老人医療NEWS第113号 |
私は電子カルテを全否定しない。少なくともオーダリング(処方・検査・処置など)は一つ、事故防止の観点からも有用である。(但し使い勝手の良いソフトが前提)政治を初め、全てアメリカに従属の日本。そのアメリカですら日本版電子カルテは、大学の付属病院も含め、普及率は10%未満である。100%近くの普及は、オーダリングシステムのみ。その事実を報道しない、日本のマスメディアの不思議。ですから電子カルテも含めて「IT」と叫ぶ政治家を私は信用致しません。道路・橋・箱物に代わる第2、第3の「公共事業」の可能性があるからです。
2011年2月2日 札幌西円山病院朝礼にて
医師になって50年がすぎた。医籍登録が出来たその日から、人口8千人余りの医療に乏しい無医村といってもいいような地域に飛び込んで行き、そこでゆりかごから墓場までの医療福祉の実現を夢見て、20年を過ごした。自分達の健康は自分達で守ろうと働きかけ組合立の診療所をつくった。産婦人科以外はすべて診るという正にプライマリーケアに専念した。高血圧症と脳卒中が特に多く、保健師に毎日血圧測定に歩いてもらったり、健康教育・健康診断の集会を定期的に開いた。また乳幼児の健康に不安もあり0歳児から預かれる保育所をつくり、ナースも配置した。急速な高齢社会になり、寝たきりの独居老人が増えてきたため、特別養護老人ホームの必要性を感じ、3年がかりで開設した。特別養護老人ホームをつくることにより老人福祉の拠点として、病院と一緒に高齢者の福祉と、健康維持・増進のための活動が出来ると考えていたが、縦割り行政のためにいろいろ制約があり、難しいことがわかった。医療と福祉は一体でないとだめだという思いが強く、福祉の心を基礎にもった上に医療を施す病院をつくろうと思いたち、当時は老人病院は悪徳病院と騒がれていたころだったが、あえて1980年に開設した。
福祉とはその人の日常生活の中で不自由に感じていること(身体的、経済的、精神的等)を支えてさし上げ、より安楽な充実した日々を送ってもらうことと考えている。病院生活は急性疾患の1週間や10日の入院なら少々不自由・不便があっても辛抱できるが、1か月・3か月・1年、それ以上となると辛い思いをすることも多く、不平・不満・悲しみ・ねたみ等々マイナス思考になる。それはいわゆる自然治癒力を低下させ、いくら治療しても病気はよくならない。病気は医者が治すのではなく、自らが持つ自然治癒力によって治すのだから。そこで、自然治癒力を高めるために日々の生活を支えて明るく安楽に希望を持って、納得のいく日々を送ってもらえるように介護看護をしっかりと行わなければならない。介護が医療の原点とも考えられる。
話が変わるが、当会の行った2回目のシンポジウムに参加させてもらったことがあるが、そこでリハビリテーションの必要性を訴えようと思ったが、司会の元厚生省の局長の方に、それは福祉だ、医療ではないと叱られたが、少し老人医療の話を加えて頑固にリハビリの話をしたことがある。ところがそれから3年たって、その元局長から電話を頂き『君が言う通り老人にはやはりリハビリテーションが必要だなあ』と言われ、わかってもらえたかと嬉しかった。それから厚生省の中でも議論になったようだ。その後、当会のメンバーが北欧に視察に行って、北欧の病院では昼間はベットには寝ているお年寄りはいなかったということで、それまで我々の病院は、寝たきりのお年寄りを亡くなられるまで預かっておけばよいだろうと言っていた人たちも、リハビリの必要性を認識されたようだった。
自分のガンの手術体験からも、寝たきりの状態から座ることができ、立つことができ、自分の足で歩けたとき、そのときそのときに大きな喜びがあり、感動があった。同時に希望がわき、夢を持つことが出来るようになったことを思うと、障害のある方も少しでも行動範囲を拡げ、生活空間を拡げる努力をしてもらい、それを支えてあげることが私達の大きな役割のようにも思われる。
折りたたむ...平成8年32歳の時に私は当院を引き継ぎました。祖父が始めて、父が建てた病院ではありますが、引き継ぐ15年前に父は亡くなり、そのあいだ親族に経営をお願いしていました。その人たちと引きつぐ間際まで良い関係を保っていたのですが、自分たちが去ると決まった時から関係が悪化し、何の情報も伝えられないだけではなく、就業規則や給与台帳などは全て消去された状態で引き継ぎました。そんな時に当時の老人医療はどんな状況なのか、これからどのような方向で病院を運営すべきかを教えていただいたのが、この会の年数回開催されていたシンポジウムや会報でした。当時当院は高齢者医療というよりも社会全体から見ても不必要と言われてしまうような状況に置かれていて、どうすれば良い医療を提供できるようになるのであろうか、質の高い医療を提供しなければ潰れてしまう、とひたすら考えて行動してきた15年です。
未だに最大の課題ですが15年前の最初の取り組みは、職員のやる気を引き出す方法の検討でした。どんな事でも良い、どんなに小さい事でも職員が不便を感じている事で直せるところを直して何か良くなったと、職員が実感できるように実行しました。次に建物が木造でお化け屋敷のような病院でしたので設備投資を行うにあたり個人病院から医療法人化を行い、近代化整備資金や医療福祉事業団の融資を利用して増改築を行いました。病院が快適できれいになってから職員の評価は良くなり始め、職員募集にも反応が見られるようになりました。
