老人医療NEWS第101号 |
青森慈恵会病院専務理事 故丹野恒明先生は九十六号巻頭言で「お一人おひとりが、元気で死ぬ時を迎えられるように支えて行きたい。」と述べておられた。
そして今、介護療養型医療施設が介護保険の対象から外れるまで、既に秒読みの段階に入った。介護という福祉系の考えと医療が合体したこの施設は理想を実現するには優れた存在だと思ってきた。
介護という包括報酬の中で医療が提供されても請求できない仕組みは、高齢者への医療のやりすぎを押さえる効果があり、また、勤務する医師がその責任上必要と判断した医療は採算を無視して行える仕組みだから、医療の過剰、過疎を両面から防いでいる。それから三六五日二十四時間医師がいることにより「その人の死」を科学的に裏付けてご家族の心に安心、安寧を提供できている面も見逃せない。
だが、そのような場に医師がいることは不経済の論法が通り原案では入所者一〇〇人対医師一人となっている。果たしてこの陣営で「日本人の死」を科学的根拠に基づいて判断出来るのだろうか。はなはだ疑問だ。
今は一年間に一〇〇万人程の日本人が死んでいるが、二〇三〇年には医療機関で八十九万人、介護施設では九万人、自宅で二〇万人、その他で四十七万人が死を迎える、と国立社会保障・人口問題研究所は推計値を出している。つまり年間一六五万人の日本人が死を迎える時代の到来である。
しかし、病院や介護施設、在宅で死を迎える数は現状と余り変わらない。増えるのはその他の施設である。
では、その他の施設とは何か、といえばよく分からない。ただ言えることは、そこには医療系スタッフの勤務が極めて少ないか、いない。つまり死を看取る機能が少ないか全く無い施設である。そのような施設でこれから大量の日本人が死を迎えることになる。
そこでは誰が「死」をどの様な権限に基づき判断するのだろうか、疑問はつきない。誰が死を判断したかも分からないところで、ただただ日本人はひたすら死んでゆくことになる。
この現象が白日の下に晒されれば日本人の死生観がどの様な変貌を遂げるのか定かではない。とても良い方向に進むとは思えない。ニヒリズムが跋扈し刹那主義や快楽主義に覆われた殺伐とした雰囲気が醸し出されるのかも知れない。
介護療養型医療施設では年間二十七%前後の死亡退院者をお見送りしてきている。エビデンスに基づいて死を看取っている。その事に国民からの批判は一つもない。そして経済的には個々の会員施設は看取り医療の時にかかる医療材料費を自腹を切って、提供している。
無論私どもは医師の最後の責務として行ってきているので、会員病院は誰一人不平不満も言わずに行っている。不経済どころか効率の良い仕組みである介護療養型医療施設は残すべきだと再び訴えたい。
折りたたむ...「う〜ん」次年度の予算案を前に、悩んでいる。厚労省が打ち出した「介護職員に二万円の給与アップができる改定」に期待をかけていたが、私以上に期待していた介護職員にはどう伝えようか。厚労省の試算の半分の一万円ぐらい上げられるかなと取らぬ狸の皮算用をしていたが、実際に試算してみると、予定の半分も上げられない。それどころか、人件費率は、六十三%を超えている。
職員一人当たりの給与がずば抜けて高いわけではない。理事長の給与も医師の給与も平均的、いわゆる名誉職という人もいない。確かに職員数は、法定定数を超えている。しかし、それ以上に影響を与えているのは、「定期昇給」と収入の伸びのアンバランスである。「定期昇給額」の見直しをしても人件費は、毎年一千万上がっている。一方、ここ何年かのマイナス改定の中で、毎年、収入を一千万上げ続ける事は容易ではなかった。
急性期病院の平均在院日数短縮化に伴う療養病床の入院患者さんの重度化に対して、職員数を増やしてきた。回復期リハ病棟や特殊疾患病棟をたちあげたり、居宅支援事業所の特定事業所加算を取得し、社会のニーズに応じた事業所づくり、それに対応した施設基準の見直しを行い収入増を図った。また、病病連携、病診連携を強化し、病院も老健も利用率は、九十八%まで上げることができた。しかし、もはや収入増の道は限界に近くなっている。
一方、重度化への対応に加え、介護職の力も発揮してもらい、ターミナルの方の自宅への外出、外泊支援を行うようになった。重度の意識障害の方であっても端座位訓練を行ったり、急性期でバリバリの抑制をされていた認知症の方の身体拘束をはずす努力もしている。また、労務管理の視点では、育児休業はほぼ一〇〇%取得、年休取得率も七〇%、一ヶ月平均残業時間は、七時間と労働省の期待する管理はできていると思う。退職金制度も見直し、人事考課制度も導入した。職員の誇れる仕事と職場環境、そしてそれに見合った給与を出したいと思っているが、現状は本当に厳しい。小さな単立の事業所はもっと厳しいと想像する。
先日のテレビ番組で、介護職を離れた男性が「家族を支えられない。仕事の責任の重さに比較して給与が合わない」と言っていた。「厚生省」と「労働省」が一体化した「厚労省」において、「命の現場」にいる職員の給与や人生設計をどのように考えているのか。国民が、年をとっても障害を負っても安心して暮らせる医療・介護体系をどのように考えているのか。確かに、私自身の経営力に甘さがあるのかもしれないが、現場を見たら、もっと人を増やして細やかなケアをしたいと思うし、職員の給与を見たら、もっと給与を上げたいと思う。職員が幸せでなければ、命を取り扱い人生の終末期を豊かにすごしてもらうケアはできない。どこまでが、適正な医療なのか、どこまでが適正なケアなのか、そして、どこまでが適正な給与なのか。
