老人医療NEWS第2号 |
私の母親は87歳で元気に暮していた。ところが、道を歩いていて転んで肩をうった。痛みがひどいからと病院へ連れていかれたら、骨折という診断で大層なギブスをされた。
さあ、それからが大変、暑いさかり身の廻りいっさい介助してもらわないと何もできない。それは仕方がないとして、「工合が悪い」と連絡があったので、田舎へ帰って、びっくりした。呼吸困難でふうふういっていて、肺炎のように思えた。骨のことで何度も病院へ行ったり、人の世話になっているうちに風邪がうつってこじれたものだという。幸い治って元気になったが、どうかすればどうかなったのかもしれないという状態だった。老人の病気の恐ろしさを今更のように感じた。
私の尊敬するT先生が亡くなられてから、一年半たった。子供のおられない未亡人はずっとぐあいが悪く、入院したくないといいながら痛みがひどく、大病院にはいられた。骨折をおこしやすい病気だが、それなりに病状は安定していたように思う。しかし、親せきの住んでいる所の近い病院にはいりたいといって、半日もかかる長い道のりを転院された。それが原因になったのかどうかわからないが、お腹をこわして、急に心不全でなくなった。あれこれ考えてみると、寿命が尽きてお亡くなりになったとは思えない。もっと、もっと長生きできたはずなのだ。
わが国の平均寿命が延びたといっても、医学の管理が行き届けば、もっとよくなる。死ななくてよい老人がちょっとしたことで亡くなっている。私はもっと老人の医学が進み、老人のために役立ち、尊敬されなければならないと思う。医師はもっと自信をもって、老人のために医学を役立てなければならないと思う。
そう言えば、それでは最近の老人医療をめぐる制度の改正はどうだ。医療費抑制策はどうだ。とても医学を尊重する姿勢にはみえないし、やろうとしてもできないじゃないかと言われるかもしれない。
たしかに、「70歳、80歳にもなったらそんなにしなくてもよいのではないか。医学なんて必要なく、お世話さえすればよいのではないか」という人もいる。それが一部のわからず屋ならともかく、社会の指導者のような人までそれ式のニュアンスの発言がないわけではない。
それには過剰な点滴をやったりしたような、一部の不心得な医師がいたために、老人の医療が金もうけの手段のように誤解されたふしもあり、そのことで一生懸命やろうと思っても意欲をそがれる面もあったかもしれない。しかし、私はそれとこれとは違うと思う。医学は医学として、理解にしたがって老人の幸福のために全力をあげるべきなのだ。私は老人の医学は老人の幸福に役立つと自信を持っている。一生懸命やっていれば、老人自身も理解してくれるし、老人を抱えた家族も理解してくれる。それ以上を何を望もうとするのか。
折りたたむ...ニーズを先取りした医療を
医療法人渓仁会は西円山病院の他、定山渓病院(内、外、整形外科、理学診療、歯科、366床)と、関連に社会福祈法人で特別養護老人ホーム南静会・敬樹園(100名収容)を経営している。西円山病院は、札幌市中央区の市街地の中心部が一望に望まれる、縁豊かな高台にある。
昭和54年に、新しい老人医療を指向した老人専門病院をつくろうと、文字通りゼロからのスタートだ。この中央区内には一般病院はもとより老人病院も多く、医療機関の過密地域であった。このような環境で、同業者からは34歳の若い医師の試みに冷ややかなものもあったが、若さゆえの行動力と有能な人材に恵まれ、ともかく146床で第一歩を踏みだした。幸い入院を希望される患者さんが多く、僅か数カ月で満床となりすぐに第二期工事に着手した。その後も満床状態が続き待機患者さんが多いため、四期にわたり増築を続け、現在942床の特例許可老人病院となっている。患者さんやご家族から安心してお任せいただくシステムをいち早く確立したことが、順調な発展につながったと考えている。
