老人医療NEWS第122号 |
私が回復期リハビリテーション病棟に携わって14年になる。それまで内科医としてリハビリテーションという分野はあまりなじみのあるものではなかったが、日々の診療の中で高齢者の寝たきり状態を防止するために、肺炎など疾患の治療だけではなく何かしなければいけないと思ってはいた。そこで、国内および海外の病院や施設、制度などを視察し私なりに勉強した。そのなかで、入院環境がリハビリテーションにはとても重要だと感じた。
病院の建築環境は3、40年前と特に変わっていない。現在の日本は時代とともに、生活環境がこれほど変化しているのに、ほとんど変化がないのは病院くらいではないかと思う。良し悪しは別として生活スタイルは個人主義、プライバシー重視となっている。幼いころから自分の部屋があり、学生寮や社宅にしても個室が当たり前で、他人と一緒に住むことはほとんどなくなった。旅行や出張でも個室である。リハビリテーション病院では、急性期病院と違い、在院日数が3、4か月であり、長い時は6か月間の場合もある。それほどの長期間、疾患や障害を持って過ごすのに、他人と同室ではストレスがかかる。病院の個室化に関しては賛否両論あるが、私が入院するのであれば絶対個室を選ぶ。その思いから全室個室の回復期リハ病院を作った。
急性期病院とは違い、リハ病院では活動性を上げることや日常生活動作を習得すること、そして自分の生活を送ることが目的である。その観点からも自分に合った生活スタイルで過ごすことができる個室が必要である。個室の中にトイレ、洗面台、クローゼット、机を作りつけたが、患者さんの動き、利用頻度やリハビリテーション効果などから見て必要な順位は、
当院と大阪市立大学三浦研究所で病院空間利用について共同研究を行った。その中の1つに患者さんの運動レベルの測定(歩数測定)があり、3時間のリハで1,453歩、レストランまでの往復(240メートル)1,507歩、病室内1,668歩というデータがある。自室内での歩行が多くて驚いた。この結果は「自分の部屋」という思いが大きく働いているのではないかと考える。
しかし、矛盾するようだが、リハ病院のハードを考えれば考えるほど、介護保険、自宅での生活などに考えがおよび、病院のハードを重要視するより、医療スタッフが病院から飛び出し、「家」や「社会」を仕事場にしたほうが現実的、経済的ではないかと思ってしまう。
折りたたむ...「事件は会議室ではなく、現場で起きている」という流行りの台詞が身にしみる毎日を送っている。昨年の5月以来、外来診療に加え、数年ぶりに病棟も担当することになったからである。しかし、かつての診療報酬包括制に慣れているためか、あらたな包括制である医療区分になかなか馴染めずに今に至っている。患者さんの病状が改善すると「区分が1になってしまいますけれど」との囁きが聞こえたりもする。経営者目線からは、如何なものか?ではあろうが、「まあいいか」である。思えばかつての包括制度でも、同じようなことが起きていた。いわゆる医療原価が低めの患者さんと、そうでないケースも同一の診療報酬であったが、全体として病院経営はなんとか成り立っており、それゆえに必要な医療を必要な患者さんに十分かつ集中的に提供する自由度が高かった。その自由を粗診粗療と履き違えることもできたが、むしろ高い医療モラル・レベルを目指す経営を可能にしてくれていた。
医療区分の導入で、経管栄養をはじめとする高要介護度患者の一部は区分1とされ、医療療養病床での入院に相応しくないものとされた。医療療養の経営は、医療区分2、3の患者さんを可能な限り数多く入院させることでしか成り立たなくなった。さらに、医療区分1であるが要介護度4、5であるという、いわゆる一物二価状態も浮き彫りになった。しかし、医療療養でも介護療養でも、提供される医療・看護・介護に大きな違いがあるわけではない。また、医療療養での区分1の担い手を介護療養とするのであれば、介護療養の存続問題が論議されていること自体が不思議だ。まるで、老人病院は医療区分が2、3である患者を多く受け入れた上で医療療養を維持するのか、区分が低くても高要介護度であることを活かして老健に移行するのか、思い切って病院ではないものになるのを迫られているように思える。
医療病床は、医療区分の高い患者さんを入院させることに特化することで、より「病院と呼ぶに相応しく」なったとの見方もあろう。しかし、この制度は現場で高齢者に接し治療に携わっている医師をはじめとするスタッフの共感を得られているのだろうか。これまでに老人の専門医療を考える会が関わってきた、老人医療の確立、付き添いの廃止、ケアの充実、抑制の廃止、リハビリの強化、在宅への取り組みなどの共感度・目標達成感と比べて、医療区分を高めにキープすることは、現場スタッフに高い共感や充実した目標の達成感をもたらすのだろうか。私の現場での経験からは、医療区分制度は老人病院をより病院らしく見せることにおいては役立っているのかもしれないが、現場で高齢者医療に取り組んでいるスタッフの意欲、モラル、目的意識などにはつながっていかないと言わざるを得ない。
老人医療への熱き思いや真摯な姿勢、高いモラルや技術を目指すことが我が国の医療の発展を下支えしてきたのではないだろうか。今後、高齢者医療は医療区分のもとでさらにステップアップしていくのであろうか。診療報酬の包括制は、出来高の弊害が目立ってきていた老人医療に大きな転機をもたらした。さらに、包括であるが故の自由度の中で様々な目標設定も可能であった。医療区分を考えるとき「区分は会議室で作られるのではない、現場で作られる」ことのために、当会の果たす役割にいまひとたび思いを寄せている。
折りたたむ...
