老人医療NEWS第104号 |
一.医療者の説明責任
「説明責任」という言葉は、政治家の政治献金の不適切処理の釈明の際などに新聞やテレビで見聞きします。では、医療者の説明責任とはどのようなことでしょうか。
先日このようなことがありました。私は厚生労働省が主催する「終末期の医療のあり方に関する懇談会」に委員の一人として出席していました。いろいろな議論の後、ある患者会の
代表の方がこう言われたのです。「これまで話されていることの半分も理解できない。患者と、医療側では情報量が圧倒的に違う。是非もっと分かりやすい言葉で話していただけないか」というものでした。
私はそれまでの議論の中でそれほど難しい言葉が飛び交っていたとも思わなかったので、一瞬怪訝に感じました。そして思ったのです。日常の医療の現場でも、医療側が丁寧に説明しても、理解されていないことが意外に多いのではなかろうか、と。
高齢者医療ではなおのことでしょう。患者本人は意思疎通が不十分な場合が多く、ご家族も高齢な場合が少なくありません。可能な限りの言葉選びが大切であると痛感しています。
ニ.「介入」という言葉
そんな中で、最近気になる言葉があります。「看護介入」、「リハ介入」などと使われている、「介入」という言葉です。「介入」を明鏡国語では、このように書いてあります。
「第三者が割り込んで干渉すること」。
ある研究会の一つの抄録に、「介入」という言葉が一〇回近く出ていたときはさすがに頭に血が昇りました。積極的に関わるという意味で使っているのでしょうし、その方は、おそらく意欲満々で仕事をしているに違いありません。
しかしながら、この言葉は、多くの病院が目標にしている「患者さんと同じ目線」で仕事をする、という姿勢と乖離していると思われてなりません。これまでの医療における不平等性、つまり医療側のパターナリズムと大いに関係があるように思います。
この言葉を習慣的に容認してきた私ども、年配者の責任も少なくないでしょう。最近は看護やリハビリテーションの実施計画書のコピーが患者・家族に手渡される時代です。この言葉が書かれた計画書を見た、たとえばご家族は一体どのように思うのでしょうか。
中長期的な視野で、医療制度を改革していくことは、国民のためにも、私どもにとってもとても大切なことです。しかし、どんなに素晴らしい制度が出来ても、医療の基本はコミュニケーションです。コミュニケーションの主要な構成要素は言語であり、言葉です。会員の皆様はどのようにお考えでしょうか。
折りたたむ...二〇〇八年四月より大腿骨頚部骨折に加え、脳卒中も地域連携パスが診療報酬上で評価されるようになった。ちょうど時を同じくして、都道府県毎に四疾病五事業の一つとして脳卒中診療のシステム作りが論議されていたこともあり、主に都市部を中心に一挙に連携の嵐が吹き荒れたようである。
いろんなエピソードを耳にした。例えば、複数の急性期病院からプロポーズされた回復期リハビリ病棟を有する某病院は整形外科との会合に加え、急性期病院の数だけこなさざるを得なくなった年三回の会合に目を回してしまい途方にくれてしまったとのこと。「経済誘導の成せることか」、ただただかかわるスタッフが気の毒でならない。
また他にも、脳神経外科医の呼び掛けで開かれた連携の会に対抗して神経内科医が別の会を立ち上げたり、あるいは大学病院の某教授がリーダーシップを取るために突然、既存の会に横槍を入れ、現場に混乱をもたらしたなどとも聞く。旧態依然とした縄張り・権威意識、一体「誰のための、何のための地域連携か?」全く本質を考えようとしないこのような動きには地域医療の崩壊の一因を垣間みる思いがする。
いずれにしても現在、全国で運営されている連携パスを私なりに大別するとAのクリニカルパス型(クリニカルパスを熱心に運営している急性期病院が主導し、急性期と回復期を全体としてクリニカルパス様に仕立て効率化および診療の標準化を図っていこうとするもの)とBの連携重視型(連携において重要な情報交換のツールを地域全体で共有化し、密な連携を図る)が存在するようである。どちらも急性期・回復期から多くの専門職(地域によっては維持期からも)が一堂に会する場の設定が実現し、互いに顔の見える関係作りが構築されつつあることは非常に望ましいことである。今回の診療報酬上の評価で唯一良かったことと言えるのではないだろうか。
