老人医療NEWS第107号 |
最近話題のグーグルには一〇項目の理念があります。「ユーザーに焦点を絞れば、他のものはみな後からついてくる」「一つのことをとことん極めてうまくやるのが一番」など。「ユーザー」を「患者」に置き換えると、それは当会の理念にのっとり、老人の専門医療に特化し、極めようとしてきた歴史そのものです。会員の皆様が、このような熱い思いと、限りない向上心で施設の運営にあたられているのをいつも目にし、勉強させられています。
アトランタで一九九八年に始まったグーグルは、中国からの撤退報道が明らかにしたように、瞬く間に全世界に広がり、ネット検索はもとより、関連する様々な機能が付加されました。事業が検索にとどまらなかったのも、「ユーザー」の必要を追求・提供しようとした結果です。
当会の歴史からも同様な展開が見いだされます。病院という枠組みでスタートしながら、個々の老人の人生と向かい合い、その必要や満足を追求した結果、介護職の充実・施設の整備・リハビリの重要性などを提起し、介護力強化病院に結実。さらに、時代とともに変化する多様なニーズに答えるために、訪問看護・リハや特養・老健・GH等への事業展開がなされてきました。このように見ると、当会の理念・目的である「理想的な老人医療のあり方を追求」は着実に実行されている感があります。
しかし、老人医療とグーグルとの大きな違いは国境を越えているかどうかにあります。医療・福祉制度はそれぞれの文化・伝統・社会体制の違いを強く反映していて、ある国での医療供給体制を、そのまま他の国に適応することには無理が生じます。
ただ、わが国の変遷を振り返ると、老人医療費無料化・行き場のない要介護高齢者・不十分な福祉の受け皿などの要素が昭和五〇年代に一気に絡み合い、日本独特の「老人病院」が誕生しました。その後、欧米の老人施設などの優れた要素を導入し、医療としての形態を保持・主張しながら発展した経緯があります。さらに「特例」で許可されていた位置づけは、「療養病床」として一般病床と区別・並立され、市民権を得たという経過がありました。
このように老人病院は、欧米の利点を巧みに取り入れ、日本独特の医療文化を形成してきました。欧米のハートやパーツを数多く日本的に取り入れて熟成させた、わが国の老人医療。それを国内でしか通用しないものとさせず、諸外国の高齢化社会に貢献できるような試みも可能なのではないでしょうか。一昨年から検討し、当会でデータを収集・蓄積している「老人専門医療の臨床指標」はそのはじめの一歩となるかもしれません。この「臨床指標」を英訳し、世界に発信することを当会は目指しています。
老人病院を日本が誇れるシステム・文化として輸出するなどと言うと夢物語に聞こえるかもしれません。しかし、老人病院は、高齢社会をいち早く迎えた日本が世界に貢献できる財産となるのではないでしょうか。
折りたたむ...最近民主党の支持率も野茂選手のフォークボールのように落ちてしまっている。それでもまだ、自民党よりはよい。民主党は上からの縛りが非常に強く、若い議員に自由がないといわれているが、民主党に自由をつけると、自由民主党になってしまう。つまらないダジャレだが。
多くの民主党の議員と話をしてみると、特に若手の議員は多様性があり、能力的に非常に優れている人物が多い。今は大変であるが、将来大きな期待が持てそうである。
さて、私なりに病院の運営管理などの現場から望むことを挙げてみた。
私は医療や介護、福祉といったものは、本来は政党に関係ない超党派で行うべきだと思う。大切なのは、投票率を上げて、我々から多くの仲間を出すことだ。医師に限らず、歯科医師、薬剤師、看護師、PT、OT、ST、栄養士、救命救急士、臨床検査技師、放射線技師、介護福祉士、ヘルパー、ケースワーカー、ケアマネジャーなど全ての団体関係者が一致団結して日本の医療・介護・福祉の利用者のために大きな連合を作ることがチーム日本のために必要だ。
折りたたむ...ゴルフが趣味で、何事もない休みが取れると近場のゴルフ場へ向かい、一・五ラウンドのゴルフを楽しんでいる。私にとってゴルフは結構ハードなスポーツである。
スポーツと言えば、オリンピックを思い浮かべる人も多いと思う。またオリンピックという言葉を聞くと、なぜだかワクワクと胸躍るのは私だけではないはずだ。私が十二歳だった時の東京オリンピックは「東洋の魔女」と言われた女子バレーを始め、すべての競技がテレビ中継されるなど日本中がオリンピック一色となった。その華やかだった記憶が身体のDNAに刻み込まれているのではないかと、少し大げさに考えている。
先月閉幕したばかりのカナダ・バンクーバーで行われた冬季オリンピックは、スノーボードハーフパイプの國母選手の公式ユニホーム着こなし問題で日本中をにぎわして始まり、女子フィギュアスケートの浅田真央選手の銀メダルやスピードスケート女子団体追い抜き銀メダルと、これもまた日本中を大変盛り上げて終わった。何しろスケートの真央ちゃんのフリー演技は、放送されたのが平日のお昼過ぎだったにも関わらず、視聴率は五〇%に近かったそうだ。録画映像を含めれば、ほとんどの国民がその演技を見たのであろう。
そのバンクーバーオリンピックの代表選手九十四名のうち、多くの選手が大企業と言われる会社や大学に籍を置き競技活動をしている中、病院所属選手が四名いたことをご存知だろうか?
