老人医療NEWS第19号 |
1989年・・・「冷戦は終った」という米ソ首脳の共同会見での発表には極めて大きな感動をおぼえた。会見での2人の笑顔が大変印象的ですべてを物語っていた。歴史的な必然性によることが強調されたが特にその時代の流れを適格に捕えたゴルバチョフ議長の勇気と見識には絶大な拍手を送っても惜しむものではない。この歴史的出来事が確認された時に生きているということに実に深い感慨を持った。
今年に入ってからの東欧諸国の激変はすべてそれぞれの国民の要求による動きであり、自由と公開への期待が如何に大きいか感じさせられ、又現代の経済社会の比重が重いか認識した。東西問題の象徴であったベルリンの壁がとりこわされ二十数年前のプラハの春が再評価され、共産覚3党政冶から複数政覚が認められるという東欧諸国の動き、一方1992年にはEC共同体が確立され西ヨーロッパでも経済的には国境が消え去りつつある。
米国民の意識ではゴルバチョフ政権誕生後ソ連による軍事的脅威よりも日本の経済力の方が大きな問題と感じられているようである。今後この東西緊張緩和の中で日本の立場は微妙となり大変な困難牲を持つであろう。大きな和の国である我が国がどのような主体性を持つかは国民一人一人の責任による。
もしこの動きが逆であったらどうであろう。一時的な利害のだめ長期的な展望を見失った参議院選挙の結果、何時までも転換されない社会化傾向の強い医療、その中での関係者の対応の仕方、特に「自分の所はこうである」といって、自分が変わることを前提としないで制度だけ変えようとする感覚の貧しさ等、身近に多くの課題がある。生活保障としての年金でも今現在受け取る人の話しか強調されず団塊の世代を中心とした人々が受給することを考えれば同世代の人々が積極的に議論に加わらなければならないのではないか。
他に類をみない急速な高齢化の中で、ニーズだけが多様化し、提供側の選択肢が増えようとしても合法的認識が得られず未だに白黒テレビに近い状況がある。死亡1週間前に人生で費やされる医療費の大半が投入されるような現状を脱却し法制化によらない責任のある裁量権が個々に発揮されるような医療であって欲しい。
大いなる昭和から平成に移行した我が国でも明るい平成時代をつくり同時に地球規模で議論に参加したいものである。
折りたたむ...わたしたちの病院の歩み
「高齢化社会」という言葉を耳にするようになってどの位の年月がたつでしょう。現在お年寄りの方は総人口の11パーセント程度といわれています。お年寄りのうち、何らかの介護を要する状態の人達は、10パーセント近くだといわれます。そうすると、概算120万人の要介護老人が日本全国に居られることになります。(統計上の数字と異なっているようです)要介護老人は、身体的にも問題が多く、常時医療を必要とする方も少なくありません。
従来、日本には、老人ホームなるものは存在していましたが、医療と介護を同時に行う施設体系はありませんでした。また、老人ホームにしても、現時点で全国に15万床程度といわれています。在宅ケア、という言葉が、昨今では流行語になっています。
昔はお年寄りが身体的にあるいは精神的にダメージのある状態、つまり要介護の状態になった時には、家庭で家族が面倒をみていくのが当たり前でした。今でも、それが当たり前という意見の人々もいますし、また、実践しておられる方も沢山いらっしゃいます。一方で、「時代の変遷」なるものがあります。世の中の殆どの事物が、「昔のスタイル」ですまなくなって来ているようです。こうした中で、介護と医療を併せて行う場所が社会的ニーズとして生じました。
「老人病院」なるものが昭和50年代に急速に世の中に増えて来ました。これは、誰が意図したということでなく、自然発生的だったと思います。当、西山病院も、こうした流れの中で昭和56年11月に誕生しました。4ケ月足らずで150床が満床になりました。入院された患者さん達の殆どが、総合病院や医師会の先生方からの紹介でした。1年後に60床の増床を行いましたが、入院待機をする方が100名を超えました。
第二西山病院「西山ナーシング」の建設が計画されました。当時、中間施設という概念がありました。「病院は退院できる状態だが家庭ですごすのは、無理な状態」の方々を収容し、医療と介護を行うもの、とのことだったと思います。しかし、その当時は、中間施設なるものを作る法律がありませんでした。第二西山病院は、従来からあった医療法に基づいて「病院」として作られました。178床でしたが、半年で満床になりました。
