老人医療NEWS第114号 |
未曽有の東日本大震災により国を上げて被災地の医療復興、再生のため奮闘努力しているところだ。しかし、支援活動は現場への派遣や金銭支援のみではないはずだ。
厚労省は、1人訪問看護ステーションの運営につき超法規的措置として来年2月末までの期間限定で特定居宅サービス事業所として運営を認める通知を発出した。この発端は、1人訪問看護ステーションの運営を認めるべきという規制仕分けから浮上したものだ。
また、被災地や原発避難地域住民への医療・介護サービスについても、定員超過や避難場所での介護サービス提供を認めるなどの超法規的措置がとられている。五月初旬には、「東日本大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」が施行された。ただし、完全復興まで相当の時間を費やすことも想定され、医療・介護現場から2つの超法規的措置とそれに必要な医療・介護報酬改定を提言したい。
1つは、今国会において衆参両議員全会一致で通過した「生活支援サービス付き高齢者専用賃貸住宅」の運営及び設置の緩和、いや超法規的措置を求めたい。
「施設介護に勝るサービスはない」というのが現在の私の持論だ。「生活支援サービス付き高齢者専用賃貸住宅」は介護施設でも自宅でもない第3の住処であり、重介護になっても住み慣れた地域で24時間訪問介護看護サービスを受けることが目的とされている。
ここに訪問診療等医療系サービスを付加することも想定されているが、被災地で仮設住宅を建設するのであれば、建築基準法などの制限を超え、病院や介護保険施設併設または敷地内での高齢者専用賃貸住宅の運営を認めるべきと考える。このことで併設機関などから医師が訪問し、場合によっては一般病棟や療養病棟でも緊急入院対応を評価する報酬改定を求めたい。
2つ目は、各都道府県医療系団体が協力し雇用促進事業を実施するためへの提案である。2010年度診療報酬改定で新設された医師事務作業補助体制・急性期看護補助体制加算は、一部の急性期病院にのみ評価された点数である。
その目的は勤務医負担軽減ということであるが、働き盛りの被災地住民を各府県の医療機関が事務・看護クラークとして受け入れることはできないであろうか。そのうえで、研修会を病院協会や医師会が実施し現場に紹介する。加えて、病院が所有する職員寮などを開放することで他府県での業務に安心して携われるはずだ。その後、完全復旧した時期にUターンすることで地域医療にも貢献できるだろう。
これをより現実的な業務にするためには2012年度診療・介護報酬改定を予定とおり実施し、全国規模で事務・看護クラーク業務を点数化し評価することが必要となる。同時改定延期論なども浮上しているが、医療再生に必要な超法規的措置を優先的に実施すべきだ。
折りたたむ...慢性期病院は急性期と比較してチーム医療の重要性が高いと言われている。
平成22年に発行された厚労省の「チーム医療の推進に関する検討会」の報告書では「チーム医療」を次のように定義している。
「医療に従事する多種多様な医療スタッフが、各々の高い専門性を前提に、目的と情報を共有し、業務を分担しつつも互いに連携・補完し合い、患者の状況に的確に対応した医療を提供すること」
このチーム医療を図式化すると患者を中心として医療職が取り囲む図ができる(図はPDFを参照)。
当初これをもとにチーム医療を推進していたが、次第に多少の違和感を生ずるようになった。患者が中心であると患者参加型医療の説明がしにくく、また場合によっては患者様とまつりあげられ両方向のコミュニケーションが取りにくくなるからである。
そこで当院では次のようなチーム医療の図を提案した(図はPDFを参照)。特徴は患者参加型医療の概念をわかり易く表し、患者・家族、更に地域を含めて一つの目的に向かって医療関係者と一緒になって取り組む図になっている。もう一つの特徴は中心におくべき目的を「患者のQOL」としたことである。
