老人医療NEWS第13号 |
超高齢化社会に向かって、保健医療がどのような戦略を中核に据えるべきかについて、現在私なりに考えているところをお話したい。
超高齢化社会に対する我々の不安は、保健医療の世界からは、大きく3つの視点に分けられるであろう。
第一の視点は、マクロの視点ともいうべきもので、社会が負わざるを得ない重荷をどう軽減できるかという視点である。この視点から大きく浮かび上ってくるのは、長期の看護、介護を要する状態に陥る疾患への戦いである。この意味からは、高齢者の入院、要介護施設への入所の原因の大半を占める「脳血管疾患」「老人性痴呆」「筋骨格系疾患」の三分野の予防、治療、リハビリテーションが、徹底的に追求されなければならない。このことによって、例えば、これらを原因とする看護、介護要素の発生率を三分の一に抑制することに成功すれば、2020年をピークとする超高齢化社会においても、看護、介護の供給量は現在とそれ程には変わらなくとも良いことになる。このような想定は、全く非現実的だとの批判は承知の上で、こうした目標を掲げて関係者が協力し努力していくことを、超高齢化社会への戦略の第一としたい。
第二の視点は、ミクロの視点ともいうべきもので、個々人が延びた人生をいかに充実したものとして送ることができるかという視点である。この視点からは、従来の医学の世界では主流からはずれてきた分野、視力、聴力といった感覚器系統、第一の視点とも一致する脳、筋骨格系統、更には失禁のような生命そのものを脅かすことは少いが、人生の質を著しく低下させる疾患との戦いが重視されなければならない。延命の医療から人生の充実のための医療への方向転換である。
第三の視点は、メンタルな視点ともいうべきもので、これが最も大きな超高齢化社会の問題であろう。人口の4分の1が65歳を過ぎた人々で占められる社会において、この人々の生活の「はり」をどのようにして確保できるか。「はり」を失った人間の多発は、社会にとって最も憂慮すべき事態である。個々人が老後生活に生きがいと樂しみを持つことができるように若いころから気を配ること、老後も積極的に前向きに社会とのかかわりを求めていくこと、そして、社会の側も、家庭も企業も学校も自治体もあらゆる場面で高齢者がかかわる機会を積極的に作り出すことが必要である。この「はり」が、高齢者の健康を支え、障害の防止にも大きなカとなるのである。
以上、三つの視点から超高齢化社会への戦略的な対応の方向を述べたが、当面、このような認識に立ちつつ、脳卒中総合対策、アルツハイマー病の本態解明、骨そしょう症や失禁などの予防治療対策の確立、高齢者の社会的位置づけのための国民遅動の展開などを進めていきたい。
折りたたむ...快適な生活空間をつくる老人医療の実践
広大な敷地を生かして
光風園は山口県西端下関市の瀬戸内海側にありJR山陽線長府駅から歩いて10分の南向斜面にある198床の特例許可老人病院です。昭和16年に結核療養所として作られ、ほとんどはバンガロー形式ですべて木造平家建でした。昭和52年に12年間いた日大第二内科をやめ引き次ぎました。当時は結核半分、老人半分となっておりました。雨の日の回診は長靴に傘といういでたちで一番遠い病棟までは急いでも5分位かかりました。看護婦や配膳もかなり大変でしたが軽症の慢性病ということでまあまあのんびりしていました。
54年から改築、順次増床、現在210床の開設許可を得、医師数の関係で198床の使用許可を取っています。昨年20床残っていた結核病棟も老人病棟に変え管理が大分楽になりました。病棟は幸いに広い土地(約2万坪)を生かして平家を主体とし一部を2階にしました。患者さんはいつでも自分の部屋から外へ出られます。土に馴めることは気分的な落着が得られ、気楽に散歩にも出られます。お見舞の人も直接病室へ入られます。採光、換気も充分ですし、もし火災があっても安全面で勝れており安心度が高いです。鉄骨簡易耐火構造で、武久病院の頴原俊一先生に"お前の病院はボロに作ってあっていつでも壊せて良いね"と皮肉っぽくいわれる様に、増改築、解体が割と楽にでき、使いにくい所などすぐ改築できます。税制上は33年の消却になっていますが、20年程度で建てなおし、時代にあった居ごこちの良い病院を維持して行きたいと思っています。
