老人医療NEWS第102号 |
小泉政権以降の医療制度改革がすこぶる評判が悪い。特に後期高齢者医療制度は、高齢者の猛烈な反発を招いた。有病率の高い集団を別組織にするということは、厚労省がいくら否定をしても、増大する医療費対策として年齢により保険で受けられる医療行為を制限するのではないかとの危惧を抱かせているのである。強行採決までして急いだ背景がいろいろ憶測されている。
また、療養病床削減政策も短兵急に決められたものの、急性期病院での平均在院日数短縮の結果として増大する慢性期医療の需要増加と明らかに矛盾する。医療費亡国論に端を発した医療報酬・介護報酬の減額、医師数削減は、救急医療だけでなく、日本の医療体制そのものを崩壊に導いた。まさに噴飯ものである。現在では「失われた十年」による弊害を取り戻すことに必死ではあるものの、実質意味のなくなった二、二〇〇億円削減も形の上では白紙に戻したわけではない。
そのような中、平成二十年十月に社会保障国民会議による将来の医療提供体制のスキームが発表された。これは将来に対する政府と厚労省の統一した見解である。一般病床と療養病床に分けている現状を急性期医療と慢性期医療に明確に機能分化し、「一般病床」という曖昧な病床表現を抹消したことは英断であると、私は大いに評価している。一般病床、即ち急性期病床としているものの、実質は慢性期患者の長期入院を除外規定を多用して許容するなど、実態と異なっている点を是正しようとするものである。さらにシナリオでは、高度急性期の確立を提唱しており、おそらくこの方向がベストであると考えていると思う。
国民が安心して暮らすためには、医療や介護の支援が保障されるということは誠に重要である。これからの二十年で激増する超高齢患者に対して、国民の期待するような体制を組むことはほとんど不可能に近い。それにも関わらず、大胆な将来図を提案したことは心強い。
しかし一部、うまくいくだろうかという心配もある。急性期の病床数と平均在院日数を規定すると自ずと毎月の退院患者数が明らかとなる。そのうちの慢性期医療の必要な人を規定し慢性期病床での平均在院日数を想定すると、今度は慢性期病床からの退院患者数が推測される。続いて介護保険施設や居住系施設でも同様の想定をすると、それぞれの必要入院・入所数が算定できることとなる。急性期から数を追ってくることにより、結局施設入所できなかった人は在宅として現状の倍を想定せざるをえないし、介護保険施設も現状の二倍でも齟齬が生じてくる。
このような不安定要素を加味しながら、今後も想定将来像と現実との間で国民と行政とサービス提供者の試行錯誤が続くことになる。いずれにしても、未だかつて遭遇したことのない局面には、それぞれがエゴを捨て、協調しながら最大公約数を見つける困難な旅が続くであろう。
折りたたむ...『医療はサービス業である。サービス提供側の都合で、顧客である患者を「選別すること」や「長期間待たせること」はサービス業の理念に大きく反する』
これに異論はあるだろうか。次の文面をご覧いただきたい。
『(前文略)入院判定会議の結果、以下の事由により、当院での受け入れは難しい状況であると判断されました。現在の患者様の医療区分は一相当、要介護度は三です。(中略)せっかくご紹介をいただいたにもかかわらす、ご希望に沿えず、誠に申し訳ございませんが、ご了承のほどお願い申し上げます。(以下略)』
紹介医にあてた文面の抜粋である。作成したのは筆者であるが、毎回多くの懸念が頭をよぎる。当院への入院希望を「断られた」患者側も紹介医も、納得してくれたであろうか。患者や家族に、『医療区分とは何ですか。なぜ区分一なら入院できないのですか』と問われて、紹介医は、十分な説明ができるだろうか。「入院判定」と称して、患者(顧客)と一度も会わずに、文書の情報だけで「選別する」ことが、適切な対応といえるのか。それどころか、傲岸不遜な態度ではないだろうか。
「医療区分」の内容には、確かに現場との乖離が存在する。だが、医療区分は逆に、「社会的入院」を「お断りしたい」患者に対して、説得力を持つツールともなり得る。当院では三年前から、医療療養病棟の入院判定基準を対外的に明確化し、「医療区分三と二のみ」に「徹底」させた。「徹底」とは、ある意味非情なまでに「例外を作らない」ことである。
