老人医療NEWS第32号 |
戦後長い間、わが国は貧しく、どんどん物を作って外国に輸出して外貨を獲得しなければ国としてやっていけない、と信じ込まれてきました。国の政策もこうした目的に添って運営され、併せて終身雇用、年功序列賃金、企業別労働組合といった独特の労働慣行も形成されました。もともと教育水準が高く、勤勉であった国民性もあり、またたくまに諸外国を経済力で追い抜き、世界のトップに踊り出ることになりました。
その結果、巨額の貿易不均衡、外国の産業への脅威といった新たな問題が生じています。わが国の経済規模が大きいだけに、相手にも配慮した適切な対応が求められます。同時に、「国民生活の充実」による内需の拡大が内外から要請されています。
このためには多くの面で、基本的な発想の変更が求められます。例えば、旧来の社会保障は、社会の構造上生じる特定の病弱で貧しい人を対象に、限定的な給付を行ないますが、一般的に豊かになった社会における社会保障のニーズは、普遍的でかつ高水準のものになります。国民皆保険もその現われですし、内容的にもより良質の医療が求められます。反面、国民の所得水準やその保障は充実していますから、入院中の食費なども保険の財源で賄うことは、現在では必ずしも合理的ではないという指摘もされます。
もう一つ、国政上大きな課題は高齢社会への対応です。人口重心の上方への移行ですから、雇用を含む高齢者の社会参加の途が真剣に論じられ、従来の仕組みも変更される必要があります。同時に、75歳以上の後期高齢者が多くなりますから肉体的な衰えも生じます。このためいわゆる「介護」対策が必要になりますが、在宅、施設を問わず、「医療」との領域問題を生じています。「介護」が恩恵的な施しではなく、権利としての社会保障と位置づけられれば、医療と介護を別の体系とすることへのこだわりも変わるでしょう。
「生産者重視」から「生活者重視」の施策への転換が求められています。本格的な高齢社会を迎える21世紀が、この国に住むすべての人にとって本当に暮らしやすい世の中になるよう、世界に冠たる「経済力」を活かすための智恵と工夫を集結するのが21世紀最後のこれからの数年の課題と思われます。
折りたたむ...自由で明るい雰囲気の病院をめざす
湘南長寿園病院は、小田急江ノ島線藤沢本町駅より徒歩8分の所に位置し、すぐ近くに源義経ゆかりの白旗神社、また日頃よりご協力頂いている藤沢市民病院があり、大変環境に恵まれた病院です。
当院は、昭和55年9月に139床の内科病院としてスタート。翌年から基準寝具、基準給食、基準看護の順で3基準の承認を得、昭和60年には病床数を200床に増床することができました。
開院当初より入院患者の内、高齢者の占める割合が多かったこともあり、理学診療科を強化する目的でPTおよびPT助手を増員、昭和63年5月には、理学療法(U)施設基準を得て、当院の進むべき方向を明確なものとしました。
地元の開業医の先生方、藤沢市民病院、あるいは大学病院等からの紹介患者が多く、入院待機状態は常に1〜数ヶ月という状況で、待機状態の患者さんには迷惑をかけていると思われますが、病院のさらなる機能強化、質的向上を目標として介護職員の増員を図り、平成4年10月には特例許可老人病院入院医療管理料(T)を導入、老人医療の専門病院としての特色を強く打ち出すことができました。元来、付き添いなしの入院治療を行い、基準看護を取得していた関係から、入院医療管理料(T)の導入は割合にスムーズに進めることが出来ました。
私の考える老人医療とは、入院患者の大半が高齢者とはいえ、画一的な看護・介護を行なうのではなく、患者各々の個人メニューに対応できるような間口の広い医療であり、そのために全看護・介護職員が一致協力して日夜頑張っております。また事務職員も、例えばリハビリテーションへの患者さんの搬送の手伝い、またその際に患者さんと積極的に会話するよう心がけるなど、全職員が医療にたずさわる者としての自覚を持てるよう、指導しております。
