老人医療NEWS第106号 |
私たちは誕生日をもって年をとりますが、かつては大晦日を年取りといって、年齢を重ねるということを一人一人が意識しました。子供は未来を想い、青年は家族や仕事を想い、老人は行く末に想いをはせて、みなそれぞれに厳粛な面持ちで新年を迎えていました。そして、さまざまな事情や違いはあれども、新年を迎えることができたことを感謝しました。
超高齢社会となった現在はどうでしょう。多くの不安と不満を抱えながら、新年はもっとよい年になるようにと、感謝より先に望みや願い事ばかりが多いのでは、残念ながらあまりよい社会とはいえない気がします。
近々、団塊の世代が高齢化し、当然の結果としてその死亡数も増えます。団塊の世代とて、安心して年をとることができて、死ぬときがきたならば長生きをしてよかったと思いたいことに変わりはないでしょう。
ついでですが、私は「高齢者」よりも「老人」という呼びかたが好きです。「老人」のほうがなにかしら知恵を持ち、しっかりと地に足をつけて生きているように感じるからです。それに、この会が「高齢者の専門医療を考える会」では、なにやら審議会風で隔たりを感じてしまいそうです。
さて、「老人の専門医療を考える会」が追い求めていることは、老人が幸せな生活を送るために必要な医療や介護はなにかを考えて、それを提供できるように努力を続けることでありましょう。したがって、会員各施設では常日頃、質の向上を目指して奮闘しているわけです。
当たり前といえば当たり前のことですが、では質の向上とは何を基準にするべきか、じっくりと考えてみる必要があります。医療ではEBM(Evidence Based Medicine)の考えかたが広く用いられるようになりましたが、はたしてこれは全ての医療に当てはまるのでしょうか。
すなわち、私たち提供者側にすれば、理論的に合っていることは正しいものと理解できますが、老人の側からみてはたしてそれが幸せにつながるものなのでしょうか。
老人には若者が到底及ばない知恵があります。生半可な知識ではない深い知恵です。長年、暮らしてきた中から得たものです。大きな病気にかかったとき、まだ大丈夫なのか、もう終わりが近いのかなど、昔の老人ほどではないにしても自分の将来を感じとることができるようです。これが大人の分別とか、分をわきまえるということなのでしょう。
私は老人が持っている偉大な能力を信じて、こうした視点から、すなわちNBM(Narrative Based Medicine)に基づいた関わりをしていきたいと願うものであります。
折りたたむ...先日市内の公的病院の院長が訪ねて来られた。新任の挨拶もあったが、急性期病院として更に機能集中していくため、後方受け入れ病院との連携を深めたいとの趣旨であった。それまでにも地域連携室を通じて相互の連携はあったが、始めて直接顔を合わせてお互いの実情を知り合い、どのような連携が可能か話し合った。院内も見学してもらい、遅まきながらこちらからの訪院もお約束願った。
病院の機能分化と集中そして他院との連携の重要性が叫ばれ、それぞれの病院が地域の中で役割を定め、その機能に磨きをかけてはいても、いざ連携となるといろんな事情が絡みぎくしゃくすることも多い。当院はケアミックス型で一般病床はあるが、療養病床が中心で、二年前に救急告示も返上した。手術室の使用も極端に減り、そうなると自院で対応困難な疾患の発症で急性期病院にお願いすることも多くなったが、最近公的病院の地域連携室の対応が非常によくなったと感じている。時間外でも快よく引き受けていただける。そのありがたさを実感しているだけに、急性期病院からの入院依頼には出来るだけその期待に沿いたいと思うが、在院日数短縮や神経難病で未だ症状安定せず現在の自院のマンパワーでは対応困難とお断りせざるを得ず、心苦しい思いをすることもある。最近の入院依頼の病態像をみても、医療機能アップの必要性を感じている。
地域連携がしっかり機能していくには急性期だけでなく療養病床もその機能を分化していく必要がある。大腿骨骨折や脳卒中だけでなく、地域連携クリティカルパスによる連携は今後拡大されるであろうし、神経難病や在宅では困難な終末期の看取りも療養病床の重要な役割である。それぞれ連携先から信頼して任される専門性に富んだ機能が必要であろう。