患者さんの平均年齢は79歳、70%が女性で、平均在院日数は2年4ケ月です。外来をやっていませんので、入院患者さんは地域の開業の先生が往診していて入院の必要になった方、市内に4つある公立病院から急性期の過ぎた方、老人ホームから、又直接家庭からこられる方で月に10〜20名です。退院される方の治療はその地域の開業の先生にお願いしています。私で三代目で地域や医師会との関係はとても良い状態です。検査はすべて外注で特殊検査も公立病院を利用しています。
1年前から徘徊や痴呆の強い患者さんを1つの病棟で看護する様にしました。ここでは病気の治療という感覚も必要ですが、それよりも患者さんをいかに理解するかが大切です。君護の原点ともいえる精神面での看護が必要ですし又勉強できる良い場所です。軽い痴呆は一般病棟で充分ですが、やはり重症痴呆は分けて看護した方が良い様です。最近では私も看護婦も痴呆患者になれ理解もできる様になり、痴呆患者が大変だという感覚は全くなくなりました。我々がそういう気持で接すると患者さんの受け取り方もかわって来ますし、全部痴呆者だと患者さん同志も安心するのかそれなりのコミュニケーションは出来ている様です。最近ではどんな患者さんでも受け入れていますが、本当に困る事は月に一度あるか無いか位です。とは言っても看護婦の負担は増えています。乱暴な人が居る時は生傷がたえず、長時間話し相手をさせられて他の仕事ができなくなってしまうこともあります。一方、一寸とした行動言動で痴呆患者にされてしまっている人もかなり居る様です。暖かい看護と理解でかなりの部分の痴呆患者は救えます。
きめ細かな食事づくりを
長期滞在型の病院なので人間の三欲の一つである食欲も大切なことで、とかく一般的に評判の悪い病院給食を改善することに努めました。厨房のドライ化、冷暖房、採光通風を考え室内に柱のない厨房を新築しました。労働環境の改善をし院長が給食に興味を持っていることを示し、調理師の意識の向上と、自分達は病院給食を作るプロであるという意識を植え付けさせました。与えられた材料で与えられた物を作るだけでなく、よりおいしいものを作りよりおいしく食べてもらおうという気持を持てる様になりました。そこからは熱意と工夫が生まれて来ます。栄養士も少し楽ができる様にと二年がかりでほとんどすべての業務をコンピューター化しました。このコンピューターはIBMから販売される様になりました。
私も少々舌には自信を持っていますので、すべての病院食の検食を二年間やっています。栄養士と向い合わせで坐りいろいろ話をしながら行います。まず常食をおいしくすること、これは比較的早くできました。目先を変える食事として年に10回ほど行事弁当を作る様にしました。季節の草花や短いメッセージを添えています。作る方はなかなか大変で費用も少し多くかかりますが、とても喜ばれています。
次に治療食ですが、これも一番おいしいはずの常食に近づける様にしました。例えば高血圧食ですが、食べてみて全くおいしくありませんでした。老人の場合総カロリーが1400カロリー位ですので一日7グラム程度の食塩制限はそんなにむずかしいものではありません。常食の汁類を半分にすれば、あとはほとんど普通の味付けで大丈夫でした。これで摂取量の向上と満足度の改善がみられました。今はきざみ食とミキサー食の改善に努めています。
入浴は普通浴、特浴とも職員はかなり大変なのですが週に2回を続けています。入浴だけで老人の状態は良くなりよろこばれています。5回+αのおむつ交換と、換気の良さからとで院内のいやな嗅は、おむつ交換時を除いて全くありません。なるべく家庭に近い環境で治療できるように、いろいろ工夫してゆきたいと思っています。
折りたたむ...医療費の面からとらえられてきた医療の曲がり角論も、ここ数年は医療そのものについて問われるようになってきた。
まず、量の点からみれば、これまでは医師数、病床数ともに増加を図ってきたため、ほぼ充足された状態となった。今後は過剰とならないよう、医師については六十年度から医学部入学定員の削減が進められている。また、病床数については、都道府県別に医療計画を作成し、その中で必要病床数に押えていくようにする。駆け込み増床という問題も起きているが、これから先のトータルの病床数でみれば問題はないと考える。