その結果、区分三と二の比率は常時ほぼ一〇〇%となり公平性も保たれた。判定基準が十分に浸透し、急性期病院からの区分一相当患者の紹介が激減した。他院のMSWが主治医に囁くのだろうか。「先生、区分一ですから南小樽は無理ですよ」と。
当院は、介護療養病床八十三床の医療療養と回復期リハへの転換を決定し、介護療養病床への新規受け入れも、「医療区分三と二のみに限定」することにした。医療区分は、患者にとって「錦の御旗」ではない。入院中の区分一の患者への、十分な説明を行い、納得していただいた形で、老健や在宅系への退院を促進することは病院の責務である。
次に入院受け入れ決定患者の主治医への文面を紹介する。
『(前文略)患者様の医療区分は三相当ですので、医療療養病棟への入院を予定します。(中略)現在のところ、転院まで約四か月(根拠のある数字ではない)を要する見込みです。待機期間が長く、大変ご迷惑をおかけいたしますが、可及的早期の受け入れが可能となりますように、努力して参ります。(以下略)』
特に入院待機期間が長かった患者に対しては、お詫びの気持ちと共に、『長く待った甲斐がありました』と言って頂けるような診療を行う、動機付けが生まれる。
「入院の断わり」「長期の待機期間」「退院促進」は、通常のサービス業の視点からは、容易に受け容れ難い対応である。いずれにおいても、患者側が納得する説明と対応を行う義務がある。
医療は、他の「社会的サービス資源」を、有効かつ効率的に活用するための、積極的な援助をすることにより、「顧客を選別するサービス業」として成立できる。その基盤には、より多くの顧客満足を実現できる、良質な慢性期医療の提供がある。
折りたたむ...介護病棟を受け持つようになって久しく、一般病床や療養病床で、加療継続不可となってしまった人達の御家族と接する日が多くあります。
昨今、認知症という疾病名は市民権を得て来たと思います。しかし、まだまだ一般市民の人達は、認知症とは縁がないまま生涯すぎて欲しいという願いが強く、一昔前の障害を持つ人をかかえていた家族のような心の動きを感じます。
最近、一つ屋根の下で家族と生活している患者の方で、もう少し早く家族の誰かが異常に気づき早期対応が出来ていたら、こんなに悪循環が起きなくて済んだのではなかったかという事例に遭遇しました。家族が「あれ、おかしい?」という疑問をもう少し早く持ってくれれば、専門医の受診に繋がると考えますので紹介したいと思います。
〈経過〉
平成二十年八月二十五日頃より食べられなくなり、九月一日脱水で近医より市民病院へ紹介入院となりました。九月五日〜十一月七日まで二十四時間ベッド上生活、点滴のみ。家族は三交代で付き添う。診断名は胆のう癌。十一月になって食欲が出てきたが、自己にて痰の喀出ができなかった。夜間眠りが浅く、頻回のナースコールあり。全身麻酔薬を使用して眠ってもらう。二ヶ月間の使用抗生物質はペントシリン→スルペラゾン→バシル→メロパン→自己抗体が検出されなかったことにより、自己免疫疾患による腫瘍性熱と考えステロイドを使用して発熱は改善されたと前医からの申し送り。
当院に転院時の症状は全身浮腫、低蛋白、低栄養状態、四肢の機能廃用、両手でさえ胸部にのせたままで動かなかった。気力まるでなしのダルマさん状態でした。(血清総蛋白四・八mg/dl、アルブミン値二・二mg/dl)
夜間不穏は起こらず良眠されましたので、これは大変助かりました。栄養改善は経口摂取は困難でしたが訓練すれば可能になると判断して、経鼻経管より流動食にすることの同意を得ました。病状を評価、胆のう癌といっても全く胆のう内のみで、胆管等への波及はないようでしたので、食欲不振の原因は認知症があったのではないかと思われます。臨床心理士の診断「無感情」という聞きなれない症状(精神面)を理解することに努めました(長谷川式テスト一九/三〇点。MMS二一/三〇)。家族に、ここ二〜三年の本人の身辺や行動に不思議な言動はなかったか折に触れ伺いました。やはり、長いこと続けていた水泳を、着換えや友達との交遊が緩慢になり、止めていたことなどがわかりました。徐々にナゾがとけて来ました。
食事もご飯が六割、残り四割はおやつ、とくに、せんべいが好きということでしたが、この患者のわがままだと考えて家族はそのままを受け入れていたということでした。治療は防己黄耆湯から抑肝散に変更、意欲の向上が見えてきました。こうなると全てが良く循環して来ます。転院後、約一カ月で自宅退院の目どが立ち、四月試験外出、家屋調整をして五月上旬退院となりました。
