老人医療NEWS第15号 |
老人保健制度創設の前後から昨年の秋までの数年間、医療や医療費の問題、あるいは診療報酬の改訂等に係わりを持ってきた。昭和58年の老人保健制度創設の時には、老人の診療報酬を設定することが、当時としてはなかなかの難問であった。診療報酬をある年齢階層において区別するということは、その時まで例のないことでもあり、どのような内容になるのか、当初は暗中模索の状態であった。
それでも、診療報酬の問題は、ある年齢を境にして内容を分けることについての考え方が整理できれば、あとは、かなり技術的な問題として割り切れる。しかし、特に難しかったのは老人病院をどう考えるかということであった。当時、老人に対する薬漬け、点滴漬けの問題が国会でも再三にわたってとりあげられていたし、また、新聞では老人をくいものにするいわゆる悪徳老人病院についての報道がしばしば見られた時期でもあった。
省内の関係者が集まって連日議論を重ねたが、老人病院を老人医療の側だけから考えると、特別養護老人ホームとの関係や近い将来に必ず日の目を見るであろう中間施設との関係をどうするのか等にも議論がおよび、なかなか結論はでなかった。しかし、将来における広い意味での医療供給体制の方向から考えて見れば、病院は、結核、精神は別にして、急性病院と慢性病院にわけていくべきではないのか、そして、慢性病院のひとつの形として、あるいは、ややその外側にあるものとして老人病院を位置づけるという考え方が、まとまってきた。医療供給体制についてのこの考え方は、その後の診療報酬の改訂等にも反映され、将来に向けての基本的な認識になってきていると思う。
昭和58年には540だった老人病院が、59年には609に、そして現在では848の病院が老人病院として循動していることは、いまや老人病院が社会の中に受け入れられたことを示している。
老人病院の立場から今後の課題を展望すれば、老人病院にふさわしい施設基準の設定や人員配置基準の見直し等が必要になってくるであろう。また、在宅医療なり在宅ケアーの促進の一環として、現在主として市町村が実施しているいわゆる福祉サービスについて、老人病院や老人保健施設がもっと積極的に参加していけるような仕組みや工夫も必要だし、施設側の努力も求められるのではないかと思う。
一方、科学技術や研究のことに係わりをもつようになって感じることは、遺伝子レベルでの老化の研究のようなことも大切だし、今後重点的に進めていかなければならない分野ではあるが、他方、例えば、寝たきりにしないための医療や介護のあり方など、今まであまり顧みられることの少なかった分野についての研究も必要なのではないかと思っている。
折りたたむ...老人医療と福祉事業とシルバー産業
安心と充足の中で人生の週末を過しませんか
医学・医術の進歩によって日本人の寿命は飛躍的に伸びており、熟年、高齢の方々が増加しています。そして、これらの方々の人生をより健康に、より快適に、より充実したものにすることこそ、医療に課せられた今後の使命であると確信します。
統計によれば、寝たきり老人の大半が在宅療養を希望しているといわれています。当然ながらご家族にとっても思いは同じでありましょう。しかし多大の努力や犠牲をもってしても、からだの不自由な老人の十分な看護は困難な場合が少なくありません。やはり、家庭的な環境と恵まれた気候風土に包まれ、しかも老人医療に必要な特別の設備と技術を備えた病院に養護をまかせてこそ、老後の憩いがあると思います。
昨今、「社会的要請に便乗するあまり、安易な老人医療が横行している」という批判も一部にあります。老人医療の本質的性格や役割を考えれば、これは最もいましめるべきことで、誠実な真摯な運用こそが肝要でありましょう。
当院は、それぞれの人生を歩み続け、今人生の週末を生き続けようとされている方々の平和と幸福の砦として、努力していくつもりです。以上が嶺岡分院の診療案内から転記した「病院の目的」でありますが、基本的姿勢というか「たてまえ論」はこれで十分でありましょう。
病院の歴史と方針
医師という職業人の道は学者、研究者は別として2つあると思います。治療者として「技術」を提供するか経営者として「場」を提供するかであり、前者は小規模に後者は大規模にならざるを得ないと思われますが、大きすぎると画一的、管理的になり医療や福祉の原点である個々の介護や細やかなサービスが出来にくくなるきらいがあります。こんな観点から「適性規模」を追求しつつ、多競経営を指向して、保健施設や特養ホームや有料老人マンション併設による相乗作用を期待しながら管理による能率化と個々のニーズへの対応という矛盾した二面性をもつ病院経営をコントロールしてゆくことが生き残りへの道、経営者の使命と考えています。
病院五則とその意味
