老人医療NEWS第123号 |
月日が経つのは早いもので、本会が発足して早30年が経とうとしている。その間、わが国の老人医療は大きく変わった。会の目標である「老人医療の質の向上と専門性の確立」という点からみれば、見違えるほど向上したといって良い。
しかし、現場の在りようを考えたとき、果たしていま、あの30年前よりよくなっているのだろうか。もしかすると、あのころに逆戻りしている部分があるのではないか。
30年前わが国の老人医療は、制度として一般医療と大きく差別されたといっていい。それが、本会の活動やマスコミ報道などによって、多くの課題が指摘されるようになり、その質の向上の必要性が強く論じられるようになった結果、老人保健制度の創設をはじめとして、特例許可老人病院、介護力強化型病院、療養型病床群、療養病床など、診療報酬上の評価や病棟運営の方法に「質」を意識した改革が矢継ぎ早に行われるようになった。そして、介護保険制度や後期高齢者医療制度等の創設を経て現在に至る。これら一連の改革の趣旨の1つは、確かに老人医療の質の向上であった。出来高から包括化、ケアプラン策定に関する評価などは大きくそれに貢献した。しかし忘れてはならないのは、適正・効率化の名の下の医療費の縮減が最大の目的あったということである。介護保険制度の創設も、拡大し続ける老人医療費の流れをいかに食い止めるかという目論見のもとに行われたことはいうまでもない。しかし、結果的にそれは大きく外れた。急速な高齢化は老人医療費の拡大を止められず、少子化・人口減少は医療保険等制度の存続そのものを危ぶませている。
そして、そのあおりを受けるかたちで我々老人医療を担う病院は、またいつの間にか胃瘻や喀痰吸引等医療処置を必要とする重度者やターミナルの患者を多く抱えるか、拡大されたリハビリテーション概念の下、重点的にそうした患者を集めるかしか経営が成り立たないような評価がなされるようになっている。
重症の患者ばかりを抱えては、当然、老人医療の現場は、変化に乏しく、明日に希望の持ちにくい患者ばかりになる。かつての大きな変化を乗り切ってきた職員と、同じ熱意を持って老人医療に向き合おうとする職員でも疲弊し、そのモチベーションが維持しにくい状況だ。
寝たきりの老人患者一人ひとりを、総合的に評価診断し、治療計画の下、寝たきり老人をなくし、個々の高齢者のQOLを高める。そのために、医師はもとより、看護職、リハビリ職、介護職、ケースワーカー等が一丸となって、患者やその家族と向き合っていこうと、大変だったけれど職員が皆で努力していたあの頃の活気は、いまの現場には乏しくなってはいないだろうか。
思い出すのは、あの30年前の悲惨だった現場である。頑張って頑張って老人医療の質を良くしてきた我々が、最終的に得たものは何だったのか。改めて考えてみたいと思う今日この頃である。
折りたたむ...
今回、2つのテーマで現場からの発言をさせていただきます。
1つは医療の質、2つめは日本の将来についてです。
1.老人の専門医療を考える会では、老人専門医療の質を向上するために、各病院で使用していただけるよう「老人専門医療の臨床指標」の作成に平成二十年から取り組みました。ワークショップから委員会にすすめ、高齢化最先端の日本から世界にアピールしようと試行錯誤し、東邦大学教授、長谷川友紀先生のご協力の下、委員会の先生方の病院で運用状況を確かめ、平成24年夏に完成いたしました。委員会の先生方ご苦労様でした。感謝申し上げます。
「老人専門医療の臨床指標」は、7項目から成り立っています。
生きる意欲、尊厳の評価として@経口摂取支援率、リハビリテーションの評価としてAリハビリテーション実施率と実施単位数、医療とケアの評価として、B有熱回避率、尊厳の評価としてC身体抑制回避率、治療・ケアの評価としてD新規褥瘡発生回避率、医療安全の評価としてE転倒転落防止率、ターミナル対応とチーム医療の評価としてFターミナルケアおよびデス・カンファレンス開催率です。
評価しやすくするため評価期間も短期間に簡便にし、現場からの数値も出しやすいものに、評価内容もわかりやすくし、継続しやすくするよう改良してまいりました。日頃の病棟業務がこれでいいのか、業務改善に繋げるためのツールです。