ボブスレー女子桧野真奈美北斗病院、スピードスケート男子土井槙悟関西病院、スピードスケート男子平子裕基関西病院、スピードスケート女子小平奈緒相澤病院。そのほかにも医療に深くかかわる企業に所属している選手が三名いたそうだ。
実のところ、私はこのオリンピックが始まるまでは、新聞などに掲載される選手の紹介が所属先とともに書かれていたことなど、全く気に留めずに読んでいた。病院所属の選手がいることを知ったのは閉会式の前日に行われた競技だった。ゴールした瞬間は誰もが金メダルと確信していたスピードスケート女子団体追い抜きの銀メダル獲得を報道するニュースで、小平選手が長野県の相澤病院に所属していることを知った。小平選手はこの種目の銀メダルのほか、他の種目でも五位入賞するなど大活躍であった。
確かに、怪我がついてまわっているスポーツ選手にとって所属先が病院であれば、経済面だけでなく身体的・精神的にも大きな支えになることと思う。また、広告規制が厳しい医療機関にとって、全国的に広く存在を周知させることのできることも承知している。しかしながら、ある程度限定された医療圏という範囲の中で運営をしている多くの民間病院にとって、全国的に広報することを見据えてスポーツ選手を受け入れることの必要性は、あまり感じられないと思っていた。
ある時、アテネと北京で開催された夏のオリンピックに複数競技で選手を輩出した病院の先生と一緒にゴルフをしたときのことだが、オリンピック選手を養成する理由を聞いてみたことがある。その先生は、「病院というところは、男女の比率が女性が八割の職場です。その女性達が活性化するのではないかと思って始めたのです。オリンピックに出るなんて考えてもみなかったけど、四〇年近く続けていたらだんだん強くなってきましてね。オリンピックや全国大会の応援にみんなで出かけるのも楽しいですよ。」と話してくれた。
病院職員のモラールアップのために、目標管理や成果主義など工夫を凝らして導入されている病院も多くなってきていると聞くが、スポーツ選手がいるというのも良いな、と思えるようになってきた。
折りたたむ...老人の専門医療を考える会が創設されてから二十七年間の時が過ぎた。老人保健法の成立過程において「老人病院は質が悪い算術病院だ」という大キャンペーンに対して「それはないだろう」という少数の医師が危機感をもって立ち上がったのが本会誕生のいきさつであった。
昔のこととはいえ、特例許可老人病院制度の実施は、精神病院における医師や看護職の特例を老人病院に応用する一方で、その特例の基準すら満たせない病院に対して特例許可外老人病院というレッテルを貼り、経済制裁を加えたのである。病院界は大混乱し、それを収拾するために老人保健施設制度が考えられ、そして介護力強化病院制度が生まれた。
その影で寝たきり老人や認知症の長期入院患者に対して、どのようなケアが行われれば良いのか、そもそも論として老人医療をどのように改善するのかといったグランド・デザインは示されず、単なる財政対策的政策がバッコした時代だ。
自主的な勉強会や海外の老人医療の視察、一般市民を対象としたシンポジウムや職員研修が暗中模索の状態で着手された。当時の厚生省の政策立案者もどうしたら良いのかわからず、地域医療を担当する各地区の医師会からも「老人医療はどうするのか」といった疑問の声はあったものの解決策はみつからなかった。そして、仲間であるはずの民間の一般病院からは「老人病院の医療は程度が低い」と酷評された。
老人患者に対して検査と与薬、注射と少ない人数の看護を提供しても、患者の状態が改善しないということがわかってきても、それではどうしたらよいのかわからなかった。老人入院患者に対してリハビリテーションやソーシャル・ワークの専門職員を投入するべきだという意見は、よく理解されたが、財政的裏付けもないし、理学療法士や作業療法士の養成人数は少なく、どのように人材を確保するかも大問題であった。
医療の提供といっても、老人の長期入院患者のケアには、生活面での適切な介護が必要なことについても、当然視されていたにもかかわらず、それらの生活上のケアを確保するには付添婦にたよらざるをえないお寒い状態であったのである。
あれから四半世紀がたった。主な創設メンバーは、世代交代の時代を迎えている。いまさら昔の物語を書いているのは、当会の創設以降の精神と活動成果を、第四代会長を中心として是非継承して欲しいと心から願うからである。
人間は結局、感情と勘定から自由になれない。豊かな老後、適切な老人医療、人権と尊厳が確保された上でのおだやかな死が社会的に提供されることが、次世代の発展のためにも必要であるという信念と、そのために老人専門医療を確立し、改善し続けることが我々の使命であるという精神が大切である。
老人専門医療の確立は、前人未到の大仕事であるし、老人医療に従事する一人ひとりが懸命に努力する目標であり、質の改善は、永遠の課題である。そのためには、当会の活動だけでは不十分であることは十分理解しているが、だれかがではなく我々が活動することに意味があると考えているのである。
高齢者介護は大きな社会問題であることはだれでも知っているが、老人専門医療が基盤として必要であると考える人は、どう考えても多数ではない。リハビリテーションの可能性が広がったり、おだやかな死がだれでも可能であるといったことを広く社会に認識して欲しいのである。
療養環境改良や栄養状態の改善、長期入院にならざるをえない老人に対する十分な心理・社会的サポートなどの面で、まだまだ我々の課題は大きい。少数の同志で挑戦したい。
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