次に質を高めることについては、まず病院機能評価を自己評価から第三者評価へと変えていく必要がある。現在の評価は医療の周辺部にとどまっておりこれを中身をも含めた評価ができるようにする。さらに、地域プライマリケアの担い手として開業医の質を向上させる。着年医師の開業医志向を高めるとともに、国民の大病院志向傾向も改めるように働きかける。
国民医療総合対策本部の中間報告においても質の確保に重点がおかれた。特に、老人医療におけるADLの維持、欧米に比べ格段に長い入院日数の是正、大学病院に集中している医師数、医師の卒後臨床研修のあり方、患者サービスの向上としてインフォームド・コンセントをとり入れていくことなどが述べられている。
医療は量から質の時代を迎えたといえよう(社会福祉・医寮事業団理事前厚生省健康政策局長)。
折りたたむ...昭和30年に医学部を卒業し、以来昨年まで大学の医局に在籍していたが、その間数多くの患者さんを診察し、治療した。しかし、余り気にも留めなかった水代謝が老人で非常に重要であることを今の西円山病院に勤務するようになり、病室を廻診するようになって真っ先に気づいた。その後、その点に注意しながら12ケの病棟を廻診してみると、確かにドクターも看護婦も患者さんの水代謝に異常なくらいの気遣いを向けているのに今さらながら驚いた次第である。
ワッサー、ワッサー(水、水)と叫びつつ投降した将兵を映したアフリカ戦線の映画は余りにも有名であり、かつて無敵を誇ったロンメル軍団も水の欠乏に勝てず、戦に敗れたことが、改めて回想された。
成人の体重の60%は水分であることが知られている。乳児ではその体覧の80%は水分で、年齢とともに水分は減少し、老人になるとますます水分が減少することから、老化とは脱水であると極言した偉大な人もいるくらいである。
一日に口から補給される水は、水として500〜2000ml、食物として1000〜800mlであり、肺と皮膚から不感蒸泄として1000ml、500〜2000mlが尿として、70〜150mlが糞便として失われ、水出納のバランスが保持されていると教科書には記載されている。体の水分が不足すると、渇きとなって、水の摂取を促すことになる。これらの水分バランスは、腎臓、内分泌(抗利尿ホルモン、アルドステロン、アンジオテンシンなど)、交感神経などによって微妙に調節され、保持されている。しかし、老人は体液量が少なくなっているため水摂取量の減少による影響が出やすいことが、ドクターと看護婦に水分の摂取量に異常な注意を向けさせている理由であろう。まさに老化とは脱水であるため、より以上の脱水を防止し、老人の生理機能を正常に保持するための努力の産物がドクターや看護婦の気遣いとなっているのであろうとの結論に到達した。従って、老人診療における重要なポイントの一つは水代謝に注意を向けることである。
毎日の水摂取量に注意し、もし摂取量不足に気付いた時は速かに補液し、尿量をチェックし、水出納のバランスを保持するよう努力する。胃機能の正常な老人で何となく元気がない場合にはとくに注意し、速かに水出納バランスをとるように治療することが肝要である。
折りたたむ...老人の専門医漂を考える会第5回全国シンポジウムが7月9日、札幌市・グリーンホテル札幌を会場に開かれた。過去4回のシンポジウムはいずれも東京で行われたが、今回の開催地を特例許可老人病院が81と最も多い北海道としたのは意義深いものがあったと思われる。当日は来賓に吉田信北海道医師会長を迎え、老人病院の現状や今後の方向について、約400名の参加者が熱心に聞き入った。4時間余りにわたるシンポジウムは、まず竹中浩治氏による講演が行われた。続いて、老人医療に関わる5名のシンポジストにより具体的な老人医漂のあり方について討議が行われた。
また、シンポジウムに先立ち、医療法人溪仁会西円山病院、医療法人愛全会愛全病院の見学会が行われた。両病院からは各方面にわたる多大なるご協力を賜った。ここに深く感謝を表する次第である。
老人病院に求められているものは