ホームページに詳細はアップされていますのでご覧いただければと思います。使ってみたい、詳細を知りたい、実際どのように活用、導入していけばよいのか知りたい場合には、事務局へご相談ください。小生からご連絡させていただきます。
2.日本の将来予測では2025年まで高齢化が進み、認知症高齢者は400万人にも達するとされています。特に大都市地域では、高齢者の救急医療連携体制をどうするか、慢性期医療の病院の協力体制はどうか、高齢者の最期を看取る場所はどこか、サービス付高齢者住宅やホームの建設をと準備に邁進し、地域の包括ケアシステム構築を進めることなどに意識は集中しています。これらは、2025年を目標に進めています。
さて、その先はどのようになるのでしょうか。高齢者は多くなり、総人口は減少し、少子化する日本では、若い方が1人で4人の高齢者を支えなければなりません。
小生も現在55歳、2025年以降は高齢者に入ります。高齢者の中で、30%の要支援、要介護の高齢者の医療を考えることも重要ですが、70%の元気な高齢者に焦点を当てることは、今後の老人の専門医療を考える会にとって重要な視点になると思います。
若い方だけを頼りにするのではなく、元気な高齢者が病気にならないようにし、要支援、要介護の高齢者を助けられる仕組みを考えること、医療の視点から未病など考えていくことは必要ではないかと思います。
老人の専門医療を考える会にはすばらしい発想力を持った先生方がいらっしゃいます。地域の町づくりにも発展する内容ではないかと思います。2025年以降を見据えた老人の専門医療を考える会の活躍を期待しています。
折りたたむ...老人病院の先駆者達が目指した老人医療の到達点は「重症老人の収容の場」ではなかったはずだ。「明日がある」「豊かな最晩年と大往生」「地域を病棟、病院は詰所」ほか、憧れてきた老人医療の姿は、筆者の自己反省を踏まえ、前述した収容機能と化しているところも多い。制度的には「住まい」、実態は「預かり」機能となっているところからの脱却と進化に、「看取り」「認知症ケア」がキーファクターであることは、筆者も認識している。
私見としては、老人病院の中心機能は看取り機能(厳密には自宅看取り補完機能)となっていく潮流を感じている。認知症に関しては、精神病棟や介護施設においても対応する機能があるが、看取りは発展途上と考えている。どの到達点に向け発展途上なのか。自己反省すると田舎病院経営者の筆者の悪癖が浮び上がる。
「うちの病院の看取りは他と違う」と、他の病院と比較し、自己満足的にそこに資源を集中させる。「病院死」か「自宅死」といった場の議論に集中しているうちに時代の変化に取り残されてしまう。対象者サービスばかりに資源集中し本来の使命を忘れてしまう。
この筆者の悪癖を治療するには外部の力が必要だ。医師でMBAの仲間と、マーケティング専門家のMBAの仲間に助けを乞うことにした。「筆者の病院で実施している看取りサービスの真の顧客は誰で、真の価値は何か」
まず顧客については「真の顧客は決して看取り対象者ばかりではない。保険料を負担している地域住民である」ということを忘れてはいけない。看取りの評価は看取り対象者ではなく、看取り直後よりキーパーソン(青森恐山のイタコ評価は除外)によってなされている。この顧客層には実際の医療は提供されないが、医療を通じて何らかの価値提供をしている。
では真の価値とは何か。個別対象者に対するサービスは医療ばかりでない、実はそこから地域全体に派生する「良い看取り」の実感なのかもしれない。とすれば、そこから浮かび上がる使命とは何なのか。単に「実態」としての看取りだけではない、地域住民が実際の体験以外で実感可能な「良い看取り感」の実感という価値も含め、地域の中で体現するハブ機能になるという使命もあるのではないか。
では良い看取り実感は、どう創造できるのか。尊敬する慶應義塾大学の田中滋教授から贈られた言葉が胸に響く。「政策と社会動向に従うのではなく、後から政策がついてくる確率が高い選択を前もって実施していく(時に冒険となる)意思決定が経営の醍醐味でしょう」
顧客を看取り対象者、キーパーソン、対象者の親族等にセグメンテーションし、キーパーソンに狙いを定めたマーケティング活動をすることとした。