職員心得として「エビハラ病院五則」を掲示していますが、これは経営者の理念でもあります。
一、誠意をもって親切にしよう。
二、向上心をもって技術をみがこう。
三、節約は美徳、能率をあげよう。
四、宏く和し、カを合わせよう。
五、合理主義を人情でつつもう。
特に五、は知恵をしぼった標語ですが、物質面では合理的、経済主義に徹するが精神面は人情、浪曲調でいこうということであります。例えばボケ老人に色とりどりのネグリジェを着せて自己満足するよりも徹底的に衛生化された「使い捨て」の紙おむつ、衣類が採算に合う時代を待望します。そのかわり老人達の話しに耳をかたむけ手をにぎり、一緒に笑い悲しむことが大切なのではないでしょうか。ともあれ、まだまだこれからやらねばならないことが山積しています。
折りたたむ...当院の位置する静岡県兵松市という、人口55万人の地方都市にも高齢化社会が、おしよせている。図1(PDF参照)は、浜松市の人口動態を示したものであるが、人口に占める高齢者の割合が少しずつ増えているのが判る。図2は、昭和54年からの病床の増加を示した曲線である。図3は、同じ時期の特別養護老人ホームでの収容人員の増加曲線である。図4は、同じ時期の"65オ以上の在宅寝たきっり老人"の数である。民生委員が足で調査したものであり、現在は、ほぼ平均値の750〜770人前後で落着いているのが判る。昭和60年頃に、私的な病院も特養も増床をはかり、従って、在宅寝たきっり老人の増加に歯止めがかかったものと考えられる。
以上のような時代的背景が、浜松市にあり、このような状況の中で、今、特例許可老人病院を管理運営する者の一人として、何をすべきであるのか、という事を自問自答しながら、今、やっている事を反省材料として検討し、将来への"老人医療"展望への糧として提出してみたい。
本題に入る前に、今、我々が使用している痴呆症のバッテリー、M・M・S浜松方式について説明しておきたい。この方法論の詳細については、日本医事新報No.33491988号に載っている。発案者の浜松医療センターの金子満男副院長と、浜松医大脳外科植村研一教授らは、既存の痴呆症のテストが、頭の後の部位に偏っている事に疑問をもち、人間の人間たる所以は、前頭前野にあり、その部位の検査法の開発に取組んだ。前頭前野は、推理力や洞察力、及び蓋恥心等の材能を司っているといわれる。両者の十数年におよぶ試行錯誤の結果、ある文章を全てひらがなで記し、その文を読んでもらい、その中から日本語の母音である、あ、い、う、え、お、を、指定時間内に何ケ拾えるかを計る事により、痴呆症をより正確に、より早期に発見しようと考案された。
図5は、各年齢別にみた、かなひろいテストでの拾える。"かな"の数の曲線である。この時の文章は図6で示してある通り、あいうえおは、全部で61ケある。年と共に拾える数は下っている。このかな拾いテストに、動物想起や、数の暗記等を加えて、前頭葉の機能テストとし、更に、同時にM・M・Sを調査する事で、浜松方式の痴呆症バッテリーとしたわけである。(図7)
又、同時進行で浜松市の老人会の協力を得、約1240名の痴呆に対する疫学的な調査もした。個人の趣味や、生活基盤等であるが、80歳、90歳の超高齢者で、かくしゃくとしておられる方は多くの趣味を持っておられる事も判った。趣味の中でも四季の変化が判る、生花や盆栽等をたしなむ方々には、"痴呆"は少なかった。又、将棋や囲碁、麻雀が趣味の方々にも痴呆の発症は少なかった。盤上に無限の手順があり、世界があるといわれるものがよいのかもしれない。脳はコンピューターに似ていて、情報をインプットする。但し、せっかく入れた情報も時々出してみないとソフトのムダ使いとなるから、何の役にもたたないわけである。趣味のある人に痴呆症が少ないのは、そんな事を暗示していてくれる。
事実、アナムネーゼを記録していると、病前性格という言葉が痴呆に適当であるかどうか疑問ではあるが、ともかく「真面目、無趣味、几帳面」というのが多い。そこで我々は何をすればよいのか、浜松医療センター痴呆外来より患者さんを紹介される度に悩む事である。肺炎や、尿路感染症等であれば、唯物論的に対応していれば、本人も、家族も、そして治療する側も納得できる。そんなに単純なものではないが、ようするに"菌"をやっつけてやればよい。患者さんの協力も得る事ができる。しかし痴呆症に接して一番の悩みは、病識がない事である。財布がない、入れ歯がない、と言って騒ぐ。本人のしまい忘れや、おき忘れは、もうとっくの昔に忘れてしまい、ないという事実のみ追求する。結論はきまって"嫁が盗った"になる。こうなると立派な妄想となってしまう。
