老人医療NEWS第3号 |
正しい自己評価を
私達医療に携わる者は概して、物事を社会全体の中で捕えることが不得手のようである。これは主に、資格を取得するまでの教育課程やその後の医療の現場での訓練、加えて、従来医療界が極めて手厚い保護を受け、いわゆる”聖域”として扱われてきたため、中で活動する医師やメディカルスタッフが自らを”聖人”の如き錯覚を持ち、結果的には現実の社会から遊離し、独善的といわれる人種を少なからず生んできたことによろう。
年齢や地位に不相応な尊大な立居振舞い、相手の感謝の気持ちや対価への負担を感じる事のない金品の受領、周辺、特に非医療人からの疑問や批判を拒絶する権威主義等、枚挙にいとまがない。これ等を支える精神構造として、我が身の犠牲において、患者のためにしてやっているのだという意識がある。
確かに私達は、人間の生活の基本を司どる生命の保持、健康の回復・維持という大切な分野を扱っている。しかしそれは、衣食住といった人間の社会生活の中の一部分に過ぎず、医療のみで社会生活が成り立つ訳ではなかろう。我々は余りにも、自分達医療の分野を過大評価していないであろうか。余りにも多くの特権、端的にいえば、医療人に対する経済的優遇を要求してはいないであろうか。今、医療界への批判非難こそ正に、この点への警鐘であろう。医療とはあくまでも、人間の豊かな社会生活に貢献する一分野に過ぎず、社会全体とのバランスにおいてしか存在しえないという認識こそ、今もう一度思い起こされるべきものである。
割安な老人処遇の確立を
さて、このような認識に立ち今一度、私達の老人医療の役割を見直してみたい。いうまでもなく我が国は、世界に例を見ない速さで高齢化社会に突入しつつあり、老齢人口の爆発的増加と、それを支える労働人口の相対的減少に対し如何に対応するか、ということにまさに我が国の将釆がかかっている。
一言でいえば、国全体として質と量からみた効率の良い老齢者処遇の仕組みを開発することこそ、現代社会の課題であろう。
今やこれ迄のような、費用を顧みることなく医療の質の向上を求めたり、患者のためと称して自分達だけの偏狭な価値観を押しつけ、あるいは周辺との協力を拒絶することは許されない。あらゆる手段を尽して、割安な老人医療システムの確立に努力し、行政サイドにも働きかけて行かねばならない。患者のためとの名のもとに、実は自分達の独善性に基づく既得権の擁護や、保護政策を求めることなど夢想だにしてはならない。そのようなことを求めなくても、社会の中にみる私達老人医療の比重は、高齢者の急増する社会の中で益益高まっており、正しく要請を認識し利用者の側に立って対応すれば充分生き残れるからである。
折りたたむ...老人医療の質的改善と向上を求めて
当院は、病気の老人に「くつろぎと安らぎを」をモットーに、昭和54年11月15日180床で発足した。高齢化社会の需要増に応えて、56年6月3日207床に、次いで60年4月15日、時にリハビリ施設の完備を兼ねて386床の特例許可老人病院に発展して今日に至っている。
喜会とは、患者とその家族、社会、そして病院人の三者が、ともに生き、かつ喜び合えることをゴール目標に名付けられたものである。
当院の位置する秦野市は、丹沢山塊の南麓を占め、豊かな自然が織りなす美しい四季に恵まれている。 鶴巻は、市の南東にあたり、東は伊勢原市に、西は平塚市に境し、古くから都心に近い温泉地として親しまれてきた。気侯も温暖で、年間平均気温は15.5度で、冬の積雪も稀である。
病院の規模と機能
写真(PDF参照)は、南東方向からの病院棟の鳥瞰図で、図1には建屋の内部構造、施設配備の概要模写図を示した。定着性に若干、難を残しながらも、職員スタッフの総勢218人が一致協力して病院機能維持に励んでいる。
診療標榜科目は、内科と躍学診療科で、本年度からリハビリ診療を本格化した。老人患者のもつ多彩な病態に対し、適時、非常勤医の協力を得ている。今後は、スポーツ医学の導入をめざし、保健・医療・福祉業務に対する一貫した組織体制を整え、老人の専門医療を行い得るよう、機能性に一層の向上を期しているところである。
当地域での医療の中核は東海大学病院で、秦野伊勢原医師会員が医療圏を形成し、行政圏に対応した組織俸制が、住民の生活の営みを支えている。当院もその一員としてこれら諸機関施設と協力し、住民の信頼を一層高めるよう努力しているところである。