機能分化が進む程に重要なことは、その情報を如何にそれぞれの医療機関や地域の人々が共有出来るかにある。前回の医療法改定で都道府県が医療機関の診療情報を住民に知らせるよう義務付けられたが、現在の情報では表面的な所しか解らない。各医療機関もホームページや診療情報案内などで自院のPRは出来ても信頼度は定かでない。
住民がいろんな情報を得ていただくことは当然だが、やはり重要なのはかかりつけ医であり、病院なら地域連携室のMSWや主治医の役割である。他院の情報は同じ地域にあっても意外とわかりにくい。私共では地域連携室のスタッフに病院や施設の情報収集に、又医師にも出来るだけ地域の勉強会や集会に出席し近隣の先生方と顔見知りになるよう努めてもらっている。当院では取り組めていないが急性期病院のように地域連携医会など開業医との連携が持てればなおよいと思う。
当院では医療母体を持たない介護施設との連携に力を入れており、連携先の特養などの勉強会に講師を送り連帯感を深めている。
いずれにしても、機能分化が進めば地域連携の重要性は更に増大する。急性期と在宅との川中にある我々は、連携先の医療機関や施設、そして何より患者さんや家族の方々の信頼を得られる機能を持たなければならない。
折りたたむ...初めまして。笠幡病院の福留です。私は、昨年「老人の専門医療を考える会」に入会の承認をいただいた新参者です。
約九年前、それまで大学病院の麻酔科で日々麻酔とペインクリニックの研鑽を積む毎日から突然老人医療の世界に飛び込みました。全身の管理という意味では、それまでの麻酔科的な仕事と共通する事柄も多いと考えていました。しかし、当然のことですが、そんなに容易いことではありませんでした。
老人は多くの持病や既往歴を持っているものです。初めにこれをきちんと把握しておかなければその後の治療に失敗します。また、メンタル面でもプライドの高い方や当初から医療を信頼せずに全くお話をしてくれない方、逆に何時会っても嬉しそうに話しかけてくれる方等、千差万別です。
そこで私はまず、朝一番にすべての病室を回ってすべての患者さんに挨拶をすることから始めました。数日間はほとんど反応がなく、冷たい視線に耐えていました。それでも、一ヶ月二ヶ月と重ねていくに従って、徐々に心を開いてくれる患者さんが増えてきました。その結果、会話ができないと思い込んでいた人が普通にお喋りすることが出来たり、四肢の拘縮が進んで全く体動が出来ない寝た切りの方が突然「おはよう」と声をかけてくれたり、日々新しい発見があります。
老人医療を担当する医師は、すべての領域において精通している事を要求されます。たとえば、皮膚科や整形外科的な病状であっても、その都度他科受診が出来るはずもなく、主治医となったからには、すべての症状に対して適切な治療が出来るスーパーマン的な医者が必要という厳しい職場である事も分かってきました。無論、そこには看護師やリハビリ師など多くの専門職の助けが必要なことは言うまでもありません。
当院の特徴の一つに痛みの治療ができる事があります。高齢者は、口には出さなくても何らかの痛みを抱えているものです。「痛み」は、約三〇年前まで正当に評価されていませんでした。外見上異常がない場合は、「痛いはずはないので我慢しなさい」と医師に叱責されていたのです。その代表がヘルペス後神経痛です。ヘルペスは全身いたる所に発症しますが、発症当初の皮膚症状は十日もすると跡形もなく治ってしまいます。しかし、痛みだけが残存するという厄介な病です。特に、高齢で発症するほど痛みが残る確率が増します。これを正しく評価しないと、胃潰瘍・不眠・うつ症状など種々の症状を併発して、痛みの悪循環を形成してしまいます。
患者さんはそれまでほとんど諦めていた痛みに対して、治療を始めましょうという姿勢を見せるだけで、涙を流して喜んで頂く事があります。私たちは痛みをとる為には何でも行います。例えば、投薬治療(消炎鎮痛薬、向精神薬、抗うつ薬、麻薬系薬剤等)・漢方治療・中国針治療・神経ブロック治療など、考えられる治療は形振り構わず使います。療養病院で勤務し、ペインを学んできたことを大変有り難く思っています。特に、癌性疼痛の患者さんを診る機会があると、不謹慎ですが大いに意欲がわいてきて、全く痛みなく看取って差し上げようという気持ちになります。但し、医療スタッフや病院の設備の関係から、本格的な緩和ケア病院としての登録はまだ出来ていません。