つまり老人病院にありがちな匂いを、清潔で明るい環境作りに全員で心掛けたのである。この間、地域との密着を深めるため、地域との交流を通じて老人医療を理解していただく方策なども実施し、今日まで継続されている。現在では町内会ばかりではなく、市内はもとより全国各地より視察が相次ぎ貴重な提言をいただいている。
この7月には942床となり老人病院としては全国的にも規模の大きいほうになってきたが、課題は多い。家庭復帰のためのリハビリテーションの推進、訪問看護の充実、在宅ケアの実施、ショートスティやデイケアの受け入れも急務である。施設や体制はほぼ整備されたと考えるので、今後は時代の要請を先き取りした実践がサバイバルと考えている。
医療福祉グループへの期待
当病院の入院患者の年齢構成は、60歳未満3.1%、60歳代6.2%、70歳代41.3%、80歳代42.5%、90歳代6.8%で平均年齢は約80歳となっている。在院期間は、6カ月以内16.3%、6カ月以上1年未満13.4%、1年以上2年未満23.7%、2年以上46.6%、長期入院患者が多いということは北海道の核家族化が全国に先きがけて進行していることを物語っているものと思われる。
また、主病名では循環器系疾患が47.5%を占め、内訳としては脳血管疾患(片マヒ)36.7%と最も多く、あとは高血圧性疾患.虚血性心疾患、その他となっている。精神障害は36.4%を占めるがその内訳は老人性痴呆が33.7%である。介護の程度は全面介護を要する患者34%、何らかの介護を要する患者45%、ほとんど介護を要しない患者21%となっている。次いで費用負担であるが患者さんの保健外負担は1万8千円から最高で5万円弱である。負担が多いか少ないかは別として快適な入院生活を送っていただくための実費と考えている。入院患者さんは可能な限り家庭へお帰りいただくようリハビリにも力を注いでいるが、現状は理学療法が約230人、作業療法が約100人、言語療法が約100人であるが、作業療法と言語療法はこの2倍の患者さんがいるものと思われる。このほかボランティアの読み聞かせや文章による会話訓練が約50人である。
医療本来の業務を補完、支援する組織として医療福祉グループがある。このグループの特色はメディカル・ソーシャル・ワーカーの他、老人介護研究室、医療福祉、レクワーク、ボランティア事務室からなる。この組織は今後の老人医療を幅広く推進するために重要と考え育成しており大いに期待している。
「老人介護研究室」は、在宅老人を抱える家庭の人向けに「老人介護スクール」を担当する。第1回は9月開講であるが申し込みが殺到している状況にある。毎回25名で受講よりよい老人医療実現への挑戦布望者がある限り継続し、位会的な責務を果たしたいと考えている。
在宅ケアの充実を目指して
医療福祉は、当病院の院外広報活動部門といえるもので、広く老人問題と取り組み老人ニードを収集し今後の医療活動に活かしていこうとしている。これらは季刊誌「健康なかま」と題する広報紙に発表するほか院内に提言することも任務としている。いわば病院のCI(コーポレート・アイデンティティ)の役割を果たそうとしているわけである。
「レクワーク」は、入院患者のためのすべてのレクリューションの窓口となっている。祝祭日にあわせた各種行事を企画するほか、各リハビリ部門と協力し レク療法ともいうべきことをしている。またデイケアの患者さんのためのレクも担当し、このための部屋も確保されている。
「ボランティア事務室」は、当病院のボランティア(名称は「銀の舟」)の人達が動きやすいようにお手伝するもので、昨年組織化され現在約90名が登録し活動している。今後の老人医療に参加していただき患者さんの精神的な支えとなっていただくためのものである。現在は病院内外の美化作業や、患者さんの慰問、茶道、書道、読み聞かせ、文章によるコミュニケーション、誕生日のお祝い行事が中心となっているが、今後は患者の介護や食事、散歩等にも広げていく予定となっている。