当院の診療圏は、入院患者376人を対象とした居住地分布を指標とした場合、本年9月末現在、秦野伊勢原は18%にすぎず、県西地域で38%、県下全域で73%であった。残りのうち2.2%は東京都民であった。これらの結果を解析評価すると病院の将来計画や老人の専門医療の今後の在り方を考える上で、示唆されるところが少なくない。
手作り医療で質の改善を
本年3月末現在での入院悪者380人を対象とした、年齢階級別・性別分布は図2で見るとおりであった。平均入院期間は347日だったが、平均年齢76.9歳とともに、前年度に比べて数値は若干減少した。77歳といえば喜寿で、日本人平均寿命にも相当する。本来であれば自由な余生を楽しんでもらう年齢である。
熟年者が、加齢とともに暦年齢と生活年齢との間に、著しい個人差を示すことは古今東西を問わない。そこに病気の種類や軽重の差が加重されるとき、事情は一層複雑となり、生病老死に象徴される老人が浮き彫りにされ、老人医療をもっと個別化すべき必要性が見い出される。
医療の個別化には、入院の要否判断に関わるMSW情報から、診療経過中でのハイテク医療の通応判断に至るまで、手作り医療に関わるコ・メディカルのすべてからの患者情報が常に相互にフィードバックされる体制と機能性が必要とされる。それはチーム医療ともいわれ、病院医療の質の改善に不可欠の要因でもある。何故なら、そこには、自ずと臨床教育・研修の場が形成されるからである。
患者の社会復帰は、万人の願いである。社会復帰率は、病院医療の質的評価や費用効果の指標として、よく用いられる。しかしこれは、入院対象に軽症者のみを選べば容易に良結果を得るきらいがある。当院の昨年度退院患者460人中、軽快28.5%、不変8.7%、特殊専門病院への転入院14%、死亡48%であった。老人医療の約半分が末期医療となることも心すべきである。
軽快退院あるいは死亡退院に関わらず、患者とその家族の示す満足度は、病院医療の質的評価の最終的、かつ決定的指標となろう。それを決定づける最大の要因は、ハイテク医療というよりは、チーム医療に関わる病院人ひとりひとりが示した心の通った手作り医療に求められよう。
わが国の医療法に示された病院の目的は、営利を貪らず、科学的でかつ適正な診療を受けることができる便宜を与えることにあるとされている。老健法や中間施設の大目的が、老人医療費の抑制のためとしたら、財政経済優先の社会主義計画経済的施策が、病院医療の本質を曲げ、質的改善を妨げ、個別化を不可能にし、”角を矯めて牛を殺し”かねない。同じく人類の自由、平等、友愛を求めてきた資本主義自由経済的施策にも破綻が見えている。老人医療に費用効果を論じても無理がある。価値観が多様でも、費用価値は論じられよう。自己負担増もそのひとつとされるが、限度を含めて慎重に対処すべきであろう。病院人としては、入院医療の適応患者が、何時でも誰でも、くつろぎと安らぎを感じながら入院できる社会づくりを願うのみである。病臥する老人を目前にした病院人としては、医学的良心を燃やし努めるしかないと思うのである。
折りたたむ...寝たきりを作らない医療を
障害老人対策の第一歩は、寝たきりをつくらない医療にあることは言うまでもない。ベッド上での長期臥床、食事と排せつと睡眠が同じ空間で行われるような生活が続けば、たちまち筋委縮と拘縮を引き起こし、歩行を困難にする。疾病の治療が行われながら、その治療が成功しても、一方では寝たきり老人がつくり出されかねないという問題にはもっと真剣に取り組む必要があり、医療の責任の重さを受けとめていただきたい。結局、障害を背負った人々にとって、最終的に問題となることは、"動かない手足"ではなく"動かない手足をもってどう生きるか"になってしまう。このことも十分踏えた医療の展開がこれから求められる老人医療に大切な視点だろう。
老人の生活の自立度を四群に分けている。
当院では、全介助やベッド上生活群を中心に、老人病院や老人施設へ転院するケースが約15%あり、家庭復屠するのは残り85%である。家庭へ退院したケースだけでみると、寝たきりもしくはベッド上生活レベルの重度群が約20%、屋内・屋外生活レベルの軽度群が約80%ということになる。