図8は、そんな痴呆症の周辺症状をまとめたものだが、これらの精神症状に対して、メジャーやマイナトランキライザーを使用する事もある。但し図9を見て頂きたい。Shockが、男性の諸機能を年齢別に比較した図である。当然のように20歳台を頂点として、少しずつ機能はおちてくる。つまり、腎の排泄能力もおちるわけで、成人の%や%量の安定剤を使ったのに、3〜4日して、その老人がグッタリしてしまったような事は、老人医療の現場にいると経験する事である。それをきっかけに、寝たっきりにでもなってしまったら、何の為の治療だったのかと自責の念に因われてしまう。
しかし、本人にしてみれば、財布がないのは事実であって、真剣に病室であれ、それが家庭の中であれ捜しまくるわけである。その行為を批判する事はできないし、したところで、妄想とは、訂正不可能であるから、反発を被るだけである。でも、何かをしなければならない。家庭が崩壊したり、その人の入っている病室環境が壊されたら、その個人の問題ではなくなってしまうから。
で、やむなく昼間、"遊び"をやってもらい、身体も精神も疲れさせ、そして、夜は寝てもらおう、と思ったわけである。精神科では、昔から、精神療法とか作業療法の一つとして、音楽や絵画を取り入れたものがあった。時には、オーナーの趣味のおしつけのようなものもあるが、それにヒントを得、"遊び"を老人用にアレンジし、週カリキュラムを組んだ。なるべく個人の趣味を優先させるものとした。図10は、そのカリキュラム表である。Aはレクレェションとし、Bはリハビリであり、Cはメンタル群である。この3つを毎日やるわけだが、ここで注意しておきたいのは、リハビリ群は、交通外傷の為に若い人達が受けるような、本当の意味でのリハビリではない。ボール遊びや、卓球等をやる事を指している。又、メンタル群も、勝手につけた名称で、「頭の体操」と思って頂ければよい。ジグゾォパズルや、トランプ遊び等である。そして、最後に日記を書いてもらう。記憶の保持によいと思ったから採用したが、仲々書いて頂けないのが実状だ。
こんな事をやって、医療外の世界ではないかと思われるでしょうが、ともかくやって頂けると判ると思うが、まず、徘徊が減ってくる。不定愁訴も減る。つまり、周辺症状群が減ってくる。従い、薬剤も減ってくるわけである。青梅慶応病院の大塚氏も言っておられるが、"ともかく、離床ですよ"という言葉には深い重味がある。起して動かす事、単にこれだけの操作にて、氏の病院では、死亡率も下り、患者さんの顔付きも明るくなってきたという。
事実、西欧の老人をとりまく環境を、昨年見に行ってきたが、こんな状態で、と思う人達まで、車椅子や、普通の椅子に腰かけておられて、深く反省させられた。が、しかし、といえる部分も日本の現実にはある。図11をみて頂きたい。一人の入院患者さんに対する病院全職員の比率である。日本のマンパワーが足りない事を如実に示す数字である。医療費も低いが、しかし、良質の医療の提供のみ義務づけられているわけだ。崖に追いつめられた心境で、毎日老人医療に取り組んでいるが、それは、こちら側サイドの言い分でもある。
最後に、こんな"遊び"をやっていて何になるのか?といわれると返事にこまるが、この対象者を1ケ月に1回、M・M・S浜松方式で検査すると、約60%の人々に、点数の上昇がみられた。参考までに、図12と13に、ある対象者の日記を載せる。文章構成かよくなっているのがお判り頂けると思う。これが効果の一端だ。
ともかく、皆で協力し"離床"させるようにしたいものだ。方法論はまだまだ多数あると思う。(2月1日「痴呆症老人保健医療指導者研修」における講演より)
図13 入院2ケ月後の日記
1月19日 木曜日 曇
今日は体調の関係で1日休ませて頂いた。丁度幸い妻さかえと恵子と2人で見舞いに来てくれたが幸ひ体調は順調に良くなったので19日よりリハビリに出るが若い者に負けないと頑張り通したが如何んせん体調週ぐれず体む事とした。 午後からさかえ、恵子が看病の見舞ひに来てうれしかった。近ければ1泊して行くだが残念だ。子供達は大きくなって上の真由美小学校3年拓也が1年生、元気で成長してくれ、さおりは年長組で今年から小学校1年生としで張切って御小に通って行る。
図12 S.Iさんの日記より(入院1ケ月目)
田植期を前にして今年の稲作の予想は……12月5日(日曜日)
今迄のうっとうしい朝も、冷雨も今日はからりと晴れて、珍しい日本晴の良い天気。こんな日が1週間以上も好天気にめぐまれれぱ田畑の田植の様に一本の残り禁も残さずすばらしい天候と梢々止り気味の天候もからりと晴れて初稲の生育はすばらしいものとして今年の豊年万作は変りない事に心から名残り惜しい気持がする。
外来で、また退院時等に患者に運動指導をされていると思いますが、どの様にされていますか。一般には「運動しなさい」「歩きなさい」等、具体性を欠いた指導が大部分ではないでしょうか。というよりも、どの様な運動をどの位の間隔で行う様に指導したらよいのかわからない、というのが本当の所ではないでしょうか。