実を言えば私は、この連携パスという経済誘導は、地域で必死に頑張っている多くの医療人の思いを無視した厚労省の「愚策」と考えている。本来、地域医療連携は明確な機能分化の必然の結果としてあらわれてくることである。重要なことは如何にして医療機能の分化を多職種のチーム医療で成立させていくかである。大学病院や公的病院など、いわゆる急性期医療を担う医療機関に勤務するセラピスト(PT・OT・ST)の数たるや僅かであり、また勤務するソーシャルワーカーなどは単に転院係りになっているのが実情である。マンパワーの充実を図り、多職種によるチーム医療が展開されてこそ、質の高い医療サービスが提供される。 急性期病院で高度に進歩した臓器別専門治療が多職種によるチームによって効率よく提供され、そしてその後、亜急性期医療を担う回復期リハビリ病棟・病院で集中的にリハビリサービスが提供されることで安心した地域生活へ繋げていくという医療提供体制の構築が重要である。このような体制が構築されれば、地域医療連携も、平均在院日数の短縮化も、また質の高い医療サービスの提供も必然的に解決されるものと信じる。新政権が地域医療を「住民の安心した地域生活を支えていく労働集約型地場産業」と捉え、地域医療の再構築を目指すことを期待する。
折りたたむ...今から五年前、七〇歳代の娘さんに連れ添われ九十二歳のKさんという女性が当院に入院された。数年前から両膝痛があり、最近痛みが強くなり、歩けなくなってきたとのことであった。レントゲンでは両膝とも変形が著しく、どちらも人工関節の適応と考えられたが、高齢ということもあり、しばらくリハビリをしながら様子を見ることにした。
しかし、その後も痛みは変わらず、関節内注射、物療など様々な治療を試みたが、歩行訓練すらできない状態が続いた。入院から約四ヶ月後、現状と今後の退院先のことなどについて本人と家族に説明したところ、予想外の返事が返ってきた。
手術でもなんでもいいから、とにかくこの痛みを取って、もう一度歩かせて欲しいと。九十二歳というだけで、当然リスクは高く、たとえ手術をしても歩けるという保証もない中、Kさんにとってどれだけ意味のあることなのか確信が持てず、正直、私はかなり悩んだ。しかし、話しをしていくうち、いつ死ぬか分からないが、どうせ生きていくなら精一杯生きたい、このまま悔いを残したまま死にたくない、という気持ちがとてもよく伝わってきた。結局、お互い腹を括った上で、絶対よくなろうという共通の強い意志のもと、手術を行うことにした。まずは右膝を、そして三ヶ月後左膝の手術を行った。
入院期間は十一ヶ月に及んだが、独歩が可能なくらいにまで回復し、退院する時は病棟スタッフ全員に見送られながら、嬉しそうに病院を後にしていった。私はKさんの半分に満たない齢であったが、そんな姿を見てとても誇らしい気持ちになれ、心の底から手術をしてよかったと思った。九十七歳になった今でも、週一回ゲートボールをするなど、相変わらずお元気で、八十歳代の方々から尊敬の眼差しを受けながら、楽しく療養生活を送られているとのことであった。
話は変わるが、昨年十一月六日、当法人の専務理事であり前院長であった私の兄が急逝した。患者さんのご家族と面談している最中、「人はいつ死ぬかなんて誰も分からない」と話をしながら、すぅっと意識を失ったとのことであった。私が駆けつけたときにはすでに心肺停止の状態であり、急いで蘇生を試みるも、その後一度も息を吹き返すことはなかった。享年五十八歳であった。ずっと大動脈炎症候群という病を抱えながらも、ある時期から一切薬を飲まず、好きなタバコも酒も止めることなく、仕事ではいつも外来で患者さんを相手に大声を出して、説教したり、笑ったりしていた故人ではあったが、誰に対しても真っ直ぐ向き合い、また相手のことを常に第一に考えるような、とても人情味にあふれた人であった。
「生きることと病気は無関係であり、今、生かされていること、今、生きていることが有り難いことであり、そのことを大切に支えていきたい」。その言葉通りの生き方をまさに実践した人であった。亡くなった時、周囲は一時とても辛い思いをしたが、仕事中にポックリ逝けたら本望だと生前に話していた故人にとって、病気に振り回されることなく、精一杯生きてきた人生はとても幸せなものだったのかもしれない。