当院の周辺には、私にとって誠に有り難いことに、慢性期医療を専門とするベテランの先生が多く、大変心強い限りです。これからも出来る限りこの身を老人医療に捧げてゆく決意です。「患者様第一主義」を貫く笠幡病院をこれからも何卒宜しくお願い申し上げます。
折りたたむ...診療報酬改定議論の渦中で、次のような指摘がなされた。
「医療療養病床における入院患者の重症化傾向等を考慮して人員配置の要件を見直すとともに、医療経済実態調査の結果等を踏まえて療養病棟入院基本料の適正化を行う」。
医療療養病床で重症化傾向があり人員を多く配置している病棟は評価するが、それ以外は引き下げるかもしれない。なにしろ医療経済実態調査をみれば、医療療養は相対的に経営が良さそうなので、全体的に引き下げの方向で考えている。このように読むのであろう。
何をいわれているのか、意味不明な文章が多いのが、官僚の文章なのではあるが、その根拠が示されていないのは、はなはだ不親切である。
そこで、平成二十一年六月に実施された中医協の第一七回医療経済実態調査の報告を見直してみた。該当しそうな結果は「療養病床六〇%以上の一般病院(集計2)一〇九ページと次の「療養病床を有しない一般病院」というページであろう。
国公立病院を除く一般病院のうち療養病床六〇%以上の病院の二一年六月の損益差額は三・七%で、二年前の一九年六月は、四・七%であった。つまり、この二年間で主に医療法人立療養病床を有する病院の経営状態は悪化したといえるのである。
施設数一九五病院で平均病床数は一四一床、六月の医療と介護収益の合計は、九四三六万円で、損益差額は三五〇万円である。心配なのは、減価償却費が〇・五%、設備関係費が〇・三%減となっていることである。建物や医療機器への投資を減らし、設備関係費を節約した結果であり、経営状態が良いとはいえない。これまでの調査でも、民間医療法人の損益差額がここまで圧縮されたのは、昭和四十八年のオイル・ショックや平成二年の危機的状況以来なのではないかと思う。
もっとはっきりいえば、医療法人の損益差額が三%台だとすれば、そこから税金が差し引かれるので、税引後の総損益差額は、ほんの少ししか残らず、金融機関から融資を受けたくても、難色が示されるのが当たり前の状態だ。
それはそうとして、療養病床を有しない一般の医療法人病院は、施設数一四五病院で平均病床数は一一五床、六月の医療収益は、一憶七五七四万、損益差額は一三万五千円で、医療収益対比で僅か〇・一%である。おどろくことに、税引後の総損益差額はマイナス一・三%という、さんたんたる結果である。
これでおわかりのように、報酬改定議論で主張されたことは、医療法人の経営状態は良くはない。しかし、療養病床を有しない一般病院より、療養病床六〇%以上の一般病院の方が損益差額が三・六%高い。この結果を踏まえて、療養病棟入院基本料を引き下げるというものであろう。
本当に理解できないことが起こっているように思う。療養病床六〇%以上の民間病院の診療報酬を引き下げれば、損益差額も引き下がるはずである。一方、療養病床を有しない医療法人の一般病院は、診療報酬を三%引き上げても、一九年六月の状況にはならないのである。
冷静に考えなくてはならないのは、療養病床を有しない医療法人の経営が危機的状態であり、療養病床を有する医療法人の病院は、なんとか生き残っているという事実の確認ではないのであろうか。
診療報酬が高い方がいいとか、もっと引き上げるべきであるという議論より、中医協が自ら行った医療経済実態調査の結果を正確に吟味することなく、相対的に一%でも高ければ引き下げるなどという感情論が横行することに恐怖を感じる。医療費をただただ抑制するよりも、医療や介護を経済成長戦略に組み入れることが大切だと主張したい。
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