高齢化社会が現実となるとともに、老人医療も大きな試練の場にあることは明白であり当病院としても医療看護体制の充実もむろんであるが、医療支援グループの育成も重要と考えている。その中でも既に実施している訪問看護体制を整備して、この9月にも医師、看護婦(保健婦)、メディカル・ソーシャル・ワーカー、リハビリ(理学、作業、言語各療法)、栄養士からなる在宅ケアの実施に力を注ぎたいと考えている。
折りたたむ...内視鏡技術の発逢と医学常識の変化によって、老人の内視鏡検査は増加している。昔はあまり行われなかった75歳以上の高齢者の内視鏡検査も確実に増えているようだ。
私が気付いたことは、老人は訴えがはっきりしないことが多いが、こまめに調べてみると、考えていたより癌はかなりみつかるものであると同時に、あっても症状がなかったり、あっても軽いことが多いこと。したがって、診察や訴えで少しでも疑問があれば、内視鏡検査を積極的に行うべきである。バリウム使用のX線検査でも良いが、呼吸が止められなかったり、体位変換ができない等で、満足な検査ができないことは少くない。注腸造影にいたっては”漏れ”や”たれ流し”で、結局は内視鏡検査をやりなおすことが多いので、当院では内視鏡検査に重点をおいている。
高齢者の場合、他の疾病の合併等から根治治療ができないこともあり、苦痛な検査は考えなければならないが、癌をはじめとする種々の病気の存在がわかることは、患者や家族、そして医師や看護婦にとっても、得るものが多いはずである。
老人の内視鏡検査で注意すべきことは、絶対に無理しないことで、苦痛のある時は、検査目的を達成できなくても止めるべき。そして老人は内視鏡による異変がわかりにくいことがあるので、検査中と検査後の精神、身体に対する注意は若い人より何倍も必要であろう。検査前の説明も「胃に病気がありそうだから、口から管をいれて胃の中をみるからね。痛くはないし、五分位で終るからガマンしてね」等、具体的な説明のほうがいいようだ。
折りたたむ...老人の専門医療からみた老人保健施設へのアプローチ
7月12日、東京・銀座で開かれた「第3回老人の専門医療を考える会シンポジウム」は、医寮・福社関係者をはじめ広く国民の関心事である老人保健施設をテーマに、論議が行われた。
同施設については、同シンポの昌頭で天本宏・老人の専門医療を考える会長が述べたように、問題点が山積してあるといえよう。その点を明らかにしていくことが医療・福祉関係者に課せられた使命ともいえるのではないだろうか。
シンポジストの発表に先立ち、司会・コメンテーターの小山秀夫先生(厚生省病院管理研究所)から、「老人保健施設が、私たちや老人の生活にどのような影響を及ぼすか、についての明確なイメージがまだない。そこで、今、老人保健施設について論議を行うことは、非常に重要なことであると考える」といったコメントが行われた。各シンポジストの発表内容の概略は以下の通り。
老健施設の機能を明確に
武久病院院長 頴原 健
老人保健施設は、医療と福祉の単なる中間の施設ではなく、両者の良い点をあわせ持ち、かつ、両者の欠点を除いたものであるべきと考える。そこで、これ等の観点に立って、老人病院を運営している立場から話をすすめていくこととする。
軽度医療について
老人保健施設で行われる医療の部分は軽度医療と表現され、全額施設療養費の中へ丸めこまれることになっている。これは、利用者側から見て公平性に欠けはしないか、という疑問が起きる。具体的にあげれば、まず、医師側からみて、保険請求が行われないために医療内容の密室性が増し、一定の療養費の中から治療費を臨うため、過少診療が問題にならないか、ということである。
次に、行政側から見て、密室性の増した医療内容に対して監視、指導の強加が予想され、医療の低レベル化、硬直化、荒廃へとつながりはしないか、という点があげられる。また、老人保健施設で行われるべきリハビリは「生きがい対策的なリハビリ」にこそ重点を置くべきだが、医療費の丸めという構想の下で、同施設にマッチしたリハビリが用意されうるか、という点である。
