老人医療NEWS第58号 |
昨年4月に構造改革を掲げた小泉内閣が発足し、小泉総理のキャラクターと歯に衣着せぬ発言から70%以上という高い内閣支持率を保っている。そして総理の強いリーダーシップのもと構造改革が行われようとしており、医療制度改革は財政改革の重要な柱となっている。
さて、今後の医療制度を中期的展望に立って見てみると、第四次医療法改正により平成一五年八月までに「一般」と「療養」の病床区分のいずれかを選択しなくてはならない。特に療養病床においては医療型と介護型の選択について介護保険の動向が注目されるところである。厚生労働省がまとめた平成13年8月末の医療施設動向調査によると、一般病床への届出が増加傾向にある、しかし、今後は一般病床としては生き残れない病院が療養病床に転換し、既存の療養病床を有する病院を追随してくることが考えられる。
また、厚生労働省は平成13年12月の社会保障審議会・介護給付費分科会において入院医療の必要性が低い長期入院患者への対応策として、療養病床を介護老人保健施設に転換(一定期間の特例措置付)する転換型老人保健施設の設置を提案している。
このように、第四次医療法改正や介護保険の改正は、老人医療のあり方に大きな影響を与えることは必至であり、療養病床は病院であることを忘れず、個々の病院が何をめざしていくのかを経営者が認識し、利用者に期待されるサービスをどう提供するか組織戦略を考えていく必要がある。
現在、患者中心の医療が叫ばれる中、求められているのは医療の「質」ということである。これからは病院の規模ではなく機能が問われ、医療や介護は選ばれる時代、「病院が選ばれる時代」である。利用者が求めるものに高いレベルで応えていくことが、生き残りの第一条件である。そのためには、療養病床としての「質」の評価基準を明確にするとともに、コスト削減やリスクマネジメント等を行うことは勿論、最も大切なのは人材の育成である。人材の育成には時間とお金がかかるといわれるが、この蓄積こそが患者サービスや医療の「質」の向上に繋がり、職員の「質」への意識も高まることに繋がる。
また、医療機関、在宅医療、介護保険との密接な連携を構築することで社会的入院が減少し、医療頻度の高い患者に適切なサービスができるものと考える。そのためには医療・保健・福祉における機能分化と役割分担を積極的に推進し、地域連携型医療の一環としての慢性期医療サービスを確立する必要がある。
このような改革の中で多くの課題を乗り切るには、医療情勢の変化を予測し、柔軟に対応できるマネジメント能力がより一層要求されることとなる。
いずれにしても療養病床を選択する病院には、老人医療を本当にやりたい人が集まって欲しいものである。
折りたたむ...介護保険制度の発足で自立支援の実践が明文化され、一人一人の人権といいますか、意思の尊重というものが重視されてきております。また、介護保険を円滑に運営させることと在宅復帰を促し、住み慣れた地域での一連の医療支援環境の充実が、回復期リハビリテーション病棟の設立により、具体化されてきております。機能訓練重視のリハビリテーションから、個々の人の生活意識を尊重した人生の質を重視する医療へとリハビリテーションの内容が、ようやく是正されつつある状況かと思います。
高齢者医療費の事は、最近いろいろと取り沙汰されていますが、未だに高齢者医療費の標準化というものは、その兆しもないのが現状であると思います。エビデンスに基づいた治療体系がないことには、精神論だけの空虚なものとなっています。医療においては「流派」とかはあるべきではなく、冷静に謙虚に客観的事象を観察して、標準的治療プログラムがなされるべきでしょう。ケース・バイ・ケースだからこそ、その状態像の分析が客観的に行われて、そこから推察されるアウトカムを提示して、本人・家族に提示することが最低限必要ではないでしょうか?