わが国では、色々な施設で糖尿病、高血圧症、心疾患などの運動療法について研究されていますが、まだ研究の緒についた所ですし、対象は、いずれも成人であり、老人、特に有病老人についてのデーターは皆無と言えます。では、有病老人は、どの様な運動をしているのでしょうか。私共が、心筋梗塞罹患後の60歳以上の老人を調査した結果からは、退院後6ケ月頃から散歩を始めた人が最も多く、ゴルフ、ゲートボールがそれに次ぎます。ジョギングは1名が1年後に始めていました。
心機能の面から、これらの運動の内ゲートボールについて見ますと、69歳男性で、ゲーム開始時より心拍数の増大を示し、ゲーム中のボールプレー時に一過性の増加を示し、120回/分以上になりました。また、ゲーム時のみに心拍数が増大するのではなく、ゲーム開始前のコート整備中に心拍数が140回/分以上になり、ゲーム中の最高心拍数を超えたということです。記録用の机を運んだり、トンボによるコート整備でも強い負担がかかる様です。
一方、同様にクラブを使用するゴルフはどうでしょう。ゴルフもゲートボール同様、速く歩いたり、ボールを打つ時に心拍数が120回/分に増加するとされていますが、急激な増加は認めない様です。ゲートボール、ゴルフ共スコアを気にせず自分のペースを保って行えれば、老人に適した運動と言えるかもしれません。が、ゲートボールの場合はチームゲームであるため、自分のペースを保って行う事が困難なゲームであり、必ずしも有病老人に適しているとは言い難いかもしれません。
ジョギングについて心拍数をみれば、開始より徐々に増加し、150回/分前後まで上り、後半は徐々に減少するとされています。急激な心拍数の増加がないため、老人には比較的適していると思われますが、ぺースが少し早くなると心拍数が180回/分以上になるため、あくまで自分のペースで、勝敗にこだわる事なく行う必要があります。
一般に、運動はトレーニング効果のあると思われる心拍数(トレッドミル等の運動負荷、Kawonen の式等により算出)を1回15分間持続、週に最低2回行う事が有効とされ、その運動は有酸素的で衝撃度の小さい運動がすすめられます。一方、骨・関節代謝から見ると、骨粗しょう症や関節軟骨の化骨化・摩耗の問題を老人の場合考えねばなりませんが、散歩、ゲートボール等の軽い運動を続ける事は、骨塩量、骨カルシウム量を増加させ、膝関節によい効果を与えるとされています。
以上のことを考えますと、毎日1万歩の歩行をさせる様に指導するのが一番よいと思われます。もちろん、欧米の様に集団で運動指導、運動処方する事が望ましいのでしょうが、整形、脳疾患を中心としたリハビリと比較して、心血管系、代謝系に対する運動療法は全く学問的評価しかされていない現状では、これも困難です。医師の管理外の積極的指導は、突然死、骨折等のトラブルの発生が考えられる事から、現状では散歩程度の指導が限界ではないでしょうか。
折りたたむ...医療法改正や老人保健法改正問題で、老人専門病院の周辺は、さわがしい。おまけに、消費税の導入によって、窓口業務や会計処理業務に要する事務量の増大と、診療報酬の改定があり3月末は、どうしても混乱する。
消費税については、価格への円滑な転稼と制度の定着という目的からも、確実な対策が求められている。当会会員病院では、社会保険診療に係わる以外の費用については、3%の消費税を公正に受領し、利用者の理解をえるべきである。
老健法、医療法の改正問題は、複雑な政冶状況からしても、そう簡単に解決されそうにない。少なくとも、厚生省の基本的姿勢が、いまだはっきりしていないのは、気になる。
当会サイドで考えれば、はっきりしない厚生省の姿勢という状況で、あえて渦中に巻きこまれたくないという考え方と、質の高い老人専門病院を確立するという目的から対応するという考え方がある。
これは、単に積極論と消極論というわけではなく、どちらがリスクが高いかという認識の差である。なんとしても避けられるリスクは避けるべきであるのか、多少のリスクを超えて活動するかといったデリケートな問題である。
それにしても、基本的な行政方針の全体像を示さない厚生省も、いかがなものかと思う。吉原事務次官を本部長とする長寿社会推進対策会議の報告は、本年六月までには公表されることになっているが、この報告で行政方針が明確になるのであろうかといった不安と、まったくヤブの中での時間が過ぎていく不満もある。
そうはいってみても、当会としては、長寿社会推進会議の報告をまつよりない。報告が、老人医療の実践を十分理解した上で、地に足がついた内容を期待したいものである。
折りたたむ...![]() |
×閉じる | ![]() |