始めに司会・松田鈴夫氏(時事通信社厚生福祉編集長)より、老人病院について3点の問題提起がなされた。サービスの質の問題、医療従事者の質の問題、そして老人医療の内容についてである。この3点を踏まえ、5名のシンポジストを中心に老人病院の抱えている問題が浮き彫りにされ、改善の方向を探っていった。
医療を核とした地域のセンターに
天本宏
老人医療の対象は、高齢で重介護を要する老人が増加しており、家族をも含んだ対応が求められる。病院機能としては、診断と治療に加え、看護・介護機能、リハビリ機能をもち、病気のみではなく生活全体をみていく全人的・包括的医療が求められる。そこでは医療概念を拡大し、福祉サービスも不可欠なサービスとして提供されねばならない。また、在宅ケアを基本に、病院を開放するとともに地域に出たチームケアを行い、人間として尊厳性を保てることが大切だ。(天本病院院長)
老人患者に精神的支えを
黒田妙子
病苦や孤独と闘っている老人患者と24時間接している看護婦として忘れてはならないことは、疾病に気をとられ、心を見失わないようにすることである。当院では、精神活性化のためのボランティアの導入、在宅支援のためには訪問看護を実施してきたが、制度的後押しが十分でなく、病院の負担によるところが大きい。今後の課題としては、入退院基準の設定、看護婦の質の向上、訪問看護の充実、死を迎える患者への援助、ボランティアの参加等があげられる。(西円山病院副看護部長)
病院から外へ出た活動を
富永淳
院内調査によれぱ、リハビリを実施している患者の方が、食事、排泄、入浴ともにそれ以外の患者より自立度が高い。これはリハビリのための着替え、移動などの生活行動に負うところも大きい。また、当院の自宅退院は年々増加しているが、在宅ケアに目を向けたデイケアや、入院中にスタッフが外出や外泊に同行するふるさと訪問の影響が考えられる。すなわち、リハビリは院内のみでなされるのではなく、地域全体の老人の自立への援助を実践してゆくべきである。(愛全病院理学療法主任)
より美味しい老人食で満足感を
大下毅
老人医療は観察と理解から始まる。点滴についてよく取り上げられるが、院内アンケートによれば点滴希望が多数を占め、量や期間を考え個々の患者さんへの対応が大切と思われる。
重症の痴呆患者は専用病棟で治療を始めたが効果が上っており、痴呆老人は老人病院で積極的に受け入れて行くべきである。病院給食をおいしくする努力をした。スタッフが意識を持てば出るもので良い評価を得ている。治療食も常食に近いほどおいしいはずで、老人食という観点でとらえた方がよい。(光風園院長)
現状を見詰め前向きな姿勢で
小山秀夫
老人病院に求められているものは、様々な立場から老人医療で何を問題視しているのか、を傾聴することにより自ずと答えは出てくる。そのすべてが、考えている事、言っている事、やっている事が違っている。社会的入院の是正、在宅ケアの充実、医療の質の向上と、目指すものは沢山あるであろうが、言い訳をしていても改善には結びつかない。患者の精神的、身体的、社会的、倫理的痛みを老人病院がどの程度共有できるかに老人医療のあるべき姿があると思う。(厚生省病院管理研究所)
折りたたむ...オランダから
6月10日早朝、老人の専門医療を考える会メンバーを中心とする一行17名は、オランダ・スキポール空港に降り立った。約10日間にわたるオランダ、イタリア、イギリスの老人施設訪問の始まりである。
最初の訪問施設、ナーシングホーム・アムステルホフはアムステルダムの市街地にあった。
オランダの人口は1435万人、その12.5%が65歳以上である。ナーシングホームは328を数え、合計5万床を擁する。アムステルダムでは人口70万に対し、10万人以上が65歳以上であり、20のナーシングホームが3800床を擁している。