今回の介護報酬改定は、不十分とはいえ介護職の待遇改善に踏み込み、プラス改定になった事は画期的なことだ。次回の診療報酬改定においても、評価される事を期待したい。また、現場においては、せっかく与えられたチャンスを大切にし、介護福祉士がその本領を発揮し、国民からも「さすが介護のプロは違う」と評価してもらえるような仕事をしたい。
折りたたむ...世界で高齢化最前線の日本においては、老人医療、特に慢性期医療の提供は、とても重要なことです。老人の専門医療を考える会では、本来、慢性期医療はどうあるべきか、どうすれば患者、職員が笑顔でいることができる医療提供体制を構築できるのかを指標として確認し、公表していくかを検討しています。
そこで、平成二十年二月に老人医療の質の評価プロジェクト委員会を発足させました。老人医療の質を評価するにはどうしたらよいか、現行の老人病院機能評価マニュアルと併用してどのような臨床指標を創るべきかを考え、平成二十年四月第二回の委員会では様々な機能を持つ十三病院の先生方を委員会メンバーとして議論しました。指標は、在宅支援、リハビリテーション、認知症、そしてターミナルを網羅し、定期的に各病院、病棟で収集しやすいこと、その指標を良くするための業務改善が可能なこと、そして、患者の笑顔や、職員の努力が報われている状況を把握できることを基本に考えたいと思います。世界に通用する指標にするために東邦大学医学部社会医学講座の長谷川友紀教授にも研究サポーターとしてご協力いただいています。
これらの条件での臨床指標作成のために平成二十年九月にワークショップが開催され、以下に述べる八項目の臨床指標が採択されました。十月に委員会の各病院で実際に評価し、問題点の抽出、改良を行い、十二月に再度評価し改善しました。非常にすばらしい臨床指標ができつつあります。
以上八項目。平成二十一年春ごろまでには、細かい運用マニュアルも作成できると思います。ご期待ください。
日本の慢性期医療が世界に通用し、安心かつ選ばれるレベルになっていくことを願っています。
折りたたむ...今年四月一日より介護報酬が改定され、介護人材確保の実質的な第一歩が踏みだされた。しかし、三%の引き上げだけで対策が十分であるとは考えられない。
うわさの範囲だが、自民党・公明党も何かしなければならないと考えているらしいし、民主党も何とかしたいと議論しているらしい。総選挙前である。そして、大混乱が予想されている。政治は政治でいろいろな議論があることは承知しているが、失業率が高くなり、生活不安が拡大している現状では、何とか政治が安定し、金融機関をはじめとする企業の信用と業績が好転することが国民から強く求められていると思う。
しかし、まずは総選挙のゆくえであり、なにしろ当選するための選挙戦を有利に展開しなくてはならない。総選挙がきびしければきびしいほど、有権者の要求には「なんでもいたします」というのがキャッチフレーズになる。その一方で、所属する政治団体には「選挙戦を闘える政策が必要だ」と要求するという状態になっているようだ。
医療関係者や医療団体が、政治家に活発にアプローチするというのは日常的なことであるが、最近は、政治家や政党から「意見をききたい」「現状をご教授下さい」というような、あまりの低姿勢に驚くばかりだ。
注意しなければならないのは、選挙前の顔が、医療以外にも全方向に向いているであろうことと、多分、実効性がない政策でも安うけあいされかねないことである。
可能なのかどうかはわからないが「特別養護老人ホームの再築時や新築時の補助金を復活させる」「介護人材確保対策のため介護職員を雇用している事業所に新たに直接補助金をだしたらどうか」「介護療養型医療施設の廃止を延期してはどうか」「いずれにせよ介護報酬引き上げは、介護保険料引き上げになってしまうので、有権者に迷惑がかからないようにすることが必要だ」。
これらは、永田町周辺の議論で、霞ヶ関の厚労省にも打診があるらしい。いずれにしても、なんでもありの世界で、これまでの制度改革はなんのためであったのか疑問になる。ただし、ひょうたんから駒がでたらどうなるかも考えておく必要がある。
特養への補助金復活は、あるほうがいいのかもしれないが、またまた社会福祉法人との経営格差が生じてしまい、これまでの方針と逆になるばかりか、民間活力を活用しない方針になってしまう恐れがある。
介護保険事業所への直接補助金というのもあり得るのかもしれないが、補助金で、行政がパワーアップすることは好ましいことではない。
介護療養型医療施設の廃止の延期も、やろうと思えばやれるのであろう。しかし、その後のことはどうするのかまったくわからない状態では、なんとも判断できない。
介護保険料の引き上げに慎重なのは懸命な判断だといえそうである。しかし、これらの事柄はすべて財政発動が必然であり、すでに多額の公債を発行している現状で、さらに公債残高を積み上げることが、いつまで可能なのか、いつかはツケは支払わなければならないであろう。そして、消費税引き上げと、これらの施策との関連がどうなるのかを十分検討する必要があると思う。
医療費に対してよりは、介護保険の方が政治家は関心が高いようであるし、高齢者の票がどれだけ多いのかもわかる。しかし、選挙目あての財政発動オンパレードに対して、単純によろこぶことはできない。来年の診療報酬改定財源はどうするのか、そして、三年後の医療・介護報酬の同時改定の財政対応をどうするつもりなのか、十分検討する必要がある。
安易な財政発動をエサにし、選挙後は知らん顔の政治家はダメだ。
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