院内での年間を通じての行事は、節分、お花見、運動会、七夕、敬老の日の写真撮影(パネルにして院内に掲示)、クリスマス会等を全職員参加を旨として季節毎に行っております。また、患者さんの誕生日にはケーキもしくは花束、記念写真、誕生日カードを添えて、院内放送でお名前をお知らせしてお祝いしております。
当院で亡くなられた患者さんの葬儀の際には、供花をさせて頂いています。
外来業務に関しては、私をはじめ常勤医師数名が消化器内科出身のため、消化器系の検査等を数多く行いますが、老人病院の性格上もあってか、外来患者数の伸び悩みが現在の課題と言えます。また、予防医学の重要性から各種検診、人間ドックにも力を入れており、順調に伸びてきております。
職員教育に関しては、毎月全職員対象の院内勉強会を開催、また介護職員には婦長・主任看護婦による勉強会を定期的に開催し、さらに病棟カンファランスは毎週行い、常に医療従事者としての意識を高めるように努力をしております。
各種講演会、講習会、シンポジウム等への幹部職員あるいは現場責任者の積極参加を心がけてはおりますが、得られた知識・情報等を現場へ十分に還元しきれていないというのが現状のようです。今後は現場の看護、介護職員を各種講演会等へ参加させる予定でおりますが、この度、当院が中心となり「神奈川県介護力強化病院勉強会」を発足させ、またその代表幹事に私が選任されたことで、全職員の老人医療に対する意識をさらに高揚することができると考えております。
老人の病気を癒すのみでなく、老人の生活全体を考えた医療を理念とし、地域医療に貢献しつつ、いわゆる老人医療の課題や問題点を明確に見据えた上で、最近マスコミ等でも取りあげられる老人病院の質をどのように高めていくかを日々の重要課題と認識し、スタッフ一同が力を合わせて努力していく所存であります。
折りたたむ...CT・MRIなど最近の機器による画像診断の発達には目ざましいものがありますが、単純X線撮影、特に胸部・腹部の単純X線撮影が基本であることは今後も変わらないでしょう。
胸部単純X線撮影に関しては、どの病院でも経過観察や病状把握の目的で入院時、そして入院中に実施しているでしょうが、私の知る限り、腹部単純X線撮影をそれほど頻繁に実施している病院は少ないようです。それには以下のような理由が考えられます。
腹部単純X線写真は胸部に比べてコントラストも悪く、腸管の動きがあるために一定の所見を得にくいだけでなく、解剖学的にみても多様な臓器や骨・軟部組織、ガス像などが重なり合うために読影にはかなりの知識と経験が要求されるわけです。また、もう一つの理由として、入院時に撮影する場合、腹部の症状や病名がないケースでは地域によってはレセプトの返戻があるようです。脳梗塞の病名だけで胸部単純X線撮影は何の審査もないのであれば、腹部はなぜ認められないのか、と思うのは私だけでしょうか。
腹部単純X線撮影の目的は主に異常を発見し、その局在を知ることにあるのですから、特に高齢者の場合には欠くことのできない検査と認識しています。異常ガス像・石灰化像・液体貯留像などの所見だけでなく、骨(特に腰椎)・軟部組織の状態や腸管内容の状況など、より多くの臨床情報を得ることで、少しでもその後の検査を無駄なく進めることができます。もし、異常がないにしても、意思表示のできない方や寝たきりの方の経過観察には胸部単純X線撮影と同等、あるいはそれ以上の意味があると思います。
先日、脳梗塞による右片麻痺・失語の79歳の女性がリハビリ目的で入院されました。患者は頻尿のため不眠があり、今まで数ヶ所の医療機関を受診し、膀胱直腸障害による尿路感染症と診断されたため抗生物質の投与を受けていましたが、一向に良くならないという話しを家族から聞きました。入院時の腹部単純X線写真をチェックすると、そこには9×10mmの楕円形の膀胱結石が認められました。結果的には泌尿器科で摘出され、現在は何の症状もなくなりましたが、決めつけることの恐さを痛感しました。