地理的条件がネックに
退院後のかかわりについては、昭和53年に発足したリハビリテーション協議会が”放置例をなくす”という目標のもとに確実な成果をあげてきた。しかしながら、通所リハビリテーションのできる施設が限られ、送迎の保障がないため、長崎の地理的条件(坂と階段)がネックとなって、最も通所させたいケースが在宅生活になっている。さらに、保健所では保健婦の訪問活動に力を入れているが、それでも月1回の訪問が限度といった実態である。
治療しても家庭復帰できないケースが約15%ある。彼らの自立度は、寝たきり群とベッド上生活など重度群が大半であり、その退院先は老人病院が最も多く50%強で、老人ホーム、一般病院の順となっていた。
そこで、この重度群71人について、施設入所や老人病院へ転院せざるを得なかった理由について分析した。
この中で、介護を理由とした59人の家族状況では独居老人が2割いた。残りは家族に何らかの理由があったわけであるが、主たる介護者が高齢で病弱であったり、同居家族もしくは世話をする立場にある家族が、共働きで介護できないという理由がとくに多かった
ここに現代家族の抱える問題が浮き彫りとなっている。介護力があれば家庭復帰も可能であるが、介護力を十分保障し得ないという現在の在宅ケアの限界がでてきている。ちなみに、家族の人間関係が主な理由になったと思われたケースは、59人中11人(18%)であった。
次に、長崎県の総人口の18%が住んでいる離島でのリハビリテーションの状況について述べたい。全体では約3割が経験していたが、重度群(寝たきり、ベッド上生活群)では5人に1人しか治療を受けておらず、年齢が高くなるほど経験者は少なくなっていた。
この地域にある4つの特別養護老人ホームの入所老人の概要だが、入所老人になるとリハビリテーション治療の経験者は8.3%で、しかも、脳卒中や骨折、リューマチ等身体の障害を引き起こしやすい病気による入所が約4割、それ以外の理由によるものが残り六割を占めていた。
以上のことから、高齢者が適切な看護・治療療を受ければ寝たきりになるはずもないごくありふれた病気で、長期臥床のため、また、高齢者ゆえに島外での積極的なリハビリテーションを受けることもできず、在宅生活・施設生活に至っていることがうかがわれる。
これまで、社会資源の乏しい地域で、どうにかみんなで支えていこうと努力してきた結果、地域リハビリテーション推進協議会が結成された。
新しいシステム作りを
まとめとして、障害老人を未治療群・在宅重度群・在宅軽度群・長期療養郡の4つのグループに分けて、問題点と課題について整理してみた(図6〜9)。
寝たきり老人の約半数はつくられた寝たきりと考えられ、辺地や郡部、また高齢者ほどその傾向は強い。リハビリテーション専門施設もさることながら、家庭看護レベル、個人医レベルでのリハビリテーション知識を普及させ、社会の片隅で孤立しがちな障害老人に、さりげなくそして強く継続して、総合的に支えてゆけるシステムづくりを目ざすことがこれからの課題であると考える。
とくに、医療の世界では、寝たきり老人をつくることは、どんな理由をあげようと許されない。 高齢化社会に伴い、今後、ますます増加するであろう障害老人に、どのように対処していけばいいのか、という問題は、国民全体にさし追った大きな課題なのである。
折りたたむ...「老人の専門医療を考える会」主催のプレジデントワークショップが、10月18・19両日にわたり、東京・新宿京王プラザホテルにおいて開催された。参加者は、病院の院長を中心に全国より22名が集まり、老人医療に携わる医師のあり方、老人病院のゆくえについて、熱の入った討議が交された。
1日目は、午後2時からの会長挨拶で幕を開け、2つのグループに分かれて、ワークショップと全体討議が夜10時まで続いた。講師には、ワークショップディレクターとして、厚生省病院管理研究所医療管理部長岩崎栄氏を迎えた。
ワークショップ1 望ましい老人専門病院について
老人病院の専門性とは何か、という議論を主軸にディスカッションが進んだ。老人専門病院は、老人の特性をふまえた医療が可能な病院であり、かつ、老人の生活の場としても、ある程度対応できる病院ではないだろうか、との意見が交わされた。