西山病院、西山ナーシング共に、介護のパターンを選ばない、いいかえれば、どのような障害にも対処しよう、というポリシーがありました。結果的に(初めから意図したわけでなくという意味)五つのセクションに分かれることになりました。ゼネラル・セクション、ねたきり等の方で病気を持っている患者さんのグループ、リハビリテーション・セクション、呆け老人のセクション、そしてターミナルケアの患者さん達、そしてもう一つが、訪問看護の部門です。そうこうしているうちに、以前の中間施設の概念が老人保健施設と名称が変わり、全貌ではないにせよ輪郭が明らかになって参りました。
「病床転換型」ということもあるのですが、あまりに「病院」と「老人保健施設」とでは異なることが多い。又、両病院共、常時満床の状態なので転換が非常に考えにくいなどの問題もあって、老人保健施設は別に作ろう、ということになりました。これが、老人保健施設西山ウェルケアです。148床です。この原稿を書いている時点で120名余の方が入所していらっしゃいます。
老人保健施設を作ってみて、運営してみて、病院というものを逆に眺めてみると、興味深い点に幾つか、ぶつかります。
私が最も強く感ずるのは、「病院」における生活スペースの狭さと、これに伴う入院患者さん達の「ねかせきり状態」でしょうか。両病院で、患者さんを起こして、離床運動をすすめようと、看護婦さん達が考えましたが、患者さんに居てもらう場所がない、という問題とぶつかっています。話をきいて、病院を広くすればいいじゃないか、と明快に結論を出す人もいます。私も、世の中のすべてのことがその位単純にすすめばいいなぁと、しみじみ思います。
老人の専門医療に関しては、既に御高説を沢山読ませて頂き、また、お話も聞かせていただきました。
当稿は、徒然なるままに書かせていただいております。諸先生方からの、いろいろの御教えを願っております。
折りたたむ...普通、病院に入院する時は本人の意思で入院するのであって、"自由入院"ともいわれている形態である。
ところが痴呆性老人の場合には、なかなかそのようには事が運ばない。痴呆、そして附随する精神症状、問題行動のために家庭療養が困難となり家人が入院させようとするとき、本人に病識が欠け、あるいは乏しいために入院の意思はなく、そのため本人の意思に基く入院は非常に難しくなる。それでも何とか入院させたとしても、入院療養を継続させるのは更に困難なことである。どこも悪くないからと帰ろうとするし、徘徊し院外に出てしまうし、規則も守らず問題行動で他患に迷惑をかけるであろうし、自らを害うこともしかねない。
事の理非が判らず説得しても通じないとなれば、本人の保護そして入院医療を行うためにはやむを得ず本人の意向を無視して行動制限をせざるを得なくなるのである。
しかしながら、如何に本人の為だからといっても、もちろん善意で行うにしても懇意的に行動制限をすることには問題がある。
憲法に定めているように、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ」(第三一条)てはならないのである。このことは刑罪に限って適用するのであるとの考えもあるが、医療などの拘束にも適用されるとの考えも当然のことながらある。
この後者の考え方が強く反映して従来の精神衛生法が一部改定されて、一咋年7月新たに精神保健法が施工された。病識の欠如した「精神障害者等」を対象として、その医療及び保護を目的とした法であり、その中で必要とする行動制限を行う上での手続きが定められている。
即ち入院にあたってはできるだけ本人の同意に基く「任意入院」を原則としながらも、それでも本人の同意が得られない場合は保護義務者の同意を得れば入院させることのできる「医療保護入院」、あるいは精神障害のために自傷他害のおそれが著しいと、2人以上の精神保健指定医による診査結果が一致した場合には、本人はもちろん保護義務者の同意がなくても各都道府県知事の命令で入院させることができる「措置入院」など法的手続きを経る特殊な入院形態が定められている。