<経管栄養などのこと>
栄養経路は、3つしかありません。経口、経管、点滴、この3つです。食べられなくなったら、胃ろうを含めた経管栄養か、高カロリー輸液になります。この両者は同時に論じられるべきです。
<高カロリー輸液のこと>
初期の頃は、現在のような優れた輸液剤がなく、高カロリーパックというものに、カロリーや電解質などを計算して自分で入れて作ったものです。とても大変でした。中心静脈にカテーテルを入れるのは、カットダウンによっていました。従って、厳格な適応がありました。現在は、非常に簡単になりました。IVHが増えた理由のひとつです。他の大きな理由もあります。訴訟の嵐です。医師にとって最も安全な道は、なんとしても生きていただくことです。人工呼吸器をつけ、IVH或いは経管栄養を行う、その他、出来る限りの事を行っておく、ということになります。
<経管栄養のこと>
これも、昔は、各病院で流動食を独自に作っていました。下痢が多く大変でした。流動食もとてもよくなって、製品間の差はほとんどありません。気軽に経管栄養を、始められるようになりました。胃ろうもPEGにより、簡単になりました。
<IVH、PEGの増えた理由>
列記してみます。
医師になりたての頃、研修の一環で、往診をしたことがあります。今の在宅訪問です。寝たきりの老人が多かったと思います。ほとんどの人は自宅で亡くなっていました。暗い印象は残っていません。いつから病院が最後の場所になったのか、理由ははっきりしていないようです。孤独死、という言葉を最近よく耳にしますが、本当に孤独に死んでいったのでしょうか。病院に担ぎ込まれ、病院の中で死ぬことが、孤独でないとは思えません。
<みんなわかっている>
結論は、みんな本当はわかっている、です。口から食べられなくなったら、多くの場合はそこまででいいとわかっている。陳腐な結論になりますが、本人の意思が尊重される体制も必要です。更に、訴訟の嵐は自然におきたのではないので、今度は、再びマスコミなども使い、嵐を鎮めるような方策も講じられるべきです。
最後のときには、ひとくち、梨をたべさせてあげたいと思います。
折りたたむ...今回の診療報酬・介護報酬同時改定後の状況を簡単にみてみよう。まず、急性期病院は平均在院日数短縮化策で、全体的には病床利用率の低下という状況に対応を迫られている。一部の成功している急性期病院を除けば、病院間の競争が激化し、急性期病床の供給過多が顕在化している。実際問題として、病床利用率80%未満病院は、損益を計上している病院が多い。逆に、90%以上だと順調に利益を伸ばしている。病床利用率80%未満の公立病院は、そろそろ病床閉鎖する必要がある。いつまでも国民の血税をミスマネジメントに投入するのはやめて欲しい。
多くの公立病院で今後は、急性期病院間の役割分担論が急浮上するはずだが、現実には国公立公的病院がそれぞれの都合で飽くことない競合を演じている。
回復期リハビリテーション病棟や療養病床と急性期病院が一層連携すれば、患者さんにとって有利であるにもかかわらず、急性期病院入院から転院までの期間が短縮化していない。これは、医療資源の無駄以外の何物でもない。どう考えても急性期病院が患者さんを抱え込み始めているとしか考えられない。
回復期リハビリテーション病棟や亜急性期病床は、リハビリテーション機能の充実と在宅復帰率が評価される一方で、医療密度が低い軽症患者ばかりを対象としているのではないかという疑いをかけられているとしか考えられない。
医療療養病床は、医療区分2や3の患者を80%以上に維持するために、実際には疲弊しているが、決してこの方向が正しいわけでもない。過剰診療より疎診疎療のほうが適していると考えられるケースもあるし、ターミナル・ステージでは、過剰診療は好ましいものではない。患者さんや家族の方々とのコミュニケーションが最重要であり、何が必要な医療行為なのかについて確認しながら進めている現状を、なぜもっと評価されないのか疑問でならない。端的にいえば、良質なターミナルケアを積極的に評価するべきなのである。
介護療養病床は、いずれ廃止という闇が明けないままの膠着状況に活路を見出せないでいる。行政側の意地が勝っているのであろう。介護老人保健施設は、在宅強化、在宅復帰・在宅療養支援加算の取得という難題を抱えて身動きできない。介護老人福祉施設は、先行き不安が蔓延している割に意思決定が遅い。通所ケアは、長時間が大幅に引き下げられ短時間への転換が求められている。訪問介護は、医療との連携、身体介護の重視、短時間ケアへの注力移動に追いつけない。グループホームも連携強化の道以外選択肢がない。
在宅医療や訪問看護は、高く評価され地域包括ケアシステムの確立が求められていることは、よく理解できる。ただし、その前提として、急性期から回復期、そして生活期への早期適切な移行や通所や在宅ケアと施設ケアとの十分な連携が確保される必要がある。
今回の同時改定は、施設・通所・在宅ケアをどのようにスムーズに連携させるのかというということに苦慮していると言わざるを得ない。しかし、報酬を設定すれば連携が強化されるというのは、いかにも机上の議論にすぎない。政策は、地域ケア会議の重視などを打ち上げているが、認知症対策やターミナルケアあるいはケアマネジャーの資質向上などの具体的施策が充実されていない。
施設医療のみならず在宅医療に取り組むことは、老人の専門医療の確立に不可欠であることは、何度も主張してきたことである。しかし、地域包括ケアシステムを各地域に定着させるためには、創意工夫や人材の育成などを含めた地域の産業や社会そのものを再生しなければならない。
まず必要なのは、急性期病院の患者抱え込みに対し有効な施策を展開することから、地域医療を再生し、地域自体を再生しない限り、地域包括ケアシステムの構築はないだろう。
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