最近、Exercise training for rehabilitation and secondary prevention falls in geriatric patients with a history of injurious falls(JAm Geriatr Soc49:10-20 2001)Arandomized trial of exercise programs among older individuals living in two long−term care facilities:The FallsFree program(JAm Soc49:859-8652001)という論文を勉強しました。75歳以上の女性で、危険な転倒を経験した基礎疾患のない人を対象に行われた訓練効果の評価についての論文と、施設入所者(平均84歳)の訓練効果についての論文です。前者は、通常の理学療法群とそれに加えて筋力増強訓練・静的動的バランス訓練を行った群とで分析されています。12週間の訓練を行い、終了時と終了後3カ月の2点で評価されています。下肢の筋力は2点時とも有意でした。歩行速度や俊敏さは訓練終了時には有意差は認められましたが、3ヵ月後には有意差は無かったようです。また、転倒頻度については2点時とも有意差はなく、転倒に対する恐怖感についても有意差はなかったとされています。
訓練して歩行速度は一時的に改善するが、転倒頻度は変わらない時期があるものの(ある意味ではとても危険な状況ですが、)訓練終了後の3ヵ月後には有意な効果がなかったとされたわけです。後者は、付添い歩行のみの群と太極拳を加えた筋力増強訓練などを中心とした群での比較がされていて、結論的には、どれも有意な効果がなく、転倒の頻度に変化はなかったそうです。「訓練すれば転倒を少なく出来るという効果はない訳でして、自立支援と称して訓練を行っている」ことについて、この論文の実効性はかなり気になるものです。
しかし、言いたいのは、日本においてもこのような多施設でこのようなEBMの実践を検証していくことが必要であり、標準化された高齢者医療の治療様式を今後検討していくのが、プロフェッショナル集団としての我々の仕事ではないでしょうか?ということです。
折りたたむ...介護予防や健康維持に目が向けられはじめた昨今、筋力トレーニング、いわゆる「障害をもった高齢者にもフィットネス」的な試みが欧米諸国を中心に普及してきている。従来のリハビリテーションでいえば、例えば「杖歩行可能となったので終了」であったものが、「横断歩道を早足で渡りたい」「雨の日も傘をさして散歩したい」「以前のようにテニスクラブに通いたい」などのQOLの向上を、自分で鍛えるという意識を持ち、トレーニングマシーンを使い筋力アップに努めることで目標(生きがい)を達成しようという試みである。わが国では「パワーリハビリテーション」と呼ばれ、この2月には研究会も立ち上がることになっているが、当院でも一昨年の末から導入して、多くの方々がその魅力にはまってしまい、外来診療時の第一声が、「今日は30キログラム持ち上げた」というような具合である。
昨年2月に訪れたシドニーのパルメイン病院でも偶然同様のプログラムがSTRONGMedicine(Strength Training, Rehabilitation and outreach to unidentified Needs in Geriatric medicine)という名称で、外来リハビリテーションの一環として行われていた。60〇歳以上の高齢者のエクササイズ・プログラムで、年をとることによって起こる疾病の予防に筋力アップを取り入れ、医学的な評価でその適応を決める。6つのマシーンを使い、専門職の評価だけでなく、本人は重さと大変さを簡単なスケールを用いて自己評価する方法である。目標の設定も容易で、「週2回の通院で1ヶ月後までに何をどのくらいまで持ち上げよう」という感じで、自分の意志で通い、自分で計画したプログラムをこなしていく姿は、まさに「自分で鍛える!」といったところであろう。適応者は、関節炎やうつ病、骨折の術後の方、パーキンソン病、肥満、食欲低下など、多種多彩であるが、特にうつ状態の人が体を動かすことによって身体的なものだけでなく、気分的にも前向きになっていく効果が、あるそうである。