筆者が知る限り、看取り満足度は驚く程の長期に渡りキーパーソンの社会活動に大きな影響を与えている。医療スタッフ側も医療技術や接遇とは関係のない要因で不満足になり、それが原因で傷つき、医療現場を去る。多くは「理解されないなら仕方ない」と肩を落とし、看取り後の関係は途絶えているようだ。当然、地域住民も落胆している。「よい看取り」が健全な社会発展に重要であり、それが医療スタッフと地域住民の共同作業によって創造させるとするならば、両者を看取り後も繋ぎ合わせるマーケティング活動は極めて重要な活動かもしれない。
誰か困っている人を探して細かな経営に走りたがる私の悪い癖は永遠に治らないかもしれない。
折りたたむ...「サ高住」と呼ばれるサービス付き高齢者住宅が、各地で続々と開設されている。医療法人からも、社会福祉法人からも参入しているが、圧倒的に営利法人が多い。この現象が良いのか悪いかのかという議論は別として、開設希望者は雨後の筍のようだ。提供されるサービスの質について眉をひそめる人たちは少なくないものの、国策として推進され、基本は住宅であるので規制しようとしても限界がある。
高齢者の生活に着目して安全で安心な住宅なのかとか、提供されるサービスの質が確保されるのかといった心配から、何らかのガイドラインが必要だとする良識派がいる一方で、何はともあれこの流れに乗り遅れまいという積極派が目立つ。
大規模なものもあるが、多くは比較的小規模で、価格競争に敏感だ。実際に、住宅そのものよりも、サービス提供による収益確保に旨みがあると判断しているようだが、そう簡単に入居者を確保できるわけではない。サービス提供の量の拡大と言うことになれば、要介護度が高い人だけを集めたいと思うのであろうが、入居を検討する人々は、必ずしも要介護度が高いわけではないようだ。
実際に、開設したものの、計画したほどに入居者が集まらず、1年以上経過しても満室にはならないと言う実情もある。いくら各種在宅サービスを組み合わせても、どうしても入院・入所せざるを得ないケースやターミナル・ケアに対応できないで退居者が増加するという場合も少なくない現状もある。
この点、医療施設を経営する法人は、入院医療サービスを提供していない営利法人より圧倒的に有利な展開が考えられる。だが、土地の確保の競争に勝てるわけではないし、どうしてもサービスの質の確保や意思決定のスピードという点で、営利法人との競争に敗れる場合が多い。
介護保険制度創設以降、訪問介護や通所介護などが急激に拡大し、グループホームや小規模多機能でも熾烈な競争があった。急増したグループホームの中には、利用者虐待事件も起きた。それでも、入院・入所施設の量的不足を背景に、熾烈な競争があった。サ高住についても、現状の問題点はともかく、政府の政策展開の期待通り、どのような住宅でも最期を迎えられるようになり、やった者勝ちの時代がくるのかもしれないと思うと改めて考え込んでしまう。
難しい理屈はわからないが、サ高住政策を推進する政策的意図は、第一に超高齢社会の現実に対して、入院・入所施策が財政的に限界があり、食費や居住費を全て賄いきれない現実への対応、第二に、団塊の世代の圧力が最後の時を迎える場の確保が容易でないという認識から、多少なりとも代替的場としての機能への期待。第三に、入院・入所施設の絶対的不足と施設整備への期待を折衷的施策で何とかかわそうとする為政者の責務を全うするためのカモフラージュであると思えてならない。こう考えてみると、改めてサ高住は、政府の政策的救世主と考えられているように思う。
サ高住のマーケットは、全国平均的にみれば、住居費・管理費・食費で12万円程度と考えられているようだ。これに、介護保険サービスの一部負担が3万円でも15万円と言う価格設定だろう。価格競争は、住居費・管理費・食費に集中する。最低でも20平方メートル以上は確保したいところだが、住居費を安価にするには面積を削減しようとする動きもある。しかし、貧困ビジネスのような狭隘な住宅は、高齢者の尊厳を維持できないし、地価が高い大都市部では、15万円では無理だろう。
当会としては、少なくとも、サ高住の医療がおざなりにされないことを切望したい。
折りたたむ...![]() |
×閉じる | ![]() |