以上のように、医療費の丸めについては反対であり、試案として、次のように考えている。医療費については、今まで通り保険で請求できるようにし、請求額に一定の上限を設ける。リハビリについては、多人数を対象としたものを、点数を低くしてもよいから、保険請求出来るようにしていただきたい。
自己負担金について
施設建設及び運営について
スタッフについて
問題なのは、人数と人員配置の問題だろうが、ここでぜひ考えていただきたいのが、MSWの存在である。チーム医療を行うために、MSWの存在は必須であり、制度認定も早急に行っていただきたい。
では、残された老人病院は今後どうなるのか。当然、本来の病院としての機能が浮き彫りにされるが、老人病院は、あくまでプライマリ・ケアの場としてとどまるべきだと思う。小規模病院は、老人病院にふさわしいと思われるリハビリや老人ボケ、その他の専門性を追求し、大規模病院では、各科をカバーする医師をそろえ、専門性の高い疾患については、地域の中での高次病院へと移す。
私は、中間施設論争が始まって以来、基本的に賛成の立場をとってきたが、その理由は、"病院で治療が必要でないと思われる老人"が老人保健施設へ移ることで、病院本来の機能が高まって来るとの期待があったからである。
地域保健の中核的存在へ
西円山病院 院長 加藤隆正
私のイメージする老人保健施設について述べてみたい。
老人病院で最も大事だとおもわれることは、障害老人をどのように介護するかということ。そこでは、すべてのスタッフが重要な役割を担っているわけだが、中でも主役は看護婦であると思う。
先月中旬施設を想定して建設した新病棟(192床)は自分なりのイメージで、老人保健施設への興味をふまえて増築したものである。この病棟は、設計から備品の購入まで看護婦に一任した。その結果、日常生活に重点をおいた病棟になったといえよう。ただし、医療法の面からは受け入れられない点もあり、許可申請の際、指摘された点もある。
内容としては、家庭復帰のための病棟ということで、スタッフには、PT、OT、STを配置し、ボランティアの活動スペースも十分にとり、ボランティア事務室も設置した。ここには、現在100名のボランティアが登録されている。その他、茶室、絵画・手芸・木工などの教室も設けている。この病棟では60名の患者に対し、八名の看護婦、14〜15名の看護助手が介護にあたる予定。私としては、老人保健施設を幅広く、地域における老人の活動拠点として位置づけたいと考えている。そういう意味では、現在、無料で利用できる老人福祉センターがあるが、一部の方々にしか利用されていないというのが現状である。老人福祉施設には、たとえ有料であっても喜んで利用できる施設にしていただきたいと思う。
その点から、交通の便のよい場所への設置が望まれると同時に、入所型と通所型については、厳密に区別するのではなく、むしろ両者をかねそなえたものとしたものとして欲しいと考える。利用者については、入所者は障害老人に限ってもいいだろうが、通所者の枠は健康老人にまで広げてみてはどうだろうか。
最後に、行政にお願いしたいことを三点あげておきたい。
老人のための施設作りを
至誠特養ホーム園長 橋本正明
私は、老人福祉施設の側からの意見を述べたいと思う。
昭和三十八年の老人福祉法により特別養護老人ホーム(以下「特養」)が生まれたわけだが、この特養が目指し、そして実践してきたものと、老人保健施設のそれとは、機能論から言えば、同じであると考える。ここで、私が危惧することは、老人保健施設は、老人にとってというより家族にとって都合のよい施設になりはしないか、ということである。
利用者の二ードをどう理解するか
老人のニードというと、介護に注目しがちだが、社会性の面にも問題があるのではないだろうか。
処遇目標の設定
医療について言えば、患者の治療であり、福祉施設について言えば、人間そのものを考えた援助である。どのような処遇が基凖となり、目標となるか、ということは、設備基凖と大きく関係してくる。