日本に帰ってきてみると、当院でも目覚しい効果を上げている人が出てきた。くも膜下出血の術後で胃瘻造設して自宅復帰された要介護度Vの男性が、妻の献身的なかかわりと訪問・通所サービス、そして外来リハビリが功を奏し、1年後には経口摂取はもちろんのこと、杖歩行ができるところ(要介護度U)まで回復した。今までのリハビリメニューでは、ここで維持的なプログラムになっていくところであるが、ちょうど、パワーリハビリテーションのマシーンを導入した時期とも重なり、本人の夢である「テニスの壁打ちぐらいはできるようになりたい」を目標に筋力トレーニング(週2回)を開始した。まさかと思われるかもしれないが、現在、杖の代わりにゴルフクラブを抱えてゴルフの練習場に通えるまでになったのである。おそらく、今までであれば、杖歩行可能の段階で、私たちの仕事は一段落するところである。本当に自立した「楽しい」生活をおくるためには従来のリハビリテーションだけでは不十分であることを実感させられたケースである。
表題に掲げた「マッチョ老人」は大袈裟であっても、ADLの自立を最終目標にするようなケアが展開されている現状を考えると、「生活すること」「暮らすこと」「生きること」への本来の援助のあり方をもう一度考えてみてはいかがでしょうか。
折りたたむ...先ごろ、青梅慶友病院で実践されている「回想法」のドキュメンタリーがNHKで放映された。内容も、そして番組創りのポリシーも心温まるものであった。我々もここまでこれたのかなと思った。
テレビ映像はどんな言葉より説得力がある場合が多く、百万人単位の人々の目に触れることになる。一昔前の老人病院といえば、あまり良いイメージではなく、報道される内容は、医療者にとって必ずしも納得できるものばかりではなかった。
療養病床の普及のせいかどうかは定かではないが、ある程度のスペースや病棟内のしつらい、花や食器、患者さんやスタッフの顔は、確実に「見るに値する」ものへと変化しているように感じた。
介護施設の世界は、今、ユニットケアや全室個室化という方向に走りだしたが、ただ面積を広くしたり、少人数化しても、マンパワーやソフトを充実しないと「見るに値する」という状況にはならないはずだ。
高齢者に対する医療と看護は、急性期の医療とか根本的に差がある。この差は、どちらかが上か下かといった上下関係ではなく、生活、生命、生存の質に関わる差であるように思えてならない。人々はひたすら延命に努める医療を時として求め、場合によって批判さえする。これと同じように比較的長期間のケアを主体とした医療についても、時として強く求め、都合によって気まぐれな視線を投げかける。
老人の専門医療は手探りの段階から、職種の増加、職員の増員、ハードの整備という段階を経て、今、新たなソフト充実の時代を迎えようとしている。ソーシャル・ワーカー、リハビリテーション職員、臨床心理専門職、レクリエーション・ワーカー、そして多くのボランティアなどの力を結集して、新しい時代に対応することによって、新しい病院創りが各地で始まっている。
その中心は、一人ひとりの患者さんを一人の生活者として捉え、その生命や生存の質に、きめ細やかな個別対応を進めることに尽きると思う。そこには、患者さんを集団と考え、病院側も集団で対応する集団と集団という考え方から、1対1の関係を基本とした、1対多数の関係が構築されつつあるように思う。
我々は、やさしい看護、心温まる医療とか、患者さんの立場に立ったケアなどということをこれまでいい続けてきた。しかし、それがどのような状態を示すのかについてはあまりにも抽象的で、共通の認識となっても、共有化された実態をともなわないことが多かった。
我々の努力には限界があるにせよ、我々老人の専門病院を見る人々の視線が変化していることを、素直に受け入れることが必要だと思う。何か批判されることを恐れてビクビクすることはないが、ありのままを見せ、進んで批判を受け入れ、改善目的にまで育める体制には今一歩である。
質の高い老人の専門病院の必要性は認められたとはいえ、医療全体、あるいは介護といった分野で我々が最高のケアを提供していると自ら主張できる時代を創造できるかどうかが、これからの目標である。そして、「見るに値する」かどうかといった低次元の議論から、最後の瞬間まで一人の人格に対する人間性を基本とした個別対応を実践する集団として、ソフトの開発と充実に今後とも努力したいと思う。我々会員は、善意の人々に対して広く情報を公開すること、そして患者さんのプライバシーが確実に守れるのであれば、開かれた病院を目指すことを話し合ってきた。そしてそれは、ソフトの充実とともに「どなたにも見てもらえる実践」になろうとしているのである。
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