強く望まれる。そして、制度化に伴い診療報酬上の位置づけを明確にして欲しいというのが、当然といえぱ当然の要求であろ
折りたたむ...本年1月1日から老人保健法が施行されたことに伴い、焦点は老人保健施設のモデル事業に集中している。厚生省の当初の考え方では、61年中に10カ所のモデル事業を実施し、62年の春から秋にかけて、このモデル事業の結果をもとに、老人保健審議会で施設基準や老人保健施設療養費の額を決定する予定であった。
しかし、これらの計画は、老人保健法案の国会審議中に変更を余議なくされた。そこで、今後の動向について、若干の整理をしてみたいと思う。
まず、施設療養費の額や運営基準については、老人保健審議会だけでなく中医協でも審議されることになった。これは、老健施設を少しでも「医療寄り」にしたいという医療側の要求によるものである。さらに、老人保健審議会の委員に、病院の代表者をかえる(不思議なことに、これまでの審議会には、病院の代表者がいないばかりか、老人専門病院の代表者については、まるで無視していたかのようである)ことになった。
つぎに、61年度のモデル事業実施施設が10カ所から7カ所に減らされた。これは、法案の成立が年末にずれこんだこともあり、各施設や都道府県との調整に時間的余裕がなくなったことに起因するが、老健施設の内容が具体性に欠けたことが大きな原因である。
さらに、62年度の老人保健施設に対する施設整備費補助金が、当初の100カ所から80カ所となり、20億円が62年度の厚生省予算に計上された。この補助金は、当初、62年度分のモデル事業分かのように報道されたが、あくまでも整備費補助金で、63年度以降も、継続される見込みとなっている。老健施設の今後のスケジュールは、以下のようになった。
2月上旬、7カ所のモデル施設を指定。当会からは、山口県下関市の武久病院、三重県四日市市の小山田記念温泉病院(姉妹法人の青山里会で実施)、北梅道札幌市西円山病院が、行政に働きかけ、西円山病院は、道庁の予算上の措置がまにあわなかったが、残り2病院は、すんなりと指定された。わずか7カ所のうち、2施設までが当会会員であるのは、老人の専問医療に対する積極的取り組みとともに、当会の活動が、広く国民全般に支持されているとの例証でもある。
それはさておき、モデル指定を受けた施設は、ただちに建設にかかり、実際には62年4月以降から事業を実施する。運営費については、62年度に4億円(7カ所分)が計上されているが、県からの補助も期待できる見通しである。厚生省は、この間、施設基準、人員基凖、運営基準の作成作業を行い、5月ごろ老人保健審議会に諮問し、各基凖の策定を進め、7月ごろには、中医協でも審議の予定である。そして、秋には、老健施設の各基凖が出そろうであろう。
問題は、62年度の施設整備費20億円のゆくえである。これについては「全国的整備を進めるため」@模範的な運営が可能なもの、Aデイケアや短期入所ケアといった在宅支援機能を有するもの、B病床転換等いわゆる社会的入院の解消を伴うものに対して補助する考え方で、秋以降、都道府県の推薦により決定される。
この施設整傭費は、本格実施のためのものであり、補助が決定した後に、事業を実施するのは、あくまでも制度創設後となる。厚生省では、一応の目安として63年4月には本格実施したい考え方である。
老健施設については、様々な議論があったが、すでに制度はスタートしたといってもよい。本会会員の諸氏で「いずれは老健施設を開設しよう」と考えられる先生方は、62年度の施設整備費にノミネートされておくことが肝心であろう。そのために、まず、各都道府県との協議を開始していただきたい。
なお、補助額は、新築50床の場場合、4000万円程度、改修は、その30%程度である。
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