また、入院中の身体拘束、鍵をかけての隔離等の行動制限にあたっても入院の決定と同じく精神保健指定医が必要と認める場合でなければ行ってはならないと定められている。
これらのことは精神病院に入院したから行われるのであって、その他の一般病院に入院して行動制限をしても、そのような手続きとは一切無関係で済まされるというのではおかしなことである。
精神保健法の対象となる「精神障害者等」の範囲に痴呆性老人が入るか否かは大いに論議を呼ぶところであるが、病識を欠き精神保健法に定められている手続きを要するような精神症状を呈しているならば、同法の対象として扱われなければならないであろう。
もしも痴呆性老人を「精神障害者等」の範囲に入れないとしたら、その行動制限はどのような手続きで行うのであろうか。
厚生省の見解、指示に整合性がなく不統一であるためにも処遇の現場が混頓としているのであるが、痴呆性老人の増加に伴ってその処遇を受ける施設も多様となってきている。
それだけに社会の合意が得られるような問題の整理が急がれるであろう。基本的人権の保障なしには人間の尊厳はあり得ない。
折りたたむ...昨年の夏ごろ79歳の女性が入院してきた。脳梗塞と糖尿病で、それぞれ3年及び10年前の発病で右下肢に軽い運動麻痺がある。
入院時の訴えは右下肢のシビレ感で、このために何回となく入退院をくり返している。シビレ感は痛みをともなうことがあり、そのために歩行できなくなり這って歩くこともあったという。
糖尿病は入院後1200キロカロリーの糖尿食で血糖値はほぼ正常を保っている。家族的にはこの夫婦は10年前から次男夫婦と同居しており、夫は昨年肺癌で死亡している。右下肢のシビレ感は次男夫婦と同居してから発症していることに気がついてインタビューを試みたが、次男夫婦とは余りうまくいっていない。退院したら次男夫婦のところに戻るかという設問に対して「戻りたくない。ここに置いて欲しい。」と懇願された。恐らく10年間糖尿病によるニュロパチーは次男夫婦との葛藤に原因があり、その折々に増強または軽減をくりかえしてきたと思われる。
ただ、興味あるのは夫の死別にはそれ程影響を受けていないことである。夫の肺癌を知ったのは夫が亡くなる1年前であり、夫の死亡する迄の3ケ月間は自宅で介護しており、充分行なった介護に満足感すら覚えている。
ツォーン調査表で60点以上であったために抗うつ薬を用いた。「こんなに痛むなら死んだ方がましだ」と死を願望していたがシビレ感は徐々に軽くなって今では「リハビリ」を喜んで受けている。
子供との同居の場合にはそれぞれの年代に応じた生活、習慣があり、それに順応しきれない老人にとっては日常生活は苦痛である。これに経済問題がからんで来るとより複雑になる。
また、同居中のちょっとした一言に影響されて「母親と一緒にいると何処にも出られない」という次男夫婦の一言で入院の決意をしている。この症例のように症状の1つが心因的な要素で特異的に増悪されていくと、どうしても治療者は身体症状にとらわれることは当然であろう。 その症状の背景をみていくことは難かしい。患者は社会的、家族的対人関係、くり返される症状による不安感、健康感の喪失などによって身体症状を助長させている。一方生きていくための自己主張、又は協調性を無視することによって、病院に入院することで逃避、自己を孤立させることで症状を軽減させていることも考えられる。
また、配偶者の死は当然ストレッサーになり得ると考えたが家庭で充分介護をしたという満足感が、精神的苦痛として表面化されなかったことも興味あることであった。 そういう意味でこの症例は治療者に多くの問題を示唆している。
折りたたむ...老人医療で高まる役割分担とチーム・アプローチ
11月11、12日の2日間にわたり、都イン・東京(東京都)において「老人の専門医療を考える会総合研究会」が開催された。24病院より112名が参加し、分科会では言護、介護、リハビリ、栄養士の各部門に分かれ演題発表が行われた。今号では、第1日目に行われた基調講演と演題発表について紹介する。
<基調講演>
老人医療の基本的あり方
天本 宏