ワークショップ2 望ましい老人保健施設について
老人保健施設は、その基本理念として、老人の特性を考えてつくられなければならないものであり、何よりも命を守るに充分な施設でなければならない、との結論に達した。さらに、老人保健施設が出来た場合の老人病院の存続性についての疑問も提出された。
各グループによるディスカションおよびその発表の後、岩崎氏より「一般病院においては、身体的な面の医療に重点をおいているが、老人病院ではこれにプラスされるものが望まれる。そのためには、現状の問題点を知り、地域の保健医療二ーズを把握した上で、基本理念を立てることが大切である」と、言葉がそえられた。
2日目は朝8時半開始。まず、吉岡事務局長が当会運営状況についての説明を行った。その後、国立療養所長崎病院理学診療科医長浜村明徳氏により、老人におけるリハビリテーションについての講議が2時間にわたって行われた。
最後に、厚生省老人保健部老人保健課課長補佐官島俊彦氏から、老人保健施設の動向について説明が行われ、質疑・応答の時間がもたれた。今秋、国会に再提出されている老人保健法改正案の中で、特に、老人保健施設についての考え方、および62年度には28億円、100ケ所分の施設整備の補助金が予算に組み入まれている旨の説明があった。
以上をもって正午に閉幕となった。
メモ
ワークショップとは、全員が仕事に参加し、限られた条件、時間資源の中で有効な討議を行い、実現性のある産物を生み出すという、グループによる体験的研修方法である。
老人保健法改正案が衆議院社会労働委員会で討議され、なんとか成立しそうになった頃から、水面下の活動も活発になってきた。まず、老人保健審議会の委員に病院サイドとしてだれを送り込むか、老人保健施設への病床転換のために施設基準の特例をどう要求するか、設置主体をどうするのか、補助金や融資はといったことが議論されている。どれも大問題で、ここでボタンをかけちがうと、大変なことになるから慎重にという意見と、なんとかイニシアチブを取りたいという焦りがミックスして、錯乱しているようにも思う。
老人保健施設の基凖については、老人保健施設審議会の意見を聴いて定めることになっているが、審議会の委員に老人専門病院の院長が一人もいないというのでは、まったく、欠席裁判のようなもので、中世の宗教裁判の『魔女狩り』だ。では、老人病院の意見を代弁する人はだれなのかということになると、これは確かに大問題である。「老人の専門医療を考える会」は、老人専門病院を指向する病院長の研究会として出発し、多くの人々の支援をいただき活動を行ってきたが「老人病院会」ではない。もっと正確にいえば、病院団体の一部関係者がいうような「病院団体の分派活動」を狙いとしているわけではなく、真の老人の専門医療の確立を主張しているにすぎない。このことは、長年の努力にもかかわらず、あまりにも老人医療が軽視されてきたことへの憤りを、会員一人ひとりがかみしめているということを意味する。
このようなことをいまさら主張するのは、最近の老人保健施設議論の中で、公的病院の動きに注意したいからである。公的病院の中には、老人保健施設のイニシアチブをとり、なんとか生き残ろうとするあまり、民間病院の意見を封じ込めようとする態度をとるものがある、本音は「民間が老健施設をやれば、どうせ悪いにきまっているのだから、公的主導でやり、行政は公的病院に補助すればいい」というものである。
厚生省も、一方では民間活力といいながら、どこかで公的病院を優牛させたいと考えているとしたら、これは大きな誤りである。老人医療本軽視してきた公的病院が、これから老人医療をやりますといっても「幹部は事なかれ主義、組合は物取り主義」の公的病院になにができるのであろうか。
老人保健施設こそは、民間主導で行くべきであり、少なくとも公的施設への特別な援助をなくし、公平な公私競争をさせるべきであろう。
老健法以後、毎年行われてきた診療報酬改定が心配であったが、薬価調査との関係で、秋以降にずれこむことが予想される中で、いま一度、ポスト老健法の公私問題の議論を雇開し、公的援助なしで努力してきた我々の主張を大きな声にしたい。
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