急性期病院であれば「患者の病気」を中心におけば良いと考える。しかし鶴巻温泉病院では入院患者の平均が76歳と高齢であり、回復期だけではなく、維持期、緩和期の患者も多い。そのような環境では患者の病気だけを看るのではなく、患者・家族の希望を聴き、それに寄り添った医療・介護が必要となる。そのような意味でチーム医療の中心に「患者のQOL」を置いた。これにより慢性期病院の特徴がより分かりやすくなると考えている。
さて、昨年の当院の方針は「スーパー鶴巻温泉病院を実現しましょう」であった。
スーパー病院というのはテレビにでてくるスーパードクターから思いついた私の造語で、スーパードクターのように個人の力がとび抜けているのではなく、患者・家族・医療者・職員・地域全てが協力して夫々の最大の力を発揮すれば大きな力が生まれる。つまり前述したチーム医療が実現している病院とスーパー病院とはほぼ同じ意味である。幸いその考えは職員の賛同を得たようでスーパー病院への方向性を掴むことができた。そこで平成23年度の方針は「進化するスーパー鶴巻温泉病院」とした。院長就任時に「変化を進化に、進化を笑顔に」という標語を掲げていたので、病院も良い方向に絶えず変化 し、それが進化につながることを表したものである。
今後も理想的なチーム医療、つまりスーパー鶴巻温泉病院の実現に向かって努力を続けるつもりである。
折りたたむ...1000年に1度という未曾有の東日本大震災と大津波、そしてまだまだ終わりが見えない二次的な原発事故を、一体誰が予想していたであろうか。まずは改めて被災された方々と、今でも避難生活を余儀なくされている全ての方々に、心よりお見舞い申し上げたい。
地方在住の私だが、地震発生時はたまたま上京しており、所謂「帰宅難民」を経験した。たった一晩でも早く家に帰りたいと感じた位だから、エンドレスの避難生活を余儀なくされている方々のことを思うと、語る言葉もない。3月下旬に震災後初めて上京し、改めてその影響の大きさを痛感した。節電により空港に限らず駅という駅が暗く、人も少なく、エスカレーターも半分以下の稼働。更にデパートや飲食店等は軒並み営業時間・規模を短縮し、日常は一変。しかし、そんな状況なのに誰も文句1つ言わずに淡々と日常をこなしつつある日本人に対して、世界が絶賛しているというニュースを見聞きし、何となく誇りを感じる一方で、スイッチ一つで電気が灯り、都会の深夜は連日不夜城、歩いて数分の距離で、24時間営業のコンビニはしのぎを削る。そんな日常は、本当に必要だったのだろうか。少しでも便利に、いつでもどこでも誰でも欲しいものが手に入るようと凌ぎを削ってきた社会に、大きな落とし穴があったのかも知れない。
あの大きな船舶が、まるでおもちゃのようにいとも簡単に陸に打ち上げられた映像も見るに付け、やはりヒトなんて大きな自然の驚異の前では、まだまだちっぽけなものなのだと思わざるを得ない。人類のめざましい科学の進歩があるとは言え、決して自然の猛威を全て乗り越えられるわけではないことを、改めて思い知らされたのだ。
医療界で言えば、多産多死から少産少死の時代に移り、医学のめざましい進歩により、最近ではまるでヒトの生き死にまで科学(医学)がコントロール出来てしまうのではないかという錯覚にさえ陥ってしまう程であったが、「命」とは尊いものであるが、それはまたいつかは尽きるものであるからこそ尊いのだと言うことも知らなければならないのではないか。そしてその原点になるものが、老人医療の中にこそあるような気がしてならない。
医療介護分野でよく使われるQOL(Quality Of Life)という言葉の中の「Life」には、「生命」「生活」、「人生」といった意味がある。そして文字通り「生命」(いのち)を守るのが救急救命を含む急性期医療であり、「生活」を支える医療が慢性期医療、地域医療。そして人生八十年時代の最後の四半分を支えるのが老人(高齢者)医療だとすれば、これこそが「人生」を支える為の医療だと言えないだろうか?そう、いつかは尽きる命だからこそ、人生の最後に寄り添う医療が重要であり、これこそが「老人医療」の原点はないかと感じている。