「良くなった」原因は何だったかということのとらえ方をスタッフに訊ねてみました。
看護師は、食堂で隣の人(嚥下機能はダメでしたが発語あり)との関わりがよく活性化したとの視点を持っていました。食事の雰囲気作りが人間性を取り戻す場面と位置づけ日々看護していることに私自身も気付かされました。理学療法士や言語聴覚士は、あまり自分たちの達成感としてのとらえ方をしていませんでした。学問として興味を呈していなかったということがわかりました。
この症例に出会い、私の人生の巾がまた一つ広くなりました。介護病棟は私の人生の教師と思って楽しんでおります。
折りたたむ...本年四月十三日付で厚生労働省老健局老人保健課が「要介護認定の見直しに伴う経過的措置の『第一回要介護認定の見直しに係る検証・検討会』における議論について」という事務連絡を出した。その内容は、本日、見直し後の要介護認定方法の検証を行う検討会が開催され「今回の要介護認定方法の見直しに伴う経過措置の案をお示ししたところであり」、「今後、可能な限り早急に当該経過措置の関する通知を発出するので、御承知いただきたい」というものであった。
その後、四月十七日付で「要介護認定等の方法の見直しに伴う経過措置について」老発〇四一七〇〇七号老健局長通知が出された。その内容は「要介護認定等の方法の見直し直後において、利用者に引き続き安定的なサービスの提供を可能とする観点から、見直し後の要介護認定等の方法の検証期間において、要介護認定等の方法の見直しに伴う経過的な措置を市町村において実施できることとするものである」というものだ。
どういうことか良く理解できないが、四月一日から要介護認定の方法を変更したが、利用者や認定調査員への周知徹底が不足しているし、要介護認定の公正性や透明性の観点から再度検証し、それまでの間は経過措置を実施するといっているのであろう。
経過措置は、すでに認定を受けている人で、更新時に要介護度に変更が生じた場合で、申請者が希望すれば更新前の要介護度に戻すことができるというものである。
何とも奇妙な話だと思う。認定方式の変更は、今回が三回目であるが、なぜか今回は「要介護度が低く出る傾向がある」、「介護費用抑制のため認知症の人々の要介護度を低くしようとしているのではないか」という一部の人々の主張が、国会の場で野党議員から質問され、なんとも腰ぬけのような経過措置を出したということらしい。
選挙前であり、年金問題の追及も後期高齢者医療制度に対する反発も一段落したかの時期に、要介護認定システムがヤリ玉にあがったといってしまえばそれまでだが、老健局の対応は、すばやかったように思う。
経過措置は、検証がすむまで続けられるということから、どのくらいの人数が更新前の要介護度に戻す申請をするのかわからないが、どのようになるのかに注目したい。要介護度は、ひとつの判断であり、なにも絶対的なものではない。また、以前より低くなるか高くなるかといったことでいえば、システムの問題もある一方で、本人の状態が変化している場合が多く、以前の要介護度とまったく同一でなければならないというものではない。介護保険の利用者だけの利益を考えれば、高い方がよい場合もあるが、低い方が有利ということもある。低くなって要支援になってしまうと介護保険施設が利用できないとか、支給限度額が下がるとサービスを自ら少なくせざるをえなくなる。逆に、支給限度額に対して五割程度のサービスを利用している人々は、要介護度が下がれば利用者の一割負担は少なくなる。
厚生労働省が定めている基準の全てが公正で透明性が高いかどうかということになれば医療療養の医療区分も、急性期のDPCも看護必要度も、それ以外にも超重症心身障害児や障害判定などいろいろある。
何か基準を決定しないと、仕組がうまくできあがらない。医学の世界で判断基準が多くの人々によって研究され、それこそ世界中で使用されている。老人医療の世界も同様である。
批判されたので経過措置を導入するのはかまわないが、要介護認定システムは、今後どうするのかといったことも、そろそろ考えて欲しい。
折りたたむ...![]() |
×閉じる | ![]() |