私たちの訪れたアムステルホフは、約300年前に教会附属の未亡人のための施設として建てられたもので、今世紀後半になって老人施設に転用されたものであった。花々や噴水できれいに整備された広い中庭を口の字型に囲んだ四階建ての建物の外側は運河に面している。定員は346人。そのうち210人が身障老人、136人が痴呆老人である。要介護老人がほとんどを占め、3人に1人は重介護を要するという。スタッフは常勤医師4人、言語療法士、検査技師等が12人、その他に月一回のリハビリテーション専門医、二週間ごとに神経科医、外科医が来所する。看護・介護要員については、正看75人、准看200人を含む職員が350人、パートタイマー100人の計450人があたっている。入所者1人当り費用は1日125ドル、病院では250〜300ドルかかるということであるから、入院の場合に比べ約半分の経費である。
リッベ所長の案内により施設内を見学した。居室内はきちんと片付けられ、身ぎれいにした老人たちはデイルームでティータイムを楽しんでいた。が、一方ドアには鍵がかけられるようになっており、日中は部屋に入れないようにしていること、また重度痴呆者は外へ出られないようにしていることも印象的であった。
イタリアでは
私たちはオランダからスイスを経て、12日午後ミラノへ向かった。
ミラノ市郊外にある老人ホーム・ブリアンテは定員225人。5階建ての建物の5陛部分が健常者のためのアパート(30人)、4階以下が 障害者用295人)となっている。入所者は平均10年以上の在所期間があり、90%はこのホームで死亡するという。医療スタッフは3人の常勤内科医、非常勤の心臓専門医と精神科医が1人ずつ、眼科医と歯科医は週一回の来所である。介護には4階以下各階に常勤8人、パート4人の計12人があたっている。ここには尼僧が見かけられた。
費用は、年間300万リラ(100リラは約10.3円)、アパート(5階)の家賃は月額8〜15万リラ、施設内にあるレストランでの食事は一食6500リラである。施設内は決して広くなく、5階のアパート部分を除けば調度類も質素なものであった。特にデイルームも設傭されていないようであったが、石造りの採光を十分とり入れた広い廊下に、きちんとした身なりの老人達が談笑しながら並んで座っていた。ここでも、オランダのアムステルホフと同じように居室内に老人の姿はなかった。ただ一人、明らかに老衰と思える老婆が柵のついたベッドに寝ていたが、特に治療は受けていないようであった。食堂では個人別にナプキンが用意され、テープルセッティングがなされていた。
次に私たちが訪れたのはミラノから車で30分程の高級リゾート地コモに位置する老人ホーム・イルバルコ。イルバルコは、土地3万坪に入所者100人という高級老人ホームであった。医師は所長、副所長の他に常勤3人を擁ずる。介護には看護婦20人、看護助手40人があたっている。入所費用は先のブリアンテが年額300万リラであったのに対し、イルパルコは月額300万リラと、ブリアンテの10十倍以上もの経費である。
開所してまだ1年というイルパルコは、森と芝生の広大な庭園の中世から残る建物と、その雰囲気をこわさないように建てられた施設があわさって点在している。地下にある700人収容の劇場、売店、図書室、食堂、デイルーム等、そのどれをとっても豪華だ。が、ベッドはと見れば、個室でない者についてはオープンスペースにベッドが並べられ、カーテンで仕切れるようになっているだけという簡単なものであった。ここでもベッド上に老人の姿はなかったことから、このような高級施設においても、居室スペースに関しては、その利用頻度から考えてあまり重きを置かないということであろうか。
オランダ、イタリアと見てきて、どの施設にもあった光景は、きちんとした身なりの椅子に座った老人達であった。居眠りをしている人もいた。たとえ、ベッドで寝たきりになっている老人がいても、そこには延命のための冶療はみられなかった。
「ベッド イズ バッド」という考え方が勿論基本にあるのであろうが、老人達を集団にしておく方が介護がしやすいこと、そして、椅子による生活様式の文化の違いが老人達を椅子に座らせているのだと思う。また、礼拝堂や十字架が随所に見られたことからも、宗教の中で本人の意志を最も大切にし、人生の最期を迎えるようである。
介護に関しては、日本に比ベスタッフ数がかなり上回っている割には、それ程働いているようにはみられず、効率は悪いようにみえた。ただ、老人達の表情はとても穏やかであった。
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