国内外から駆けつけた多くの救急医療チームや災害医療チームの活躍のお陰で運良く生命の危機から脱した方々も、生活が出来ない状況の中で必死に頑張り、徐々に眠る場所や食べ物が確保され、お風呂も入れるようになると、次に必要とされる医療ニーズは、血圧の治療や風邪の治療、即ち慢性期医療、地域医療、在宅医療であろう。しかし当然ながら、それで満足できるものではない。そう、住むところも働き口もなくなり、多くの身内やご近所とも離れてしまった今、これから一体どのような人生を生きたらいいのか、いや生きられるのだろうか?それが見えてこない限り、決して被災された方々の心は晴れない。私達老人医療に身を置くものは、正にその人の「人生」の目標を見つけ、そこに向かって進むパワーを発揮出来るように、出来るだけ広い視野に立って支援するのだと言うことを、肝に銘じなければいけないのではないだろうか。
折りたたむ...天は我らに試練を与えている。東日本大震災は未曽有の天災だ。福島原発事故は、安全神話を信じ込んだ悲しい結果だ。失われた20年といわれ、なんとか立ち直ろうとした矢先の大震災と原発事故は、今も日本を深く傷つけている。
堺屋太一氏は、近著「緊急提言日本を救う道」の中で、日本の「第三の敗戦」としている。明治維新は自ら敗戦を認め、太平洋戦争では敗けるべくして敗けた。「短命内閣がコロコロ代わって、経済もどんどん落ちてしまう」。そこに、今回の大災害が起こったというのである。
国際社会における日本の経済の落ち込みは、あまりにもひどい。五月末に、国際格付会社ムーディーズは、日本国債の格付を近日中に引き下げると公表した。Aaaの米、英、独、仏。Aa1のベルギーについで、日本はAa2であった。それが一段階引き下げられるとAa3の中国と同等、二段引き下げられるとA1の韓国と同等になる。スタンダード&プアーズは、すでに中国と同等のAAマイナスの評価だが、弱含みでいつAプラスに引き下げてもおかしくない。
原因は大災害だけではない。巨額の財政赤字と増税を明言せずに大量の国債発行をいつまでも続ける政治姿勢に嫌気がさした結果である。
OECDの2011年版対日審査報告書には「債務残高比率を安定させるために消費税率を欧州並みに20%相当に引き上げる必要がある」とある。2月に公表された国際通貨基金IМFによると「日本の地方税を含む一般政府債務残高は2012年にはGDPの232%に達し、これは1946年のドイツを除くと先進国史上最悪の水準」とレポートした。
小泉純一郎元総理は「在任中は消費税を引き上げない」と明言した。あれから五人の総理が誕生したが、大量の国債を発行し、次世代にツケを廻し続けた。どう考えてもこれ以上の国債発行は無理だ。いずれは大増税するか、社会保障を引き下げざるをえない。しかし、社会保障費の引き上げは、国民生活の困窮をまねくし、そんなことが出来る時代ではない。そうなると増税ということにならざるをえないが、国民が大賛成するはずはない。それでも、このままでは四面楚歌だ。
だれかのせいにしたいが、結局はどこかで国民が耐えるしかないのは自明だが、政治があまりにもプワーだ。ポピュリズムだとか、大衆迎合政治の結果だとかいう人がいるが、国民がバカだったといわんばかりの空論は虚しいばかりだ。
なんとかしないと危うい。震災復興は大切だし、財政再建もしなければならない。失策のつけが、安易な消費税増税一本槍だけでは、国民の合意は形成されない。税と社会保障制度の一体的改革が必要だが、そのためには国のビジョンを示し、消極的でもいいのだが納得してもらえる道すじを示すことが、今、政治に求められているのである。
目をさまし、現実を直視することが大切である。状況はあまりに悪いが、人は失敗からのみ学ぶものである以上、これまで曖昧にしてきたことや、後回しにしてきたことを、はっきりする必要がある。
最悪のシナリオは、未来に向かって増税を繰り返し、社会保障給付を引き下げることである。このようなことをすれば、深刻なデフレスパイラルに落ち入り、人口減少と高齢社会の渦に飲み込まれて、国際社会の底辺に向かわざるをえない。
神が与えた試練であるとすれば、勇気を持ってこれに立ち向かわなければならない。それは、社会保障の一部である老人医療を支えている人々の責務であるからだ。朝がこない夜はないのだから英知を結集しよう。
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