老人は、今まで獲得したものを失うという損失体験を経験していく。すなわち、身体及び精神健康の損失、経済的自立の損失、家族や社会とのつながりを失う、そして生きる目的を失っていく。老人が健康であるためには、環境への適応や、損失を受ける自分自身への適応が要求されるが、ストレスや欲求不満を起こしやすい状態にあるといえよう。
従って、老人医療においては、疾患単位、臓器別の医療では不充分であり、身体的・心理的・社会的・倫理的といった人間全体をとらえていく全人的医療が求められる。そして、病気だけを治すのではなく、社会的バックアップも含めた援助や働きかけ等の包括的医療が要求される。さらに、生活している地域の中で行われる地域医療は老人においては特に重要である。
このような、全人的医療、包括医療、地域医療を行うには、医療従事者がチームを組み、有機的に連携し、老人とその家族に、その個別性を尊重しながら積極的にかかわっていかなければならない。
具体的には、老人医療に携わる者として、まず日常生活を観察し、状態を評価できることが求められる。特に処置のない時でも、病棟内を歩き患者さんにゆとりをもって相対していくことから、個別への細かな対応が生まれる。老人を起こせば事故の増加も考えられるが、事故を恐れずに生活の質を高めるよう努める。
また、現在は医療施設で死を迎えるケースが殆んどであるが、今後は在宅介護をすすめていくことも重要だ。労働力や家屋の状況などの介護能力が問題となるが、病院が窓口となり、緊急の場合の保障となり得るよう、地域に根ざした社会サービスセンターとしての役割も望まれる。
人生とは何か、人間の尊厳とは何かを常に心にとめ、誇りを持って老人医療に取り組んで欲しい。(天本病院・院長)
<演題発表>
老人医療への姿勢と実践―各セクションから―
看護都門
司会は漆原彰氏(大宮共立病院院長)、参加者は42名で、8題の演題が出された。
寝たきり患者の離床については、入院患者556名を対象に1年余り試みた結果から精神機能の活発化や経口摂取の機能改善がみられたこと、反面、マンパワーやスペースの問題が指摘された。
痴呆老人の看護については、その病気を理解し、個々の患者の病状の程度、生活歴、習慣、性格、身体合併症などを把握して、その患者にあった方法で、看護していくことが大切である、と述べられた。徘徊のある患者には、急に環境を変えない、恥をかかせないこと、拒食のある患者には、なじみの人となじみの環境の中で食事をすすめること等、具体的ケアのポイントもあげられた。
レクリエーション看護は、単に楽しむことからもう一歩踏み出すことが今後の課題である、と発表された。さらに、入浴サービスにPT、OTの協力体制をとり入れ、ADL自立を共同目的として実践している報告もなされた。
介護都門
司会は頴原健氏(武久病院院長)、参加者30名により、6題の演題が発表された。
オムツについては、紙おむつと布おむつの比較調査の報告、介護用具では、抑制帯の工夫が発表された。介護面からみた病院内設備構造への要望も出された。
事例報告では、介護での援助により、痴呆老人の問題行動が軽減したという発表も行われた。
また、在宅介護をしている方々へ向けて「寝たきりにならないための日常生活介護の知恵袋」と題したポイントがあげられた。寝たきりになる要因、予防、離床促進の必要性などがまとめられた。
老人医療においては、介護が大きな役割を占めていることは言うまでもなく、食事、泄、入浴など、最も日常生活に近いところにある。QOLの向上のため、一層の介護の充実の必要性が確認された。
リハビリ都門
司会は高野喜久雄氏(総泉病院院長)、参加者14名、5題の演題発表がなされた。
リハビリの阻害因子となる加齢による精神機能低下と、ADLに影響する環境要因についての考察、また、院内で離床促進時間を実践した結果の研究報告がされた。
また、入浴動作は、移動、洗体、更衣といった日常生活動作の応用であるにもかかわらず、介助ケースが増えることに注目し、入浴へのリハビリスタッフの介入の必要性も間われた。
さらに、入院生活の長期化や依存的生活形態によりうつ的気分、精神・身体的健康感の喪失が生み出されやすい点も研究報告された。また、家庭復帰の阻害因子についても検討が加えられた。
栄養士都門
司会は木下毅氏(光風園院長)、講師には最勝寺重芳氏(聖マリアンナ医科大学病院栄養部長)、参加者は16名であった。
最勝寺氏の講演では、運営管理の方針と問題点があげられ、その打開策と条件として、