この方以外にも腹部単純X線を撮影したお陰でその後の治療や療養生活に役立った場合も多く、早期診断・早期治療、そして最近の画像診断装置に比べて侵襲の少ない単純X線撮影を、もう一度見直してみてはどうでしょうか。
ご挨拶が遅れましたが、平成5年度より当会の事務局長に就任しました。会員の先生方のニーズに的確に応えられるように努力してまいりますので、よろしくご教授下さい。
モットー 「明るく、楽しく、確実に!」
折りたたむ...「21世紀に向けての老人の専門医療」をテーマに
老人の専門医療を考える会は、6月13日、浜松市において第10回全国シンポジウムを開催した。昭和58年に会が発足以来、その活動の一環として、「どうする老人医療これからの老人病院」を統一テーマに、毎年、全国各地で公開シンポジウムを開いてきた。第10回目になった今年は、老人性痴呆症の権威であられる聖マリアンナ医科大学学長長谷川和夫先生を記念講演講師に迎え、シンポジウムは「21世紀に向けての老人の専門医療」をテーマとして開催された。
会場となった浜松市福祉文化会館には、梅雨空の中、約600名が集まり熱心に耳を傾けた。
記念講演
痴呆の対応をどうするか
聖マリアンナ医科大学 学長 長谷川和夫
痴呆の特徴としては、全体的に自覚がもてない、ということがあげられる。その評価には、長谷川式簡易知能評価スケールなどを使用するが、点数が低いから必ずしも痴呆というわけではなく、さまざまな角度からの診断が必要とされる。痴呆の原因には、脳血管性痴呆、アルツハイマー型痴呆などがあるが、注意を要するのは、うつ状態や意識障害からも痴呆とよく似た症状があらわれることである。
痴呆への対応としては、痴呆自体に効果のある薬剤は未だないため、対症療法としての介護が重要となる。具体的に言えば、老人の人格を尊重する、なじみの環境で介護をする、老人のペースに合わせて働きかけをする、老人の近くで話をする、親切な情報の与え方を工夫する、感情の交流をはかる、問題行動を受け入れる、などがあげられよう。また、介護する人が心身ともに健康を保てるよう、一人で老人を背負い込まないようにすることも大切である。痴呆老人への対応は、在宅においては各種サービスを上手に利用し、施設においてもチームで対応していくようにしなければならない。
シンポジウム
21世紀に向けての老人の専門医療
シンポジウムは国立医療・病院管理研究所医療経済研究部長小山秀夫氏を司会として、行政、経済学、実践者の立場から4名のシンポジストが今後の老人医療への期待と課題を語った。
厚生省老人保健課課長補佐安達一彦氏は、老人福祉法施行30周年、老人保健法施行10周年を迎え、これまでの老人の保健、医療、福祉に関わる施策の展開に触れ、今後の課題は、地域において老人にふさわしい環境をどう築いていくかにある。生活面での配慮、介護の量と質の確保、老人医療の専門性の確立、サービス機能の連携、等を市町村を中心にすすめていきたい、と述べられた。
大阪大学経済学部客員助教授大田弘子氏からは、老後を必要以上に心配しなくともよい社会とするよう、介護のシステムづくりが求められている、と話された。そのために「在宅介護=家族介護」という枠をはずし、社会保障の公平な負担の仕組みをつくっていく必要がある、とした。
経済企画庁総合計画局計画官喜多村悦史氏は、老人にとって「医・職・住」が満たされている社会にすることが大切である。医療、福祉等についてのサービスの供給主体はどこであってもよいが、レベルの確保がなされていなければならず、レベルが一定の基準に達していないものについては排除していくことも考えなければならないだろう。年金等の費用負担については、国民の同意によるであろうが、若い時にどれだけの負担をしてきたかがポイントになる、と今後の方向性について提言された。
老人医療に携わっている立場からは、地元である浜松市の医療法人一穂会理事長渡辺庸一氏より意見が出された。
渡辺氏は、これからの老人病院が目指していくべきは在宅ケアであり、病院側が地域へ出かけていくように努めなければならない。どうのようにすれば在宅が可能であるか、を病院のサポートシステムとして提供していき、施設ケアと合わせて、個々のニードに対応していける機能を備えていきたい、と述べられた。