人の一生とは、何年生きられるとか、どうしたら病気にならないとか、ということよりもっと大切なことがあると、二人は私に身をもって教えてくれた。
まだまだ経験も浅く、偉そうなことを言える身分ではないが、二人の人間から学んだことをこれからも大切にし、医師という職務に就けたことに日々感謝しながら、病気だから、障害があるから、年だからあきらめる、ではなく、その人がどう生きていきたいのか、どうなりたいのか、その思いに少しでも応えていけるよう頑張っていきたいと思う。
折りたたむ...民主党が圧勝した。政権が変った。後期高齢者医療制度は見直すし、療養病床は削減しないというのが民主党のマニフェストにあるので、そうなるのであろう。しかし、これから先どうなるかは、まだ分からない。
まず、後期高齢者医療制度については「老人保健制度に戻す」などという大声だけが聞こえるが、戻せばよいというものでもないだろう。一九七三年に老人医療無料化をしたものの、老人医療費が急増し、財政問題が生じた。もっとも大変だったのは、国民健康保険の保険者でもある市町村だった。
「国の制度なんだから、国民健康保険制度自体を国営にするか、県が直営したらどうなんだ」「これから急増する高齢者の医療費を財政力基盤が弱い町や市におしつけるのか」それはそれは、大変な反対運動が全国の市町村長らによって、展開された。そんなこともあって八三年からは老人保健法が本格実施された。が、この制度もマイナーチェンジを繰り返してみたものの、まずは健康保険組合のパワーがなくなり、企業に高齢者の医療費の一部を負担させることに明らかに限界が生じてきた。結局は、高齢者に負担をお願いしたり、医療費支給年齢を引き上げたり、市町村以外の地方自治体の責任ということで着地点を見つけることにした。だが、財源問題は解決することはできないにも関わらず「国から地方」という流れで、後期高齢者医療は、国から地方自治体の責任という事にし、公費を投入することでやっとまとまった。
二〇〇八年四月に高齢者医療確保法が施行されたが、福田元首相の発した「名前が悪ければ、長寿医療制度にすればよい」の一言で制度に対する信頼は急激に萎んでしまった。おまけに、後期高齢者医療制度の診療報酬への評判はあまりにもひどいものであった。
こんなわけで、後期高齢者医療制度を見直すことは、必然と言えば必然だが、問題はどう見直すかである。
ただ、老人保健法に戻せば良いという単純なものではないし、この七年間で、我が国の状況はあまりにも大きく変化してしまっている。正確に言えば、戻りたくても戻れないという状況だろう。
このように考えてみると、療養病床についても必然と言わざるをえない。民主党が「療養病床は削減しない」というのであるから減らされないと国民は信じていることになる。〇九年の介護報酬改定で、介護保険施設も一安心したようだが、〇六年の引き下げの影響もあり、介護保険施設数の増加が、手控えられているように思う。なぜならば、新たに投資しても回収できないリスクがあるからである。
このような介護保険施設の状況は、療養病床についてもあてはまるように思う。これから療養病床を新設するのは、制度のゆくえが明らかでない分不安だ。それでも、急性期病床の生き残りに敗れた一般病床からの転換組の流入が予想される。
特別養護老人ホームは、いくら建設しても「不足だ」という。そして老健施設も「すぐには入れない」という。もしそうならば、療養病床を減らすと、行き場のない人が増えるということになるだろう。
問題は、介護療養型医療施設の廃止問題だ。この廃止を廃止するかどうかは、民主党のイニシアティブである。ただ、どうやってやるのかという手続論もよくわからない現状では、どうなるのか全く理解できない。
当然、介護療養も療養病床なので「療養病床を減らさない」ということは療養病床を強権的に老人保健施設にしないと理解するのであろう。しかし介護療養の廃止を廃止するとは民主党のマニフェストには書いていない。どうなるのだろう。
*へ ん し ゅ う 後 記*
十一月十四日東京厚生年金会館で第三十二回全国シンポジウムを開催する。テーマは、「医療と介護の絆を考える これでよいのか介護保険!」。座長は当会の齊藤正身会長。詳細は当会ホームページをご覧の上、皆様のご参加をお願いしたい。
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