増改築に際しては、リハビリを中心とした療養型になるように配慮し、その後はリハビリを提供する事が目的の病院作りを行いました。しかし最近は少し考えが変化し、リハビリを提供する事が目的ではなく、その人にとって最も良い環境を獲得するためにリハビリをおこなっていると考えています。増改築は平成12年から14年に行い、平成14年からの診療報酬の改定といえば、皆様ご存じの通りどこまで下がるのかわからないほど下げられた時期です。建て替えた後の苦しい時期とこの改定が重なり、建て替えた事を後悔するほどつらい時期でした。リハビリを中心とした病院運営を行う考えでしたが、中途半端に医療療養で積極的なリハビリを提供していた為に医療区分の導入でリハビリが必要な方は医療区分が1となり、回復期リハ適応者が60%となるまでの時期は大赤字を抱えることになりました。もっと早く回復期リハビリを開設するべきであったと悔やむと共に、早い時期に情報を取得する事によって早く動く事が重要である事に気がつき、この会や現在の日本慢性期医療協会の重要性を再認識しました。
その後、介護療養型の廃止が突然現れ、今度は介護療養から医療療養への転換が課題となりました。最近ようやく1病棟を医療療養へ転換できました。この転換にあたっては介護保険から医療保険へ転換するため新規病院開設と同じ手続きを踏む事になり、特別入院料を算定しなければならず、大変な赤字を抱え込みながら何とか転換しました。しかし、まだもう1病棟介護療養型があるため、これをどのように今後転換していくべきか、来年の診療報酬改定を大変な関心をもってみています。
質の低い病院から質の高い病院へなろうと転換を図ってまいりましたが、良い方向へ転換しようとする病院を応援する診療報酬体系ではなく、なるべく質を上げさせない制度になっていると思います。質を上げようとすればするほど苦しめられる制度に右往左往された15年です。自分が大変参考にしていた会報に、まさか投稿する事になろうとは考えてなかったので、この状況にも右往左往しました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
折りたたむ...1912年4月4日の深夜に氷山に接触し、翌日未明にかけて沈没したタイタニック号の犠牲者数は乗員乗客合わせて1513人だったという。当時世界最悪の海難事故で多くの教訓を後世に残した。映画化されるなどして世界的にその名を知られている。史実では、2200人以上を乗せていたが、1178人分の救命ボートしか用意されていなかったと伝えている。妊産婦や子どもなどが、優先的にボートに乗せられたが、多数の老人は讃美歌を合唱しながら沈んだという映画もある。全員が助からない状況では、助ける人々の優先順位があり、妊産婦が筆頭で男性老人が最後という順序になる。これを救命ボート原則(ライフ・ボート・セオリー)という。
2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で甚大な被害がでた。福島第一原発と第二原発周辺には、避難指示や屋内退避指示が出された。地震、津波、原発事故で大混乱となった。都心は計画停電だというので交通マヒ、トイレットペーパーまで買占め心理が働き、ガソリンスタンドに長蛇の列。
テレビニュースは、被災地の様子を映し出す。暖房も食料もない中でどう考えても要介護老人が震えている姿がそこにある。その中で、マイクを向けられた老人は、「ありがとうございます」「お世話になります」と頭を下げられる。見ている側も頭が下がる。例えば、大被害にあった人口約1万人の宮城県女川町では、3人に1人が老人で、そのうち約15%が一人暮らしである。平成20年3月末現在、1875人が75歳以上であった。被災地の老人が心配だ。
「老人とは失礼だ」という人がいて、いつしか高齢者という呼び方をするようになったが、老人という言霊には、思慮・経験に富む点で社会的に重んぜられるという響きがある。長老は宗教界で尊敬される人であり、老中は江戸幕府の最高政務担当者、老練は巧みに問題処理する能力を意味する。現在の中国でも「老」は経験を積んだという意味で、逆に「若」は反対の意味のようだ。高齢者というのは、年齢が高いことだけを意味し、無機質な響きを感じる。
老人を弱者として取り扱うのは失礼なことである。必死に生き、社会に貢献し、生きるすべも人の心も理解できる。人を押しのけて生き残ろうともしない。人生を達観している人もいるし、死にきれない思いの人もいるだろう。老人の尊厳を守り、支えになることは大切なことである。特に、医療や介護を必要とする老人を見捨てることはできない。一人ひとりの命は等しく尊い、命を粗末に扱っては絶対いけない。
救命ボート原則は、現実的な人間社会の価値であるが、逆に考えれば老人を支えられる社会は素晴らしい社会である。全員を救わなければならない、燃料も食料品も生活物資も必要だ、妊産婦も将来社会を支える子どもたちも希望だ。優先順位はおのずとあることはわかるが、医療と介護を同時に必要とする老人のことを、誰が深く考えているのだろうか。今、私たちは試されているのだ。
老人の専門医療を考える会は、このようなことを考え続けてきたのだ。寝かせきりにする、脱水になる、栄養失調が訪れる、褥瘡ができる、感染症が襲う。それでも老人は黙って天井を向いたままだ。どうしていいのかわからなかった。それが四半世紀前の老人病院だった。今の避難所の光景のように。
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