各シンポジストの提言を受け、会場からも、施策側が中心となるのではなく高齢者を中心に考えてほしい、との要望が出された。司会の小山氏は、北欧でもアメリカでもない質の高いサービスの提供できる日本製社会を目指していきた。私たち自身の今後の生活問題として「明るい老人医療楽しい老人病院」をつくりあげていかなければならない、とまとめられた。
折りたたむ...イスラエルがPLOと握手した。ノルウェーの学者夫婦が仲介者であったという。世界中の感動が巻き起こった。冷戦、民族対決の歴史から、人類が少し成長したように思う。 人が人らしく生きるユートピアを信じて、人類は歴史を刻んできたといったらキザだが、なんどなく希望の光が見えたようだ。
生病老死は、人の不幸だが、その苦痛に対面して、人らしさを求めるのが老人専門病院の使命だ。なんとしても入院患者の生活の質を確保し、サービスの質の向上をしなければならない。そのためには、全職員の協力が必要だ。
サービスの質を低下させないためには、それなりの努力が必要だ。ルーチン化したケアは、常に質の低下という危機をはらむので、一定期間にチェックする習慣がなければならない。 サービス評価やケアの機能評価は、質を確保するための手段である。思いつきのサービス向上より、定期的な質のチェックの方が重要だ。
当会は今、厚生省のケアプラン研究会に積極的に参加し、実験を繰り返している。このケアプランは、米国のMDS(ミニマム・データ・セット)を参考に、高齢者のニーズ把握から最適なケアプランをえることを目的に24病院で実施中である。
この研究に参加して、いくつかの点に気づいた。第一は、この方法を実験することで、職員、特に看護婦の患者に対する観察力が飛躍的に向上することである。第二に、確実に職員のレベルアップが図られる。第三に、職員間で共通の知識が共有される。
第一の観察力については、これまで看護婦の能力や体験の差から、観察力自体に差があったが、どこをどのように観るかが示されたことによって、確実に力がついた。第二にレベルアップは、自主的な学習会による成果であり、その結果、第三の共通知識の共有化が図られたと考えられる。
研究当初は、米国のシステムにとまどうとともに、調査項目も多く、抵抗を感じたが、繰り返すうちにシステム自体の長所が自然と理解できるようになった。研究に参加している各病院長も、このシステムの有用性を認め、研究に協力している。
問題は、ケアプランを作成することによって、質の向上が期待できるのかの一点である。ケアプランを作成しても、実践がなければなにもならないし、その正当な評価がなければ、普及しないであろう。ケアプラン自体は、正確な問題発見(ニーズの把握)と看護計画(ケアプラン)の作成が目的であり、それを実践して、質の向上の評価を受けるのは、日常のケア自体である。
この意見では、結局は提供されるサービスの質が勝負になるが、計画のない実践は盲目で、実践のない計画は空虚なことを今一度理解するべきである。
当会は、これまで数多くの質の確保・向上のための研究や研修に取り組んできた。今後とも、このような努力を重ねることが必要であることはいうまでもない。
多くの会員から、このケアプランの将来について期待がよせられている。老人医療が老人専門医療として、広く世間に認知されるためにも、不可欠なシステムであると考えられていること自体が重要である。
なお、ケアプランについては、厚生省の個別介護計画検討会においても検討が進んでいる。検討期間は今後約1年間であるが、ケアプランの有用性についての認識は、委員に共有されており、なんらかのシステム導入が議論されつつある。
当会が、老人専門医療の質の確保と向上のため、全力投球する以外、老人医療は成長しないのである。
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