病院給食の絶対条件としては、時間厳守の絶対性と、数量化とシステム化を述べ、「布施」の心得を唱えられた。
前回2月に行われた第二回栄養士セミナーからの課題であった「きざみ食」と「摂取栄養量」については、調査用紙の作成と方法についての考察等が発表され、次回へとつなげることとなった。
また、パネルディスカッションとして、これからのシルバーメニューへの考え方として、栄養管理と調理管理の2点から参加者全員による発表と討議が行われた。
以上をもって、第1日目は午後9時に終了した。
折りたたむ...毎年のことながら昨年末は、心身ともに消耗した。東欧の政治状況のニュースが気になりながら、永田町の混乱や国家予算案のゆくえが気がかりだった。政治が身近だ。
11月末に自民党の消費税見直し案が出た。食料品への消費税の取り扱いが焦点になったが、なんともわかりにくい。12月14日には、介護対策検討会の報告書が公表され、社会保障制度審議会の「国民健康保険制度の長期安定確保対策について」の意見書が提出された。消費税は、廃止法案も見直し法案も政治状況から判断すれば、どちらも成立しえないため、現状維持ということになりかねない。2月の衆院総選挙で自民党が過半数割れすれば、廃止もありそうだが、廃止すれば今度は予算が成立しないことになる。
自民党の7月参院ショックは、かなりの重傷であり、すべてが2月の選挙シフトということになった。衆院で自民党が勝っても、参院の逆転は、歴史的事実である。厚生省関係の法案を審議する参院の社会労働委員会は、自民9人、野党12人で、法案が自民党の自由になるという状況はすでにない。
介護対策検討会の報告書は、介護の課題を網羅した報告として重要であるばかりか、病院・老健施設・特養の費用負担不均衡について言及したり、在宅介護についての基本的考え方を示したものとして重要である。 社保審の国保制度に関する意見は、翌15日の厚生省の「国民健康保険制度の改正試案」に直結しており、国保改革の方向が明らかになった。
15日の参院本会議では、年金改正法等法案が可決成立した。62歳支給開始は先送りされたが、給付改善は確実なものとなった。同日、公衆衛生審議会老人保健部会は「保健事業の充実・強化策に関する意見」をまとめた。意見書は、寝たきり予防対策と健康診査事業の充実強化を強調した。
同日、中央社会保険医療協議会は、3時から全員懇談会を開き、診療報酬および薬価基準の改定問題について協議した。席上、支払側委員から薬価差益と自然増があるため、保険料の引き上げにつながる診療報酬の選定を極力避けるべきであるという強力な意見があった。これに対して診療側からは、報酬引き上げの意見が出された。しかし、この日は、時間ギレとなり、19日全員懇に結論は持ち越された。予算上は、薬価基準を診療報酬算定で2.7%引き下げ、診療報酬を3.7%引き上げることとなった。平成元年4月の改定は、消費税分の改定であり、実質的には2年ぶりの改定が、実質1%増というのは理解に苦しむ。この2年間で、東京都内の消費者物価は、3.4%上昇しており、1.7%程度の引き上げをしないと、病院の収支は、悪化することになる。
18日には、老人保健審議会の中間意見が公表された。焦点は、患者一部負担の引き上げと、拠出金、公費負担のあり方であった。ここでも、長期入院では、老健施設および在宅療養などとの負担の均衡が主張されたが、自民党・政府は.選挙に配慮して一部負担の引き上げを見送る方針を固めていた。
自民党・政府は、12月3日に、大蔵、厚生、自治の三大臣に「高齢者保健福祉推進10か年戦略」の検討を要請した。この要請を受けて公表された戦略は、在宅福祉対策としてのホームヘルパー10万人、ショートスティ5万床、デイ・サービスセンター1万か所、在宅介護支援センター1万か所の配置を中心としたものである。
24日には、大蔵省からの予算内示が示され、この戦略に添った在宅福祉への配分が認められ、29日の大蔵、厚生の両大臣との折衝で、さらに上積みされた。
消費税と政治の混乱で、福祉が選択され、医療への抑制基調だけは残った。医療改革は、なにも実現しないという、悪夢の90年代なのか。
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