職員の問題
老人ホームの職員は非常にモラルが高いといえる。決して介護の専門家ではなく、素人が、日々、生きることへの援助をしてきた積み重ねの結果なのである。特養では100人の老人に対し、3名の看護婦と20数名の寮母がいるが、ここでは権威の支配する構造はできあがっていない。
老人のしあわせ
病院について見れば、確かに老人自身が入院を望んでいるかも知れないが、医療的アプローチだけでは十分とはいえないのではないだろうか。
老人に何かをしてあげることで、私たちの満足は得られるかもしれないが、それを受けている老人はどうなのか、というところまで、想いをはせるようにしたいと思う。
今、地域が必要としているのは、安らかに最後を看とってあげられる施設ではないだろうか。
20数年前に特養が生まれた時と同じ議論が、現在、老人保健施設について行われており、あらたなボタンのかけ違えとならないよう、強く願っている次第である。
以上のシンポジストの発表の後、質疑応答が行われ、小山先生より、「老人保健施設は、命の中で、生活の中で考えていかなければならない。誰のために、何をする老人保健施設なのかを明確にすることが、私共一人一人にかせられた課題である」とのまとめがなされた。
最後に、大塚宣夫副会長(青梅慶友病院院長)が「高齢化の急速な進展のなか、医療・福祉制度の抜本的見直しが必要になってきている現在多様なシステムを確立することがこれからの課題であり、本日のこの老人保健施設についてのシンポジウムが、皆様の中で一つの指針となれば幸いです」と、閉会の挨拶を行いシンポジウムを締めくくった。
折りたたむ...条件闘争に入った老健法
むしあつい政治の夏から、思考の秋となった。自民党大勝、中曽根続投、女性党主誕生という政治劇は、文部大臣更迭というおまけつきで幕となり、第百七回臨時国会へと舞台は移った。今国会の最重要課題は、いうまでもなく国鉄法案と老人保健改正法案である。両法案とも財政改革がらみであるという共通点があるものの、国鉄は労使協調であるのに対して、老健法はいまだくすぶりつづけている。
国民には負担強化、健康保険組合などには拠出金の増額、医療、とりわけ病院サイドには老人保健施設、それに人口問題研究所の新推計に示されているような急数な老年人口の増加による二ーズ拡大という、四面楚歌の状況で、老健法は討議されることになる。
しかし、さまざまな問題や議論のわりに、老健法は成立するというムードがある。それは、政府の不退転の決意や、厚生省幹部の強い自信の前に、強力な反対論や代案が不在であるという事実があるからであろう。実際に、老人保健施設問題は、国会審議以前に、各団体が条件闘争という方法で、すでに賛成サイドに乗っているといってもいい。
不透明な老健施設の内容
国会周辺には、医療団体や福祉団体の役職員の姿がみられる。彼らは、社会労働委員会の先生方や、自民党の厚生族の先生方へのロビー活動が目的である。しかし、陳情を受ける先生方の顔は、もうひとつスッキリしない。それは、陳情サイドの説明不廻もさることながら、あまりにもわかりにくい老人保健施設の内容だからである。「反対はしてませんが、こうなるとこまるので、よろしくお願いします」といわれた先生は、「ではどうすればいいのですか」と質問なさる。「ここだけはこうして下さい」「なぜですか」「こまるからです」「そうなってしまいますか」「なるとこまるからです」「では反対ですか」「いいえ」「賛成ですか」「いいえ……」
さて、もう少し観点をかえてみるとどうなるのであろうか。たとえば、老人保健施設が制度化後、われわれ老人病院はどうなるのであろうかといった大間題がある。老人の診療報酬の改正は、目前であるし、ポスト老健法の老人の専門医療を、じっくり思考するのが、われわれの秋の課題ということになる。
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